旅行作家の石田ゆうすけさんに、本誌の特集テーマに関連した世界中の「食」の思い出を語ってもらいます!第一弾は2020年5月号第二特集テーマの「お粥」です。もともとお粥が苦手だった石田さんの意識を変えた一杯とは?
世界を旅してから粥が好きになったのだが、もともとは大の苦手だった。病人食の印象が強かったからだと思う。子どもの頃、しょっちゅう下痢や風邪を患い、粥を食べさせられた。
僕の郷里和歌山にはほうじ茶で米を炊いた「茶粥」というものがあって、あれはなかなかいいものだが、我が家では出なかった。母は三重県出身なのだ。
母が病弱の僕にさんざん食べさせたのは、普通に炊いたご飯からつくる「入れ粥」だった。生米から炊いた粥に比べ、味は数段落ちるといわれる。
開高健の紀行に、東南アジアのどこかの国で豚の内臓や血の塊が入った粥をうまそうに食べる描写があるのだが、読んだときは気持ち悪くなった。その頃、僕はたしか高校生で、モツも苦手だったから(今ではこれも大好きだが)、「粥に内蔵って、なんの罰ゲームだ?」と思った。
十数年後、タイのバンコクを歩いているとき、ひときわにぎわっている露店があった。覗いてみると、粥だ。あまりそそられないが、その混みっぷりや店の雰囲気が気になり、試しに一杯注文してみた。
目の前に出されるとすごい量だ。こんなに粥が食えるかよ、と思った。しかもいろいろ入っている。とぐろを巻いたのや、ビラビラ黒いのや、レバー色のプリン状のもの(血の塊。ほぼ無味無臭)。
ひゃあ、これのことか。
読書の記憶がよみがえってきた。
おそるおそる、ズズ、と食べてみる。あれ?
もうひとさじ、ズズ。ええ、なんで?
日本で食べていたのと全然違う。糊のように軟らかく炊かれていて、米粒はほとんど感じられない。ふわふわした滑らかな舌ざわりにふっくらした甘み。粥って、消化をよくするためだけやなかったんや。ズズ、ズズズズ、ああ、粥って、粥って、旨さを追求した形やったんや――心の内でそう叫びながら、僕は夢中でかっこんでいた。
でもなんでこんなに違うんだろう。炊かれ方の差もあるだろうけど、出汁かな、やっぱり。鶏ガラだろうか。モツの滋味もたっぷり出ていそうだ。臭みなんか微塵もない。開高健の本を読んだときはなんで粥にモツ?と首を傾げたが、やっと合点がいった。食感の効果も大きいのだ。ふわふわの粥に、コリコリ、クチュクチュ、ムニムニ、モツは何種類も入っていて、スプーンに何がのるかで食感が次々に変わる。「食えるかよ」と思った丼いっぱいの粥をぺろりと平らげた。
――つづく。
文:石田ゆうすけ 写真:福尾美雪