山の音
物学びし日々。
大森さんの写真 大森さんの写真

物学びし日々。

人として生まれると、多感な時期、少なからず勉学に励む。おもしろいと思った者は研究の道に進み、興味がないと感じた(おそらく多くの)人たちは年を重ねたいま、記憶にあることといえば、机に向かう自分の姿や、そのことに付随するあれこれ。なるほど、勉強になる。

ところで「蛍雪」ってなんだっけ?

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ラッシュアワーの夕刻、山手線の外回りに恵比寿から乗車する。阿佐ヶ谷「void」で開催されているシャムキャッツのボーカル、夏目知幸さんのコーラージュ作品の展覧会に行くのだ。
車内はかなり混雑していて、進行方向に向かって左側のドア付近に立っていたボクは代々木で降りる人を通すために一度車内から出る。そこで「東大蛍雪会」という広告看板が目に入る。いまでも代々木は予備校の町なのかな?どうなんだろう?ところで「蛍雪」ってなんだっけ?卒業式で歌う「蛍の光」と関係あるのかな?

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「苦労して勉学に励むこと。苦学。蛍の光 窓の雪。蛍窓(けいそう)。[補説] 晋の車胤(しゃいん)が蛍を集めてその光で書物を読み、孫康が雪の明かりで書物を読んだという故事から」とコトバンクには書いてある。
そうか、苦労して勉学に励むのだな。なかなかに古風な名称ですね「蛍雪会」って。真剣に勉学に励むことはいつの時代も大変であろうけれども、蛍の光で書物を読むのは(もちろん比喩であろうとも)、現在の日本ではちょっと想像出来ないですね。おまけに今年は全国的に雪不足なので豪雪地帯の人も雪明かりで本を読むのは難しいに違いない。

いまは亡き浅川マキのライヴ見たことを鮮明に覚えている

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そういえば、ボクは生まれてから一度も塾や予備校に通ったことがない。勉強が良く出来る生徒だった、というわけではもちろんない。中学時代をぼんやり過ごして兵庫県の地元の県立高校に入り、高校3年生の秋ぐらいから、英語と国語の2科目だけを集中して自宅で勉強して日本大学藝術学部写真学科に現役で合格することが出来た。
運が良かったのだろう。英語と国語の一次試験に受かると小論文と面接の2次試験があった。小論文はアーノルド・ニューマンというアメリカ人の写真家が制作したアンディ・ウォーホルのポートレート写真というか、コラージュ作品をを3分間ほどスライドで見せられて、それについて述べよ、というものだった。どうやって採点するんでしょうね、そういうの。何を書いたのかはさっぱり忘れて覚えていない。

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確か3月上旬に試験があって合格発表は2次試験の1週間ほど後で、当時はインターネットなどなかったので、掲示板に番号が張り出される方式で発表があり、それを見るために横浜の伯母の家に試験の後も滞在していた。
発表を待つ間、独りで東京をブラブラと歩き回り演劇やライヴを見ていた。西荻窪の「アケタの店」というライヴハウスでいまは亡き浅川マキのライヴ見たことを鮮明に覚えている。『ちょっと長い関係のブルース』という曲を浅川さんは歌っていた。その佇まいや声、曲のタイトルや歌詞、煙草の煙。すべてが自分から遠く、猛烈にカッコ良く思えた。「ブルース」も「長い関係」も「ちょっと長い関係」も18歳の自分はまったく知らなかったんだろうな。

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――明日につづく。

文・写真:大森克己

大森 克己

大森 克己 (写真家)

1963年、兵庫県神戸市生まれ。1994年『GOOD TRIPS,BAD TRIPS』で第3回写真新世紀優秀賞を受賞。近年は個展「sounds and things」(MEM/2014)、「when the memory leaves you」(MEM/2015)。「山の音」(テラススクエア/2018)を開催。東京都写真美術館「路上から世界を変えていく」(2013)、チューリッヒのMuseum Rietberg『GARDENS OF THE WORLD 』(2016)などのグループ展に参加。主な作品集に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。YUKI『まばたき』、サニーデイ・サービス『the CITY』などのジャケット写真や『BRUTUS』『SWITCH』などのエディトリアルでも多くの撮影を行っている。