春、夏、冬。休みになるとJRが発売する青春18きっぷ。「2019年、夏の九州旅」「2019年、冬の東北旅」に続く「2020年、春の東海旅」が始まります。
青春18きっぷの旅ではローカルな場所を目指したくなるものだが、今回は愛知県で5番目に大きな都市、豊橋市に行くことにした。「ヤマサちくわ本店」があるからだ。
福岡市育ちの僕はさつま揚げやゴボ天などの練り物が好物で、中でもちくわには子供の頃から世話になってきた。油に頼らず、すり身を竹の棒に巻いて焼く(蒸すタイプもある)シンプルな製法なので飽きにくい。空洞のところにキュウリやチーズを入れるひと工夫で、弁当のおかずや酒のつまみとしても活躍してくれる。
練り物の専門店は全国各地にあり、名の通った店はどこもおいしいのだが、僕がヤマサに一目置くのは、正式名称に<ちくわ>が入っているから。かまぼこもあれば揚げ物もある。だけどヤマサをヤマサたらしめる看板商品はちくわなのだと社名で明言しているところに、並々ならぬ自信と覚悟を感じてしまうのだ。ぜひ本店詣でをしてみたい。
豊橋には気になる物件がほかにもある。町を挙げて、カレーうどんを売出し中なのだ。さらに、近郊にコンビニ駄菓子の雄、ブラックサンダーを生み出した有楽製菓豊橋夢工場まであるというではないか。こんな三本柱が揃ったら、もう行くしかない。
出発は午前7時42分、東京発の東海道線熱海行き。同行者は18きっぷシリーズの相棒である写真家の中川カンゴローと、編集部の河野大治朗だが、我々がまずしたことは、寝不足をカバーするための居眠りであった。平日とあって車内はそこそこ混んでおり、東京で買ったサンドイッチを頬張ることもできないのだ。
熱海で乗り換えて約1時間。2度目の乗り換え興津で、次の電車が来るまでの9分間を利用して改札の外に出る。取り立てて観光名所もないのに若い女性グループが浮き浮きと街歩きしているのは「ラブライブ!」の聖地でもあるのだろうか……(よくわかってない)。
カンゴローからこの先の駅で途中下車しようと提案が。浜松の手前にある袋井に「たまごふわふわ」という興味深い名前の食べ物があるから寄っていかないかという。
「江戸時代からあって、茶碗蒸しの原型らしいよ」
「それは食べてみたいですね。袋井で昼食にしましょう」
すぐに大治朗がのってきて、謎深いたまごふわふわに挑むことになった。
情報収集のために入った駅前の観光案内所に置かれたパンフレットを読むと、袋井は東海道の宿場町として発展し、53次の中で27番目、ちょうど中間の宿。武士や豪商の朝食の膳に載ったたまごふわふわは、セレブ料理として人気を博したと書かれている。当時の味を再現した店のガイドはもちろん、<たまごふわふわキャラクター ふわ之介>までつくって、江戸時代の名物料理を売り出す気満々だ。ちなみに、たまごふわふわの名称はいかにも町おこしのためにつけられた感じがするが、江戸時代の文献に書かれたものをそのまま使っているらしい。
我々が入った店は創業約90年の「遠州味処 とりや茶屋」。400円のたまごふわふわを人数分と、定食や海鮮丼を各自注文した。“名物に旨い物なし”という。正直な気持ちとしては、確実に旨いであろう魚介類を堪能できればそれでいいと思っていた。
ところが、ここで嬉しい誤算。たまごふわふわ、不思議な食感と独特の風味で我々を唸らせたのである。珍しいだけじゃなくて実力も備えているのだ。
よく泡立てた卵の白身に黄身を加え、出汁をとった熱いスープに流し込み、蓋をして10秒。ふわりと盛り上がった白身はまさにふわふわで、卵1個とは思えないほどのボリュームを生み出す。
三代目主人の松下善行さんによると「メレンゲになる手前でかきまぜるのを止めるから、機械ではさじ加減が難しく、ひとつずつ手づくりしている」とのことだ。スープの出汁は鰹節、昆布などで丁寧にとり、この味わいが各店の個性になっているそうだ。
「長らく途絶えていましたが、ご当時グルメイベントが始まった2004年に、袋井にも名物が欲しいと復活させました。学者の方と共同で文献を漁り、こうだったのではないかという味にたどりついたんです」
当初、5〜6軒で提供されていたたまごふわふわだったが、好評に付き店舗を増やし、いまでは袋井市内の20軒ほどに増えている。
「たまごふわふわの創作メニューを出す店もありますので、時間があればぜひ寄ってみてください」
松下さんの推薦を受けて向かったのが袋井駅前の「ふるさと銘菓いとう」。ここで食べた「たまごふわふわ半熟チーズケーキ」がこれまたお世辞抜きで旨かった。
袋井、大当たりではないか。まいったなあ。豊橋で待ち受けるカレーうどんと渡り合うためにも腹八部目に抑えたかったのに、すでに満腹だよ。僕とカンゴローのオヤジコンビは食が細いほうなのだ。
「任せてください。いざとなったらボクがトロさんやカンゴローさんの分も平らげます!」
大治朗が、そのために来たのだと言わんばかりに胸を張った。
「この1年で、体重が20kg増えました。食べ過ぎです。いくらでも入るんです」
それ、自慢になるか?という声を無視して、豊橋につくまでの車中をカレーうどん店の研究に費やした大治朗は、行くべき店を決めたようだ。
「まずは大本命のヤマサを下見してからホテルにチェックインし、豊橋うどんの名店である『勢川』を攻めましょう」
――つづく。
文:北尾トロ 写真:中川カンゴロー