2020年4月1日。新御徒町の「真澄」が新装オープンする。何かと物騒な世の中で、何とも嬉しいニュースである。そこに至るまでのステップを綴りながら、明日を待つ。町の酒場が1年ちょっと振りに復活を果たす。いやぁ、めでたい。
5階建ての真澄ビルの輪郭が出来上がり、「上棟式」が屋上にて執り行われた。
まだ電気は通っておらず、エレベーターもこれから設置するところなので、階段を上っていく。
5月の地鎮祭と同じく、下谷神社の宮司さん、工事を請け負う建設会社の方々、電気系統と配管の工事を請け負う業者さん、そして「真澄」一家。
「お清めの順番は、東、南、西、北。四隅に、塩とお米とお酒を撒きます。みんな撒き終わったら、そこに向かって二礼二拍手一礼で」
なにもかもぴかぴかの中、ひとつだけ年季の入ったものがあった。幣串。以前の「真澄」を建てたとき、屋根裏に据えておいたものだという。
「今度、100年後くらいにこの建物を壊すときに、また出します」と建設会社の方が言う。ずいぶん先の「今度」だなあと思う。そして、建物の寿命は、私たちよりも長いのだと。
屋上をビアガーデンにしたらどうですか、と、晴江さんに持ちかけてみる。「いいかもしんないね。借金返済の道が開ける」と軽妙に返してくれたものの、ここは子供たちの遊び場になることが決まっているらしかった。「まあ、意外と遊ばないんだろうけど」というクールなひと言も付け加えることを忘れない晴江さんだった。
「真澄」をいったん閉めてからというもの、茂夫さんはけっこうな頻度でゴルフに行っているという。
「月に5回よ」眉をひそめつつ、晴江さんは言う。
「多いときだよ5回は。いつもは2、3回」と返す茂夫さん。ともかく、お元気でいることがわかって、よかった。
真澄ビルの1階正面に、見知った形の、可愛らしいふぐの看板が出ていた。「真澄」は創業時はふぐの店だったという話を聞いたのはちょうど1年前だった。それから今日まで、あっという間、とは思わない。見知ったふぐの姿を目にすると、もう3年は経ったのではというくらいの濃度の懐かしさが胸中を満たす。
ただ、よく見てみると、昨春までここにあった看板よりも小さく、平べったいようだ。デザインは変えずに新調したということか。
看板の横の引き戸を開けると、その中にはこれから新生「真澄」になろうとする空間があった。
印象はといえば、長~い。
以前の「真澄」は、暖簾をくぐるとすぐそこにL字型カウンターの短いほうの辺に向かう人の背中があった。鰻の寝床スタイルになった新生「真澄」では、カウンターと入口の間に幾つもテーブルが置かれている。面積が、奥に長く伸びたぶん、20席増えるそうだ。
1年前に書いていたこと、「未来予想図としては、ここに5階建てのビルができることになる。「真澄」はその1階。小上がりがなくなってすべてテーブル席になり、ちょっと広くなるらしい」との設計図は変更されることなく、そのままここにお店が立ち上がった。
そのいちばん奥に祭壇が置かれ、再び、昨秋の上棟式とほぼ同じ顔ぶれが集まって「竣工式」が執り行われた。
「これからは新装開店に向かって、居酒屋『真澄』として頑張ってまいりますので、皆様どうぞよろしくお願いいたします」との、茂夫さんの挨拶は、いよいよ開店、という静かな気合いを感じさせるものだった。
厨房を囲むスタイルのL字型カウンターがお店のちょうど中心に位置しているせいか、テーブルや椅子はまだ積まれたままで並べられるのを待っている状態だからか、つい、カウンターの近くに寄って行ってしまう私。前の店でもたいていはそこに腰掛けていたからかもしれない。
カウンターの上にある、ネタケースの中に、使い込まれた包丁や下ろし金が大事そうに並べられていた。お玉や菜箸などの他の調理道具とは違って、新しくぴかぴかであることよりも手に馴染んでいることのほうが尊ばれる商売道具。とりあえず出しただけだよ、と茂夫さんは言うが、聞いてみると、たとえば下ろし金は目立て直しをしながら長いこと使っているという。昭和からというから、つまり30年は超えている。
「道具は、ちゃんと使えば安いもんだよ、日割りすればね。昭和だもん」
この撮影のためにと、開店より一足先に出してもらった暖簾もそうだ。昭和の時代、ご近所の「田原屋」に注文したものをずっと使っている。この白色以外にも2枚、色違いで3枚あり、10万円はくだらないそうだ。
ちなみに、ぐるりと見渡した中に目立った新品はといえば、テレビが2台。
新装開店は春の盛りの大安の日を予定しているとのこと。
「わざわざ仏滅にやることないからね。おれはそういうの感じないほうだけど、感じる人、多いよね」
おしまい。
文:木村衣有子 写真:金子山