あたふたと酒造りに参加し半日。米を冷ましたり、運んだり、ほぐしたり、何もかもがスピーディに動いていく。ひとつひとつの行程の理由を、先輩蔵人たちに聞けば、そうだったのか腑に落ちることばかり。酒造りには何事も意味がある。あっという間に初日が終わり、気がつけば2日目に突入です。
種麹を振った後は、これを満遍なく米に混ぜ込む「床(とこ)もみ」をする。一度米を真ん中に集め、上の米を下へ置き替え、中の米を外へ出し、の意識で全体に満遍なく、ほぐしながら混ぜていく。水分、温度、湿度が麹菌に対して欣一になるようにするのだそうだ。
「大原則は、均一、均等。今後すべてにおいて、そう考えてください」
瀬下要先輩が重要なものさしを与えてくれた。
一通り混ざったら米を積み、砂浜で山を作るがごとく固める。毛布をかけて一度休ませ、午後に再び麹室へ集結。米の表面が乾燥したところで今一度手を入れてほぐし、同じく山に積む。これは「切り返し」という作業である。
この山、団子のような田舎の山でもシュッとした富士山でもなく、急斜面の崖っぽい山である。瀬下さん曰く「エアーズロック」。外国人研修生には、これで通じるらしい。
雪見大福も近いかも、と私が言うと、「それじゃ、外国人に通じないんですよ」。たしかに。エベさんの「理想のおっぱい」説は問題外。
ともかくエアーズロックには何枚も毛布が被せられた。風邪引きの子どもを温めるように、31度くらいを保ちながら一晩寝かせることになる。
最後は、仕込室と道具を洗って終わる。半切りというたらいに水を張り、dancyu webチームは米を運んだ布を浸けて櫂で押し洗いする担当。それが終わると、メッシュの箱も道具も待っている。
そもそも汚れなどなく綺麗だから、一般人にはささっと水をかければいいようにも思えるけれど、蔵人はそうはしない。このたらいはこのたわし、など決まったもので、洗剤は使わず、手間と時間をかけて念入りに行われる。一見綺麗に見えたとしても、蔵人は、そうではないと考えるのだ。
まったく、きりがない。そう思ってしまう仕事が酒造りには多々あるが、意外にも洗い物という何でもない仕事が一番、みんな張りつめている。
私がじゃぶりじゃぶりと布を洗っていた時のことだ。勢い余って布が半切りの縁から少しはみ出した。もちろん床に付いたりなどしていないのだが、瀬下さんがこんなことを言った。
「縁の内側は清潔、縁から外は汚れた世界。もちろん半切りは丸ごと洗ってあるんですけど、全体を通して、その境界を意識してください」
瞬間、目から鱗が落ちた。なるほど、「結界」ということか。
日本酒造りは菌とつき合う仕事である。この世には日本酒にとっていい菌も悪い菌も混在していて、それらは大抵目には見えない。
蔵の人間は、物理的にも精神的にも清浄と不浄の境界線を決め、不浄の世界を徹底排除することで清浄の聖域を守り抜く。そういうことなんじゃないだろうか。
かつて尊敬する名杜氏が「酒蔵で最も大事なのは洗い物と掃除」だと語っていた。その厳然たる清潔感の真相に、今やっとタッチできた気がした。
翌朝7時。麹室では、毛布を被った麹米が寝息を立てているかのように眠っている。
「おはよう」
触れると人肌のように温かい、と思ったら31.6度。良好。毛布を1枚ずつはがしていくと、現れた米は昨日より格段に硬くなっていた。一粒つまんで目を凝らして見たら、白い菌糸が伸びて、米粒の芯に入り込んでいる。元気にすくすく伸びてくれたんだな。
瀬下さんがエアーズロックへ「ぶんじ(木べら)」をザクッと突き刺し、突き崩す。ゴロンゴロンと転がるブロックを手でほぐし、硬い米をゴリゴリと板に擦りつけて、一粒単位にまでバラバラにするイメージだ。
杜氏の中野さんは、太い腕と大きな手のひらでダイナミックに擦るが、その音が私とはまったく違う。ゴリゴリというよりも、ザザザザザーッと土砂降りの雨が止まらない、勢いを伴う音である。
「昔の蔵人は、ゼロ戦が飛ぶ音って言ったんですよね」
中野さんが教えてくれた。ゼロ戦が鳴り止まないように擦り続けるという、アンビバレントなたとえではあるけれど。
で、ここでもまた「均等、均一」の法則は徹底される。チョコフレークのような塊があると、麹菌がうまくつかない「ハゼ落ち」という状態になるためだ。
「箱(木箱)に布を敷いて麹米を詰め、均等にならす「盛り」という作業に入る。分量は中野杜氏が米を見て触り、振り分けていく。それをdancyu webの新人蔵人が1人1箱、責任を持って平らかにする任務である。たったそれだけなのに、私の箱は、杜氏に四つ角をキュッと手直しされた。
「隅まできっちり入れ込んで、均等に」
均等のイメージが、私は甘過ぎるのだ。表面だけ平らかじゃ駄目で、箱の形に沿ってスクエアでなければならない。見えない部分への想像力が足りない。
そう言えば、バリスタがエスプレッソを淹れる時のタンピングだって、見えないコーヒー豆の粉の均一を意識して、ギュっと均等に圧をかけるじゃないか。
なんて余計な知識ばかりが浮かぶから、頭でっかちはたちが悪いんだな。
ともあれこの箱に布をかぶせ、再び寝かせる。お昼間だから昼寝か。ちなみに、布が米にあたる面もやはり決まっていた。
――つづく。
文:井川直子 写真:大森克己