2020年5月号の第一特集「ひとり呑み」をテーマに旅行作家の石田ゆうすけさんに、海外のひとり呑みについて語ってもらいました。石田さんが友人に連れられて訪れた自慢のパブとは?
『dancyu』本誌の特集に沿って、僕が世界で体験してきたことを綴る、という新連載だ。今月のお題は「ひとり呑み」と「粥」。
「粥」はネタがたくさんあるから先に書いたが、一方の「ひとり呑み」……開始早々いきなり難題だよなあ。
「海外、ひとり呑み」で検索してみると、思ったとおり、出るわ出るわ、「フランス人が驚いた日本人のひとり呑み文化」だの「デンマークではひとり呑みはひとりディズニーよりヘン」だの。作家の角田光代さんも、海外と比べると日本は女性のひとり呑みに理解がある云々、と寄稿している。
じゃあ、海外ではひとりで飲んでいる人をまったく見ないのか、というとそんなこともない。イギリスの大衆酒場パブでは、お年寄りが昼間からひとりでビールを飲み、新聞を読んでいる。でもその様子は“ひとり呑み”というより、喫茶店でコーヒーを飲んでいる姿に近い。パブ文化のあるアイルランドも同様だ。
日本でもすっかりおなじみになったスペインのバルは、料理がたくさんあるため、食堂代わりに利用する人もいる。バルセロナのバルで飲んでいると、きれいなお姉さんがひとりで入ってきて、サッとタパス(小皿料理)をつまみ、赤ワインを引っかけ出ていった、というシーンを友人は見たらしい。僕も男性のひとり客は何度か見たが、その様子はやはり単なる食事で、ひとりで“呑む”ことを目的に来ている風ではなかった。
また、欧州に限らず、アメリカ、中南米、アフリカといった、欧州の文化が下敷きになった地域だと、田舎の小さな村にもたいてい一軒の酒場があり、ひとりで来る客もいる。でもひとりで飲みたいからじゃなく、店主や友人に会いにきているという感じだ。田舎の酒場には集会場のような性質がある。
ついでにいうと、中東は宗教上の理由で酒場がない、はずなのだが、実はある。これは書きだすと長くなるので割愛。中国や韓国、東南アジアでは人々は食堂で飲んでいたが、そこではひとりで飲んでいる人はほとんど見なかった。
居酒屋やバーであえてひとり、誰にも気兼ねなく、静かにしみじみ、という飲み方を“ひとり呑み”とするなら、それが雑誌の特集になるのは、やはり日本ぐらいのような気がするのだ。控えめで、ワビサビをよき情趣と捉える感性が、“ひとり呑み文化”の底に流れているんじゃないかなと思うのだが、どうだろう?もしかしたらCMやドラマの影響もあるかもしれない。バーの片隅でひとり、グラスを傾ける。そんなシーンが昔から繰り返し流されてきた。あたかもそれが洗練された大人の飲み方のように。バーはそういうところといわんばかりに。あるいは欧米流のつもりだったのかもしれない。でも“ひとり呑み”が欧米、あるいは海外で一般的だとは、僕には思えなかった。それどころか逆に、なぜそこまで大勢で飲みたがるのだろう、と首をひねりたくなることばかりだったのだ。
ロンドンでのことだ。この町では旅を休んで家を間借りし、半年間働きながら普通に暮らしていた。ある日、イギリス人の友人から飲みにいこうと誘われた。相談があるらしい。
イギリスは雨や曇りの日が多く、人々は皮肉屋で、ラテンのまっすぐな明るさとは対照的で、日本人のシャイな性質とは合うイメージがある。
僕を誘った友人は、いつも深刻な顔をした、どちらかというと暗い男だった。その彼が「いいパブがあるんだ」という。
そのパブを見た瞬間、「は?」と固まった。立ち飲みの客でごった返し、立錐の余地もないのだ。騒がしくて会話もままならない。全員が大声で話すからますますやかましい。またこれかよ、と少々うんざりしてしまった。イギリス人と飲みにいくと、たいていこんな店だ。混んでいる店でわいわい飲むのがどうも好きらしい。
でもこの日、僕を誘った彼は相談したいと言っていたのだ。何もこんな店を選ばなくたって。
彼が何か言ってきた。
「えっ、なんだって?」
大声で訊き返すと、彼も大声で言った。
「いい店だろ!」
どこがじゃ!
それでも何か相談された気はするのだが、どんな話だったのか。
あるいは何も聞こえなかったから、記憶にないだけかもしれない。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ