青春18きっぷを使って、東京からのんびりと愛知県豊橋市へ。目当ては「ヤマサちくわ本店」の特選ちくわ!......と、その前に豊橋の推しメン「カレーうどん」が気になります。
「ヤマサちくわ本店」は、豊橋の駅から徒歩15分ほどの魚町という場所にあった。魚介の鮮度が良いことで有名な、食品スーパーの「サンヨネ魚町本店」や佃煮専門店が軒を並べている。この場所に本店がある「ヤマサちくわ」も、魚屋から商売を始めて練り物屋に転じた歴史を持っている。創業は文政10(1827)年。堂々の老舗だ。
購入したちくわは要冷蔵なので、明朝に受け取りに来ることにした。いったん宿泊予定のホテルへ行き、午後7時半にカレーうどんを食べるべく「勢川」で再び集合することになった。
約束の時間にカンゴローと店へ行くと、すでに大治朗がやる気満々の顔でスタンバイしていた。
「さあ、何を食べますか?”豊橋うどん”を謳っている店の100%が自家製麺を使っているようです。カレーうどん以外にもいろいろありますよ」
「ヤマサちくわ」でつまみ食いもしたというのに、ホテルのチェックインを済ませてから腹ごなしに繁華街を散歩し、コンディションを整えてきたようだ。
威勢がいいのは大治朗だけではない。三代目店主の新美晴久さんと三人の息子たちが厨房狭しと動き回っている。「勢川」の雰囲気に活気がみなぎっているのだ。では、豊橋麺類組合理事長も務める晴久さんの口から、「豊橋カレーうどん」とは何かを説明していただこう。
「もう10年になるかな。豊橋のうどんをもっと知ってもらうために新メニューをつくろうちゅう話になって、みんなで考えたの。その結果、ごはんの上に山芋を乗せて、その上にカレーうどんを注いだ新メニューを……」
ちょっと待ってください。ということは、うどんとごはんが同居しているのですか?
「カレーうどんを食べると、器に残ったカレーで雑炊とかしたくなるでしょ。じゃあ、それをつくろうとなったの。ごはんとうどんが混ざるといけないので、山芋で覆ってみたわけ」
カレーが侵食しないように山芋をシートのようにかぶせた?
「そう!一杯で二度楽しめるのが特徴です。まあ食べたらわかるから」
あとは何を頼もうか。豊橋は名古屋文化圏だから……。
「にかけうどん、旨いよ」
豊橋のソウルフードである「にかけうどん」とは、安価で手に入りやすい油揚げやかまぼこがのった、鰹節たっぷりの温うどんだ。
「そうなると、味噌煮込みうどんも食べたくなるね」
岐阜出身のカンゴローは得意種目で勝負。これで三品が決まった。
さて、カレーうどんはどうだったか。僕が注目したのはカレーと山芋の相性だったが、心配には及ばなかった。強力な味と香りで丼を支配するカレーの前では山芋などおとなしい存在なのか、カレーからごはんを守る壁役に徹している。
麺は時間が経過してもコシを保ち、さすが自家製麺といったところ。すでに完成されているカレーうどんだが、やはり真価を発揮するのは山芋の下にあるごはんとカレーを混ぜて食す後半戦。二段構えのトリッキーな仕掛けに、わかっていても意表を突かれてしまう。
豊橋カレーうどんは5つのルールがある。
まず、自家製麺であること。
器の底からごはん→とろろ→カレーうどんの順に入れること。
豊橋産うずら卵を使うこと。
福神漬か壺漬、紅生姜を添えること。
そして愛情を持ってつくること。
「あとは自由だから、店ごとに違いも出て、50店舗ほどある提供店をコンプリートする熱心なファンもいるよ」
旨かった。量も多くて食べきれない分は、約束どおりに大治朗があっという間に平らげてくれた。たまごふわふわから豊橋カレーうどんまで、初日の流れはカンペキだ。
翌朝はほとんど毎日のように市内各所で行われている朝市をぶらぶらしてみた。目立つのは野菜、果物、花。海産物から農作物まで、豊橋は自然に恵まれた環境であることがよくわかる。
生産量日本一というキャベツを勧められたが、あまりにもかさばるのでぐっとこらえ、地元産キウイと清美みかんを買って朝7時から営業中の「ヤマサちくわ」に向かう。
「本店の重みがあるよね」とカンゴローが言う。
昨日も思ったが、”ちくわ”や”かまぼこ”といった主力商品名と鯛のマークが目に飛び込んでくる、実に風格のある店構えなのだ。
温度管理されたショーケースの中には、ちくわ各種、かまぼこ、練り物が行儀よく並び、どれも食指が動くが、僕の本命はちくわなので、一番人気の「特選ちくわ」に食らいつく。
むちっ、むぎゅ。
「う、ま」
ぷりぷりした歯応えと、押し返してくるような弾力性。スーパーで売っている低価格のものとは比べ物にならない密度の高さ。程よい皮の焼き加減。これこそが本物のちくわだと僕は言いたい。いったい何が違うのか、店の人に訊いてみた。
「原材料です」
ちくわは魚の原材料がたっぷり入っているかどうかが、味の決め手だとあっさり返された。定番の特選ちくわはイシモチ(グチ)、エソ、ハモが主原料とのこと。
でもなぜ、魚屋から転身したのだろう。豊橋では昔から練り物が盛んだったのだろうか。
「創業者が香川県の金比羅山にお参りに行ったとき、ちくわを食べて感激し、自分でもつくり始めたと伝えられています」
地域間の交流が限定されていた江戸時代、本場四国の練り物に触れて「これだ!」と閃いたのだろうなあ。以降はこの道一筋に製造の技を磨き、日本を代表するちくわメーカーになった。
「このままかぶりついても十分旨いけど、わさびと醤油で食べたら止まらなくなるよ」
カンゴローの一言に、ピシッと締まった味を想像し、もうひと口かぶりつく大治朗と僕。朝っぱらかな何をはしゃいでいるのだ我々は。
「ちくわのことは何も知らなかったのですが、いろいろな人に食べさせたいホンモノの味ですね。買い足しましょう。『鯛ちくわ』と『ホタテちくわ』もください」
ちょっとはかまぼこや、ほかの練り物も食べればいいのに頭の中がちくわでいっぱいになり、そんな余裕はないのである。
土産用に買った特製ちくわの詰め合わせには本店シールが貼られていた。豊橋では「ヤマサちくわ」の商品を手土産にするとき、本店で買うのが気が利いていると教わったことがある。このシールを見て、もらった側には、わざわざ本店まで行ったことが伝わるわけだ。
――つづく。
文:北尾トロ 写真:中川カンゴロー