石田ゆうすけさんの青春18きっぷでミラクルミステリーツアー。
「あば新」との出逢いは無知がもたらす予期せぬ奇跡。

「あば新」との出逢いは無知がもたらす予期せぬ奇跡。

目指していたゴールは、思い描いていたものではなかった。15時間の電車旅+1時間のウォーキング旅が、崩れ去りそうになったその瞬間、光の射す方へ吸い寄せられるように、おっさん3人は引き戸に手をかけた。刹那、夢のような光景が目に飛び込んできて、疲れはどこかに吹き飛んでいった。

そして僕は途方に暮れる。

東京から普通列車の旅を続けること約15時間、深夜0時過ぎに堺に着き、さらに1時間歩いてようやく「堺魚市場」が見えてきた。“深夜0時開店の謎の天ぷら屋”は、魚市場の中にあるらしい。

堺魚市場看板の光
南海鉄道の堺駅からだと、徒歩3分の距離にある「堺魚市場」。青春18きっぷの旅なので南海は使わず、JRの堺市駅から歩いた結果、徒歩1時間。

時計の針は1時をまわり、周辺は人気がなかった。街灯もまばらで、いやに暗い。ほんとに店なんかあるのだろうか。訝しがりつつ、魚市場が立っている小路に入ると、おお、と安堵した。店の明かりがずらりと並んでいる。

お店の光
あたりは真っ暗でこの一角だけ不夜城。なんだか不思議な空間です。

「天ぷら」の看板はいくつもあった。ガラス戸越しに覗くと、どこもたいして客は入っていない。
目当ての店は奥のほうにあった。古そうな店だ。おや、ここは混んでいるな。
店の入口を目指して角を曲がると、わ、なんじゃこりゃ。すごい行列だ。深夜1時に、天ぷら屋に?

行列
真夜中に天ぷらを食べたい人がこんなにいるとは思いませんでした。

とりあえず並んでみたが、どうも場違いな感じがする。学生みたいなノリノリの若い男女ばかりなのだ。並ぶのは単に有名だからじゃないの?と勘ぐってしまう。
ラーメン店などと違い、客の回転もすこぶる悪かった。そりゃそうだろう。みんな天ぷらをつまみながらお酒を飲んでいる。

30分以上並んだが、その間に4、5人進んだかどうか。まだ外には30人ぐらい並んでいる。3人合わせて140歳のおっさんが、真冬の深夜に外で待つというのは苦行に近い。
「違う店にしましょう!」
編集担当のエベのひと声に、僕もカメラマンのガリガリ君もホッと息をついた。
改めて見てまわったが、新しい天ぷら屋が多い。さっきの店の人気にあやかろうとしたのだろうか。
一軒だけかなり年季の入った店があった。客も入っている。

あば新入口
五代前の初代は網元で、「あば新」は屋号。「あば」は漁師の使うウキのこと。初代の名は新太郎さんだったそうじゃあ(市原悦子風に)。

その店「あば新」の戸を開けると、天ぷらを揚げる賑やかな音に包まれた。店の真ん中に厨房があり、お母さんがふたり、ちゃきちゃき動いている。カウンターの客席がL字型に厨房を囲んでいた。
床を見た瞬間、ぎょっとした。貝殻が散乱している。

床の貝殻
日本は西へ行けば行くほど“アジア”の空気が濃くなっていくような気がします。

メキシコの酒場が思い出された。客は床にピーナッツの殻を無遠慮に捨て、唾をひっきりなしに吐いていたのだ。床には掃き掃除のためのおがくずが最初から大量にまかれ、店全体が掃きだめのような凄まじいビジュアルだった。しかしその世界に入り込んで、現地のオヤジたちと一緒にビールを飲み、同じようにピーナッツの殻を床に捨てていると、次第に解き放たれるような爽快感を覚え、“旅”を強烈に感じたのだった。

ルージュの伝言。

店内
L字型のカウンター席と、客席からよく見える厨房。お母さんのトークも含めてまさに天ぷらライブ。

堺の天ぷら屋に戻ろう。

「ここは昔、砂浜やったんよ。貝殻はその名残り」と店のお母さんが言う。……ん?突っ込むところ?
お母さんは僕を見てニヤニヤ笑いながら、紙と6Bの鉛筆を渡し、「食べたいもん、大きい字で書いてやぁ」と言って、見本となる字を見せてきた。小1の漢字テストのようなサイズだ。
「こんだけ言うても小さぁ書くんがおるんや。見えへんちゅうねん」
その言い方がおかしくて、思わず笑ってしまう。ああ、大阪に着いたんだ。

お母さん
手際よく天ぷらを揚げながら、口も滑らかなお母さんたち。
メニュー
値段は書いていないけれど、ひとり3,000円もあれば十分かな。

天ぷらのネタを紙に大書きして渡した。お母さんはネタに衣をつけ、ぽんぽん油に投げる。大根おろしを大量に盛った小鉢が出てきた。
「お店はいつからあるんですか?」
「うちは昭和25年から。ここらでいちばん古いんやでぇ。四代で来てくれるお客さんもおるよ。常連さんを大切にしたいんや」
隣の客がさっきの行列店のほうを顎でしゃくりながら、「あっちの客はテレビ見て来よるけどな」と言って笑った。

壁の注文用の紙片
客たちが注文用の紙片に描いたイラストやメッセージが壁一面に。著名人のサインより価値がありますね。

確かに客層が違う。年齢層が高いし、馴染みらしき客が多い。ガリガリ君が「お母さんの写真撮っていいですか?」と訊くと、お母さんは指で口を隠しながら「ルージュ塗ってへんからあかん」と返し、あちこちから「ルージュって!」「ユーミンかい!」とツッコミが入る。
夜道を1時間歩いて辿り着いた先には、幻想的な“大阪”が待っていた。

お客さんたち
深夜とは思えない活気と笑い。大阪がここにあります。

店舗情報店舗情報

あば新
  • 【住所】大阪府堺市堺区栄橋町2丁4‐28
  • 【電話番号】072‐221‐5617
  • 【営業時間】21:30頃~翌6時頃
  • 【定休日】日曜、月曜、火曜
  • 【アクセス】南海本線「堺駅」より3分

――つづく。

文:石田ゆうすけ 写真:阪本勇

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。