世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
食べ進めるごとに深みを増す清燉牛肉麺|世界のラーメン③

食べ進めるごとに深みを増す清燉牛肉麺|世界のラーメン③

世界一周旅行を終え、今度は台湾で美味しいものを探す旅にでた石田さんは、日本の塩ラーメンに近い清燉(チンドゥン)という麺料理に出会います。塩ラーメンに近い、しかし日本では出会ったことのない味わいを持った一杯とは――。

出汁の旨さが肝の麺料理

6月号の『dancyu』第二特集は「塩ラーメン」だ。そこで「世界の塩ラーメン」について考えてみたのだが、日本のそれと同じものは当然、海外にはない。近いものを挙げるとしたら、前回書いた蘭州牛肉麺より、台湾の牛肉麺だろうか。
同じ牛肉麺という名だが、見た目も味も違う。台湾牛肉麺は大きく分けて2種類ある。紅燒(ホンシャオ)と清燉(チンドゥン)だ。塩ラーメンに近いのは“清燉”で、“紅燒”は醤油や豆板醤仕立ての赤いスープ。麺は店によって、細、中細、太、平打ち、軽いウェーブ、といろいろ。
台湾は世界一周旅行のあとに行った。「台湾一の感動メシを探す」というテーマで、2回に分けて計約1カ月、やはり自転車で全島をまわったのだ。牛肉麺もさんざん食べた。
日本人の友人から「台湾一」だと薦められた店「清真中国牛肉麺館」の“清燉”はスープが澄んでいた。トッピングは牛肉のほか、青菜とネギ。辣油やパクチーなど香りの強いものは入っていない。出汁の旨さ一点に注力し、勝負している。そこだけ見れば日本の塩ラーメンにそっくりなのだ。牛ベースのスープ、ならびに台湾特有の薄味のおかげで、日本の塩ラーメンとは感じが違うが、実に旨い。
ただ、毎日食べているとよくわからなくなってきた。讃岐でうどんツアーをしたときもそうだったが、続けて食べていると次第に麻痺してきて、どの店も大差ないように思えてくる。

重湯並みの薄味だが…

そんななか、一軒だけ突出した店があった。僕の本の台湾版を手がけた翻訳家から薦められた店「史記正宗牛肉麺」だ。
「落ち込んだとき、ここの清燉牛肉麺を食べると元気になるの」と彼女は言った。
行ってみると、カフェのようにこぎれいな店だ。女性客が多い。
運ばれてきた清燉牛肉麺は、見た目から個性的だった。スープが白濁しているのだ。飲んでみるとほとんど味がしない。塩気のない重湯みたいだ。もしかして味付けを間違えたんじゃないの?
首をひねりつつストレートの細麺をすする。麺にもこれといった特徴はない。
うーん、こんなもんか、と思いつつ食べ進めていくと……あれ?
「お、おお……」
辺りを覆っていた靄がしだいに晴れ、気がつけば森の奥に佇み、目の前に広がる湖に見入っている、そんな気分だった。
最初は味がしなかったほどの薄味の向こうに、ミルキーなコクときれいな旨味が広がっていて、飲むほどに深みや彩を増していった。ひと口目から快楽がやってくる日本のラーメンとは味の現れ方がまったく違うのだ。特徴がないと感じた麺も、淡いスープと一緒にすすっていくうちに、小麦の風味がきめ細かに浮かび上がってくる。なんて繊細なバランスだろう。
麺を平らげ、スープを飲み干したあとは、深々とした感動に包まれ、しばらく宙を見ていた。
お会計のとき、下手な中国語でおばさんに話しかけると、彼女はきれいな英語で返してきた。曰く、スープは厳選した牛の骨と肉を48時間煮込んでつくっているとのこと(96時間煮込んでいる、と店主が答えているウェブ記事もある)。旨味調味料は一切入れていないらしい。
このあと2度台湾に行ったが、毎回この店を訪ね、清燉牛肉麺を食べた。そのたびに「あれ、こんなもんだったっけ?」と首をひねり、曖昧な気持ちになって靄に包まれる。でもしばらくするうちに1回目と同じように茫然と森の奥で湖を見ているのである。
この幽遠な趣は、日本のラーメンではまだ味わったことがない。こんな旨さの出し方があったんだな、と自分自身が開かれたようにすら感じているのだ。

文:石田ゆうすけ 写真:岡本寿

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。