長野県は上田市にある「拉麺酒房 熊人(くまじん)」は知る人ぞ知るマニアックなラーメン店。お世辞にも好立地とは言えないけれど、「一度は食べてみたい」と全国から多くのラーメン好きが訪れる。初回は「熊人」の自家製麺のお話。
2005年10月。「拉麺酒房 熊人(くまじん)」は竹を使って手作業で麺を打つ“青竹手打ち”に徹する気鋭のラーメン店として、長野県上田市に誕生した。「最初の5年ぐらいは完全手打ちでやっていましたね」と話す小合沢健(こあいざわたけし)さんは、私が“変態”と仰ぐ超マニアックなラーメン店主。聞けば、当時の手打ち麺の加水率は、なんと60%だったとか。一般的なラーメンの加水率が30~40%程度であることからも、この数字がいかに突出したものだったかが分かる。
ラーメンとしては異例ともいえる“超多加水麺”にこだわった理由は、「多加水麺ならではのソフトな食感を出したくて。もちもちとしていてスープがのりやすいところが好きなんですよ」と、その魅力を嬉しそうに話してくれた。
熟成後に増す麺の風味や食感の良さを追求した結果、加水率60%という類い希なる超多加水手打ち麺にたどり着いたそう。それを可能にするのが、青竹手打ち麺だったというわけだ。それにしても、うどんの加水率ですら40~50%が標準だというのだから、突き抜けるにもほどがある。
小合沢さんがつくるラーメンは、まるで蕎麦のような佇まい。派手さはないけれど、独特のオーラをまとっている。シンプルながらも――いや、シンプルだからこそ「俺の麺を食ってみろ!」と言わんばかりの絶対的な自信がビシビシ伝わってくるのだ。青竹手打ちを貫いていた当時は昼のみの営業に限られ、提供杯数も50食と限定されていたことから、「熊人」のラーメンは知る人ぞ知る幻の味としてマニアたちの間で名を馳せていった。
10年ほど前から、店では製麺機を導入。と言っても同店の製麺機は、切り出し以外はほぼ手作業で行う手打ち式だ。通常よりも手のかかる面倒な機械をあえて採用しているのも、小合沢さんが理想とする超多加水麺のため。「包丁で切り出すスタイルなので、水分量の多い生地でも麺線にすることができるんです」。いまは4種類の自家製麺を展開しているが、どの麺も加水率は55%程度だそう。ちなみに、私は15年近くラーメン店の取材をしているけれど、このタイプの製麺機を使っているラーメン店には、「熊人」を含めてまだ3軒しか出合ったことがない。
細麺、中太麺、太麺には、長野県産の強力粉「夢かおり」と「ハナマンテン」がブレンドされた「華梓」を使っている。「こだわりの強い小合沢さんのことだから、小麦粉はてっきり店で独自ブレンドをしているのかと思っていました」と伝えると、「味や仕上がりにブレが出るから、店では小麦粉をブレンドしないと決めているんです」との返答が。なるほど。麺のおいしさを追求する小合沢さんにとっては、“自分で粉をブレンドしない”ことがこだわりなのか。
実は、粗挽き麺に使う自家製粉用の小麦も、「華梓」にブレンドされている「夢かおり」。長野県産小麦を貫く同店では、あえてほかの銘柄のものは使わないと決めている。小麦の配合や組み合わせれば麺の特徴は容易に変えられるけれど、それをしないのも小合沢さんのこだわり。「同じ小麦を使っていても、太さやかんすいの量を変えるだけで味や食感は変えられるんですよ」。熊人では、趣のまったく異なる4種類の麺で、奥深き麺の世界を体現している。
4つの自家製麺を持つ「熊人」では、スープによって推奨する麺を変えている。いや、麺の個性を引き立てるべく、スープの組み合わせを変えていると言った方が正しいかもしれない。たとえば、全卵入りの風味豊かな細麺には、それにも負けない芳醇な香りの特選醤油を合わせた「醤油拉麺」を推奨。卵を使わず、小麦の風味を全面に押し出した粗挽き麺には、その味を邪魔しない「淡口醤油拉麺」、もちもちとした食感中太麺には、とろりとスープが絡む「特濃鶏白湯」、太さ5mmはあろうかという太麺には、主に味噌ラーメンを合わせることを推奨している。
それにしても、口の中で暴れ回るほど元気いっぱいの太麺と、のど越しの良いつるつるの細麺が同じ材料でできていると聞いてびっくり仰天。「太さや形状が違うだけで、麺の印象がガラリと変わるからおもしろいですよね。ちなみに、かん水の量が多いと麺が硬くなるので、太麺の方は細麺の半量のかん水で打ち、柔らかめに仕立てているんです」。こんなところにも麺にかける想いが光る。
ひととおり麺の話を聞いたところで、「さてと」とおもむろに腕まくりをする小合沢さん。「今日は特別に手打ちの麺をつくってあげましょう」。いまや幻と化した、伝説の青竹手打ち麺と再び対面できるとはなんたる幸運!役得に感謝!
生地が大きくなってきたら折りたたみ、いよいよお待ちかねの青竹打ちの作業を開始。カコン、カコンという青竹で麺を鍛える時の音と、体重をかけた時にギシッ、ギシッときしむ台の音が製麺室に響き渡る。
久しぶりにいただいた青竹手打ち麺は、ソフトながらもしっかりコシがある印象だった。
「ゆであがった麺はどんどん柔らかくなってくるので、できれば提供から5分以内で召し上がってほしいですね」
慌てて麺をすする私。次にいつこの青竹手打ち麺と再会できるかは分からないけれど、小合沢さんが麺にかける並々ならぬその想いは、しかとこの胃袋で受け止めましたよ!
――つづく。
文:松井さおり 写真:平松マキ