東南アジア、中国、東欧と各国のお粥を食べ歩いた石田ゆうすけさんは、日本のお粥事情に疑問を持ったとのこと。石田さんがたどり着いたお粥の真実(?)をご覧ください!
ロシアや東欧ではソバの実でつくる“カーシャ”という粥が食べられている。モチモチした食感にソバの香り。これはこれで悪くないが、麺の蕎麦を食べ慣れている僕にはほんの少し違和感があった。
友達になったチェコ人の家に居候したときは、粉チーズが一面にかけられたカーシャが出てきて、食べるのに少々苦労した。ソバの実の食感と香り、それらと粉チーズが喧嘩している気がしてならなかったのだ。もちろん彼らチェコ人はそんな風には感じないようで、それどころか好相性と捉えているようだった。
ロシアは未訪なのだが、ロシア人はカーシャに目がないという話を、日本在住のロシア人翻訳家から聞いた。
「なかでもキノコカーシャはスペシャルだ。毒キノコで毎年ロシア人は何人も死ぬんだが、それでもやめられない」と、ややアクの強い彼はその旨さを独特の表現で語った。自分用のカーシャのためにわざわざソバの実をロシアから輸入しているとも言う。
ふと興が湧き、「日本の麺の蕎麦はどう思う?」と訊いてみた。20年以上日本で暮らして帰化までした日本びいきの彼は、顔をしかめ、「サイアク」と言った。
「なぜわざわざ粉にして麺なんかにするんだ?バカじゃないのか?ソバに全然合わないあんなつゆにつけて。ほんとサイアク。俺は日本蕎麦なんて絶対食べない。まずすぎる。ソバは粥だ」
僕が東欧でソバ粥を食べたときに抱いた違和感を、彼はそっくり日本蕎麦に抱いているようだった(彼のほうは違和感というより、拒絶という感じだったが)。
こうして世界を見ると、粥はずいぶんとバラエティに富んでいて、盛んに食べられている。
翻って、日本ではなぜ粥料理があまり発展しなかったんだろう。もちろん、茶粥、温泉粥、七草粥、といろいろあるし、精進料理の主食だったりするんだけれど、一部の人や地域をのぞけば、日常的ではない気がする。日本で粥といえば、一般的にはやっぱり疾病時の食べものと思われているんじゃないだろうか。きっとあの味のせいだろうな、と子供の頃食べた粥を頭に描いていたのだが、そのぼんやりしたイメージが、実は最近覆ったのだ。
去年生まれた娘の離乳食に、妻がつくったお粥をひと口もらったときだった。あれ?と思った。悪くない。いや、むしろ旨い。そっか、生米から炊いたらやっぱり旨いんだ。漠然とそうは思っていたが、こんなに違うんだな。東南アジアや中国の粥が別次元に感じられたのは、出汁や具だけじゃなく、この製法が原因だったんだ。いまごろになってはっきりそう感じたのだが、でも日本にも生米から炊く粥は昔からあったはずで、日本で粥が発展しなかった説明にはなっていない。なんでなんだろう?
ん?もしかして……戦中戦後やそれ以前の日本では、粥は食うにも困るような貧しい食事と考えられていたからじゃ……?その刷り込みが深層心理に働いて粥料理の発展を妨げた?
ま、あくまで思いつきだし、そもそもの仮定が間違っているかもしれないんだけれど、ただ、美味なるものとして広がり、人々の日常に浸透している世界の粥を見ると、日本の粥ってちょっと特殊な感じがするんですよね。
文:石田ゆうすけ 写真:平松唯加子