美味しいものに出会うこともあるが、海外の和食には「愛」が足りないのではと感じた石田さん。しかし、日本から約2万キロも離れたアルゼンチンの地で、本物の「和食」の温もりに出会えました。
アルゼンチンの田舎で、ひょんなことから日系移民の養蜂家、菊池さんと知り合い、蜂蜜工場に泊めてもらった。自宅はそこから500㎞近く離れた町にあるという。寄っていきなさい、と声をかけてくれた。
広大なパンパ平原を4日かけて走り、菊池さんの家を訪ねると、きれいな白人女性が現れ、荷物満載の僕の自転車を見て目を丸くした。長男のお嫁さんらしい。ふたりの息子さんはアルゼンチン人女性と結婚し、菊池さんと一緒に暮らしていた。生まれたばかりの孫もいて、実に4世代、3家族が住む大家族だった。
末っ子である20代中頃の娘さんが仕事から帰ってくると、家族みんなにキスをしながら、その日のことを弾むようなスペイン語で報告した。みんなの笑い声が部屋中に響く。3人の子供たちは日本語がそれほど得意ではなく、普段はスペイン語で会話しているらしい。陽気なラテン気質で、雰囲気はもちろん、顔つきまで日本にいる日本人とはどこか違うような気がした。菊池さん一家はすっかりアルゼンチン人になっているのだ。
その夜、家族の食卓に呼ばれた。テーブルに並んだのは、ペヘレイ(南米の白身魚)の刺身にから揚げ、味噌汁、煮しめ、とろろ、シイタケのニンニクあえ、ラッキョウ等々、それらのご馳走に驚き、顔を上げると、菊池さんは孫に向けるようなやさしい目で僕を見ている。訊けば、ほとんど毎日和食なんだそうだ。こっちに移住し、現地に完全に同化しているように見えた菊池さん一家でも、味の嗜好や味覚は日本人のままなのだ。“食”の根の深さを見る思いだった。
海外で会ったほかの日系人を見ても、日本にいる在日の友人を見ても、民族的アイデンティティーは意外と容易に環境に染められ、生活習慣や思考形態、はては気質までも現地に同化していくのかなと感じる。最後まで頑なに“民族”に留まり続け、脈々と受け継がれていくのは、もしかしたら“食”なのかもしれない。
感心したのは、その食の文化、あるいは嗜好が、日系二世の菊池さんの子供たちだけでなく、アルゼンチン人のお嫁さんにまで引き継がれていることだった。彼女たちも和食が大好きで、豆腐、かまぼこ、こんにゃく等々、すべて自分でつくるというのだ。日本人より和食に精通しているではないか。
全員がテーブルに着くと、みんなで手を合わせ、「イタダキマス」と日本語で言った。その唱和の声や光景に痺れながら、味噌汁をひと口すすると、煮干しの出汁と味噌の馥郁たる香りが口内に広がっていった。胸の奥でアッと小さく声を上げ、思わず目を閉じた。自分の背後から、糸のように細い道が延々と後方へのびていくのを感じた。これまでたどってきた道だ。気が遠くなるような長さで、故郷につながっていた。日だまりのような熱が体の奥から膨れ上がってきた。ああ、この温もりから、自分はなんと久しく遠ざかっていたんだろう……。
目を開けると、みんながこっちを見て微笑んでいた。僕はうるんだ目を照れ笑いでごまかしながら、ひと口ひと口、味噌汁を大事にすすっていった。
文・写真:石田ゆうすけ