長野県上田市にある「拉麺酒房 熊人(くまじん)」のラーメンは実にシンプル。でも、そのシンプルの裏には、驚くほどの手間ひまが隠されている。最終回となる今回は、細部まで決して手を抜くことのない“トッピング”のお話。
「拉麺酒房 熊人(くまじん)」のラーメンはとてもシンプルに組み立てられている。基本の“醤油拉麺”で使うのは、スープと再仕込み醤油、みりん、鶏油のみ。たれは使わない。旨味を湛えた天然醸造の再仕込み醤油そのものがたれの代わりとなる。スープを構成するものも銘柄鶏の鶏ガラとモミジ、そして最高級のサバ本枯れ節と宗田本枯れ節だけ。引き算の考え方で、厳選した食材の旨味を最大限に引き出すのが、店主・小合沢健(こあいざわたけし)さんの信条だ。
では、「熊人」のラーメンは素材頼みの“手を掛けない”料理なのか、というとそれは違う。たとえば、自家製麺で使う小麦の一部を自家製粉するなど、見えない部分に驚くほどの手間ひまが掛けられているのだ。トッピング類もまた然り。たとえば、チャーシューの仕込みを見てほしい。
「熊人」では、豚の内モモ肉を燻製にして提供している。使用するのは、地元・上田で育った信州SPF豚“信州太郎ぽーく”。
「豚肉を一番おいしく食べられる調理法を追求した結果、行き着いたのが燻製でした」
最小限の火入れだからこそ“豚本来の旨味”を表現できると考えたそう。冷凍ものは燻製にするとドリップが出ておいしさが逃げてしまうので、肉は必ず生の状態で仕入れている。
「目指しているのは、チャーシューという名の半生ハム。煮豚が合うラーメンもあるけれど、うちのラーメンにはこれが一番合うと思っています」
良質な穀物を食べて健康的に育った“信州太郎ポーク”は臭みがなく、甘味や旨味に富んだ銘柄豚。それでも、「届いた物をそのまま調理しても、おいしくはならない」と小合沢さんは話す。
「脂や筋の部分は燻製にすると割れて不格好になってしまううえ、食感的にも邪魔になるので、下処理の段階で徹底的に取り除いて肉を磨きます」
同じく、皮の部分が残っていると噛み切れないので、ここもきれいに取り除く。さっきまで大きかった塊肉があっという間に3分の2ぐらいの大きさになってしまった。なんという歩留まりの悪さ!
冬場は5時間、夏場は4時間ほどかけて80℃ほどの温度でじっくり燻していく。チップを入れてからは30分ほど。
「燻製機から出した後、さらに冷蔵庫で2週間ほど熟成させるのですが、ある程度ジューシーさが残っていないと旨味が熟成されていかないんですよ。理想の仕上がりは半生のハムです」
それにしても、この作業にたどり着くまでに1週間もかかったというのに、完成にはさらに2週間も要するなんて!
取材を進めていると、「今から小松菜の仕込みを始めますよ」と声を掛けられた。「ラーメンの上にのっている小松菜なんて、ただゆでているだけでしょう?」と思ったら大間違い。たかが小松菜、されど小松菜。小合沢さんは、箸休めの小松菜でさえも決して手を抜かないのである。
ゆで時間はかなり短めだけど、塩茹でするところまでは想定内。予熱でやわらかくした小松菜を早速切り揃える……のではなく、小合沢さんはおもむろに小松菜の感触を手で確かめ始めた。
「すじすじしている部分や外側のしわしわしている部分はおいしくないので捨ててしまいます」
なんと小松菜の一本一本を観察しながら、おいしくない部分を、見て触って確かめていたのである。
「葉っぱの部分はぐちゃぐちゃになってしまうのでトッピングには使わないと決めています」
小合沢さんは、味だけでなく、見た目の美しさもまたとても大事にしている。でも、これで完成じゃあない。
「スープの味が薄まってしまうのが嫌なので、小松菜はおひたしにして使っているんですよ」
味付けをするので小松菜自体の味のブレも気にならず、一石二鳥なのだとか。
マニアックなまでにこだわりを貫く小合沢さん。話を聞けば聞くほど、深きラーメン愛が伝わってくるが、私が「この人、本物の変態だ!」と確信したのは、何を隠そうメンマの仕込みを見せてもらった時だった。もう6年以上も前のことだけど、あの時に見た衝撃の光景は未だに忘れることができない。だって、トッピング用にカットしたメンマを1本ずつ包丁で手剥きしていたのだから。
使用するのは乾燥メンマ。
「手間はかかるけれど、乾燥メンマじゃないと、自分の好きな硬さに戻せないから」
ここでもこだわりは健在だ。3日かけて戻したメンマの感触を入念にチェックするのも忘れない。この時に、ざらざらとした部分や節にあたる硬い部分があれば、すべて捨ててしまう。
驚くべきは、“やわらか過ぎる”部分も捨ててしまうということ。
「メンマは音を食べるもの、味わうもの。シャキシャキ、コリコリという食感がなければ、ラーメンにおけるメンマの役割はないと考えています」
「1つ1つのパーツに存在感がないと意味がない」という言葉を聞いて、小合沢さんがチャーシューや小松菜の仕込みにも驚くほど手をかける意味が理解できた。
さて、ここからが“変態”の真骨頂。メンマの一番外側に当たる“皮”の部分を1本ずつ包丁で剥いていくのだ。これまで何百というラーメン店を取材してきたけれど、ボールいっぱいに盛られた何千本?というメンマを1本ずつ手剥きするというクレイジーな光景には今まで出合ったことがない。恐らくこれからも、きっと出合うことはないんじゃないかな。だって、こんな手間のかかること、普通の人は絶対にやりたがらないから。
それにしても、なんでこんな面倒なことを始めようと思ったのだろう?
「『美味しんぼ』のご飯対決の回でね、“お米の粒の大きさを1粒ずつ揃えて炊く”っていう回があったんですよ」って真顔で返されたけど、いやいや、あちらは漫画の世界ですから! “海原雄山”(「美味しんぼ」の登場人物で、小合沢さんが敬愛する北大路魯山人がモデルといわれる)が絶賛したという調理法を、まさかメンマの仕込みに取り入れてしまうなんて。
「この作業をすることで、どのメンマを食べてもシャキシャキのおいしい食感に仕上がるんですよ」
ね、このラーメン店主、やっぱりただ者じゃないでしょう?
――その店主、変態につき|「拉麺酒房 熊人」 了
文:松井さおり 写真:平松マキ