敬愛する太宰治の面影を求め、北尾トロさんが津軽鉄道で金木へと向かいます。駅に着くなり、予想外の事態に予定の変更を余儀なくされます。レールから外れた旅では、思いがけない出会いがありました。
旅の最終日は津軽鉄道で五所川原から金木まで往復し、帰京するスケジュール。
胃袋的にはすでに満足したので、太宰の生家を見学し、“太宰ラーメン(彼の好物だった根曲がり竹とわかめを具にしたもの)”でも食べようかと思っていた。
だがしかし、予定は金木で下車して10分後に変更される。
......寒かったのだ。とてつもなく。昨夜の積雪で道が滑りやすく、一歩ずつ慎重に歩くのだが、分刻みで体が冷えてくる。休憩しようにも喫茶店はない。と、目の前にラーメンと書かれた真っ赤なのれんが出ているではないか。え、まだ10時かそこらなのにやってるの?
僕は数年前から、消えゆく昭和の食文化を記録すべく、町中華探検隊を結成し、これはと思う店にはまず入ってみるのが習慣になっている。
店の名は「丸一食堂」。道路の反対側から眺めると、佇まいはだいぶ年季が入っていて、入り口の小ささも町中華そのものである。
まさかの朝ラーかよと思ったが、ふらふらと入ってしまった。店主らしきジャンパー姿のオヤジがいたので「いいの?」と訊くと無言で頷き、奥から女将さんも出てきた。ネギラーメンを注文。ストーブの前で手をこすり合わせていたら、座敷席を勧められたのでブーツを脱いでくつろぐ。
座敷席はたしかに客用のスペースなのだけれど、同時に家族が使う部屋でもあるらしく、壁一面に写真が飾られ、子どもや孫たちの連絡先まで目につくところに貼られていた。たぶん2階が住居で店が終われば、客様の座敷が居間となるのだ。
シブい、シブすぎる。
ネギラーメンは甘味のあるみそ味で、津軽の風土によくマッチしている。食べている途中で注文が入り、店主は出前に行ってしまった。女将さんによれば、ひとり暮らしの高齢者が、出前を取るのだという。なるほど、だから朝から営業するのか。
「そういうわけでもないんです。お父さんは朝起きたらすぐにのれんを出しちゃうんですよ」
起きたときから営業開始なんだ。
「フフフ、適当なんです。終わりも、疲れたら店を閉めちゃうのね」
店が創業して40年の歴史にあるが、それ以前、ここは理髪店だったそうだ。
「店舗を借りることになったとき、洗髪する台があったの。なんでも、太宰治さんも通った店だったそうですよ」
町中華で太宰とつながるなんて!
気を良くして「斜陽館」を見学した我々は、さらなる発見を求め、通りすがりの人に道を尋ねながら、とあるスーパーを探した。
津軽鉄道の乗務員・阿部美紀さんから、地元スーパー「食祭館 中谷」に、ほかの県からも客が買いに来る焼肉のたれがあると聞き込んだのだ。いまここで焼肉のたれを入手したいかと問われたら、そうでもないと答えるしかないが、今日はこういう流れなのである。
期待は裏切られなかった。「食祭館 中谷」の売り場にはオリジナル商品が並び、とりわけ野菜の値段が安い店だった。地方スーパーにしかない魅力だ。そして焼肉のたれは特設コーナーに山積み。もともと人気焼き肉店だった店が、スーパーを開業したとのことで、秘伝のたれは伊達じゃないのだ。
地図を見ると、金木に戻るより、ひと駅先の芦野公園のほうが近い。運のいいことに喫茶店もあるようだ。
「よく乗り、よく食べ、よく歩いた。オヤジふたり、がんばったよ、うん」
本日一杯目のコーヒーを味わいながらカンゴローが言う。
がんばったから褒美もある。つぎの五所川原行きは、津軽鉄道名物のストーブ列車なのだ。
喜んで乗り込んだら、行きの電車でも話をした安倍さんから「焼き肉のたれは見つかりましたか」と声を掛けられた。
「丸一食堂」の話をしたら「いい店ですよね。でも、やめられてしまうと聞いています」と沿線事情に詳しい。残念だなあ。
でも、店が閉まる前にギリギリ間に合って良かったですよ。
阿部さんがストーブの上でイカを焼き始め、いい匂いが車内を満たした。僕も旅の締めくくりに、喫茶店で買ってきた鹿まんを食べることにしたら、それを見ていた阿部さんが言った。
「家にお戻りになったら、にんにくバッチリの中谷さんのたれで焼肉を食べて、津軽のことを思い出してくださいね」
おわり。
文:北尾トロ 写真:中川カンゴロー