世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
ラーメンの海外進出が遅れた理由とは?|世界のラーメン①

ラーメンの海外進出が遅れた理由とは?|世界のラーメン①

2020年6月号の第二特集は「大人の塩ラーメン」です。日本人の国民食ともいえるラーメン。今では海外でも大人気ですが少し前まで、海外でラーメンに出会うことは難しかったと、旅行作家の石田ゆうすけさんは言います。石田さんが目撃した、ラーメンの海外進出を遅らせていた原因とは――。

伸びきったインスタントラーメン

海外にいるあいだは日本食は恋しくならなかった、と前回の記事に書いたけれど、もちろん例外はある。ときおり無性に食べたくなった日本食がふたつだけあった。そうめんとラーメンだ。
メキシコでは一時期、猛暑に体が参って何も喉を通らなくなった。そのとき唯一、食べられると思い、狂おしいまでに欲したのがそうめんだ。50℃以上になる道路の上を自転車で走りながら、陽炎の向こうに流しそうめん屋の幻影を見るほどだった。
ラーメンは旅のゴールの象徴のようなものだった。無事帰国したら広島の「陽気」のラーメンを食べるというのを夢見て走っていた(旅に出る前は広島でサラリーマンをしていて、その店に通っていたのだ)。ラーメンの中毒性から来る渇望は、海外を7年まわって現地の食に慣れ親しんでも完全には消えなかった、ということかもしれない。
いまでは日本のラーメンが海外でも広まってきたが、それもここ数年のことだと思う。和食はずいぶん前から欧米で認知されていたのに、ラーメンはどうしてこんなに時間がかかったんだろう。考えてみるとちょっと不思議な気もする。水質が違うから同じ味を出せないといったような問題もあるみたいだが、それとは別に、各国をまわりながら僕なりに感じたことがあった。

アメリカの田舎でのことだ。
アメリカ人の自転車旅行者と仲良くなり、一緒に走ることになった。
ある日、彼はキャンプの夜にインスタントラーメンをつくると、火をとめてからしばらく放置した。
「なぜ食べないんだ?」と聞くと、「熱いからだ」と言う。
彼は20分くらい経ってようやく食べ始めた。麺がスープを全部吸って、汁なしそばのようになっていた。
彼らはたいてい冗談みたいに猫舌だ。ラーメンやうどんや鍋料理など、火傷しそうなほど熱い汁に浸かった何かを食べる習慣がないから、舌が慣れていないんじゃないだろうか。西洋のスープ皿が和食の吸い物のお椀、あるいはラーメンやうどんの丼なんかと比べてずっと浅いのは、熱いものを熱いまま口にすることに頓着していないことの表れ、というふうに見えなくもない。
アメリカのクラムチャウダーはどの店でもそれなりに美味という、アメリカでは珍しい料理だが、どの店も見事にぬるかった。もう少し熱くしてくれたらずっとおいしくなるのになあ、と毎回のように思ったものだ。かつてあったマクドナルドのコーヒー火傷訴訟のように、訴えられたらかなわないという店側の考えもあるのかもしれない。
この猫舌にくわえ、ラーメンが欧米になかなか浸透しなかった理由として思いあたるものがもうひとつある。

沈黙のラーメン

ベルギーの友人家族の家に居候していたときのことだ。
ある日、スーパーでインスタントラーメンを買って帰り、家のキッチンでつくらせてもらった。すると家族5人全員が僕のまわりに集まり、珍しそうにのぞき込むのだ。
いまやインスタントラーメンは世界中にある。アフリカの田舎の小さな商店でも売られている。そのわりには「食べたことがない」あるいは「食べない」という人が欧米には多い。ベルギーの友人家族も例外ではなく、みんな食べたことがないという。

ラーメンが完成し、テーブルにのせると、5人の視線が一斉に注がれた。やりづらいなと思いつつ、麺をすすると、彼らの表情が変わった。ほんの一瞬だが眉をひそめ、顔を曇らせたのだ。場の空気がどんより重くなった。
麺をすする音がNGだということに、僕もすぐに気付き、音を立てないように食べようとしたがダメだった。どれだけ慎重にやっても麺を吸い上げるときは必ずズルズルと鳴ってしまうのだ。
音を立てたら失格といったゲームにでも挑むように細心の注意を払えばできないこともないだろうが、それだと肝心のラーメンが旨くもなんともない。
ここに来て僕は初めて、麺類、それもスープやつゆなど、液体につかった麺類を音も立てずにおいしく食べるのは至難の業なのだと知った。蕎麦は音を立てて食うのが粋なんて言うけれど、粋でもなんでもなく、おいしく食べようと思ったらどうやったって音は鳴るのだ。
"ズルズル音"に対するみんなの困惑した顔に耐えられなくなり、友人に「食べてみなよ」と勧めた。友人はやはり"音を立てると失格ゲーム"に挑むようにそろりそろりと静かに食べるのである。
「それじゃ旨くないだろ。いいから音を立てて食べてみなよ。これはそういう料理なんだ。日本では音を立てるのがマナーと言われているぐらいなんだよ」
僕はなかばむきになってそう説明するのだが、友人も頑なに音を立てないぎりぎりのスピードで食べるのだ。何もそこまで、と思わせる一途さだった。
その様子を見ていると、あるいはマナーだけの話じゃないのかもしれないな、と思った。勢いよく吸い上げて食べる料理自体が欧米にはそもそもないから、やろうと思ってもできないんじゃないだろうか。スパゲティをフォークに巻き付けて食べるのも、音を鳴らさないという理由以外に、吸うのが大変だからでは......?
いずれにしても、熱いものをズルズル吸い上げるということに精神的にも身体的にも苦痛が伴うのなら、ラーメンを心から旨いと思えるまでにはやっぱりそれなりに時間がかかるだろうなあ。

――つづく。

文:石田ゆうすけ 写真:岡本寿

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。