山の音
心眼を編む。
大森さんの写真 大森さんの写真

心眼を編む。

人はどんなときに心を動かされるのだろう。日々、鍛練を積み重ねた「芸」を目の当たりにしたとき、心のずっと奥の方で眠っていた何かが起き出して、どうにもこうにもならないような感情に包まれるような体験したことって、ないですか?

その物語というのは落語なのである。

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文字校正って大変ですね。いま3月20日に発売される『心眼 柳家権太楼』という写真集を印刷する直前で(この原稿を書いている今日は3月2日、印刷は3月5日)、本当の最後の最後、デザイナーの山野英之さんがレイアウトしてくれた文字情報に誤りがないかチェックしているのである。
1990年代からいままで10冊の作品集を出してきて、今回の写真集は11冊目の作品で、おそらくボクがつくった写真集の中でいちばん文章量が多いのです。
あっ、そもそもどんな写真集かというと、スタジオの白いホリゾントに紫色の座布団があって、その上に座った短髪の和服姿の70歳の男性が延々と物語を独りで喋り続けている様子を撮影した写真が並んでいるのである。

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柳家権太楼(やなぎやごんたろう)さんというのは落語家なので、その物語というのは落語なのである。『心眼(しんがん)』という噺である。
明治時代に初代・三遊亭圓朝という落語界のレジェンドが実の弟の体験を聞いて、それを元に創作したといわれている。浅草に住む目の見えない按摩・梅喜(ばいき)という男が主人公で、仕事を求めて横浜まで出向くのだが不況で療治の客はまったく見つからず、自分が育てた実の弟にも目が不自由なことを罵られて落ち込んで、横浜から浅草まで徒歩で帰ってくる。心優しい妻のお竹は梅喜の心を察し、ふたりで茅場町の薬師様にお参りして願掛けをして、一緒に目が見えるようになるように祈ろう、という。そして21日目の満願の日に梅喜の目は開き、彼の視力は回復するのである。と、ここまでが導入部。目が見えるようになった梅喜は果たして……とここから物語は意外な展開を見せながら、コミカルに、かつ切なくも続いていくのだ。

というか、むしろカメラなんて邪魔、くらいのものである。

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5年前に権太楼師匠による『心眼』を日本橋劇場で見たボクは、そのあまりの面白さに感動し、初めて落語を写真に撮ってみたいと思ったのである。さまざまな舞台芸術や音楽ライヴやスポーツに接して感動することは多いが、そのことと、それを写真を撮りたい気持ちはまったく別なのである。
当たり前ですが、写真を撮らなくても落語は十分に楽しめる、というか、むしろカメラなんて邪魔、くらいのものである。何故、そのとき、この噺に限って写真を撮りたいと思ったのか?
師匠の、主人公が目が見えない状態と見えている状態の演じわけがあまりにも鮮やかであった、ということも理由のひとつではあるだろうが、理由はそれだけではない。高座を見終わった後もずっと、いったい人間のことばって何だろう?身体ってなんだろう?心ってなんだろう?夢って何だろう?という風に次から次へと問いかけが頭の中に浮かんでくるのだ。落語を聴いてそんな風に後々まで何かの傷跡のようなものが自分の身体に刻まれるのは初めてだった。
そしてその2年後に師匠に直接、お目にかかって『心眼』をボクがただ写真を撮るというためだけに、誰も観客のいない空間で演じてくださいませんかとお願いしたのである。

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――明日につづく。

文・写真:大森克己

大森 克己

大森 克己 (写真家)

1963年、兵庫県神戸市生まれ。1994年『GOOD TRIPS,BAD TRIPS』で第3回写真新世紀優秀賞を受賞。近年は個展「sounds and things」(MEM/2014)、「when the memory leaves you」(MEM/2015)。「山の音」(テラススクエア/2018)を開催。東京都写真美術館「路上から世界を変えていく」(2013)、チューリッヒのMuseum Rietberg『GARDENS OF THE WORLD 』(2016)などのグループ展に参加。主な作品集に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。YUKI『まばたき』、サニーデイ・サービス『the CITY』などのジャケット写真や『BRUTUS』『SWITCH』などのエディトリアルでも多くの撮影を行っている。