いよいよ蕎麦屋「カゼトソラ」で蕎麦を味わう日がやって来た。その前に蕎麦前、である。日本酒と一緒にめくるめくる料理が登場する。なんだか、蕎麦までたどり着けるか心配になるほどの満足感。そして、シリーズ3回目にも蕎麦は登場しないのだった。
東京は小岩の蕎麦屋「カゼトソラ」店主の大森大和さん、私呼んで、ゴッホおじさんは、不思議な人だ。女子ばかりのお祭りで焼き菓子を売ったり、中華ナイトなんていう夜会で、蕎麦屋なのにラーメンを振る舞ったり。
住宅街にひっそりと佇む古民家。障子を開けた先は、小宇宙だった。薄暗い空間を進むと、部屋の真ん中で、赤や青のひょうたんの惑星が煌めいていた。これは、ゴッホおじさん描く、星月夜の世界。
そして再び、「カゼトソラ」の暖簾をくぐる。今夜こそ、蕎麦をいただくぞと意気込み、席に着いた。
まずは、前回同様、野菜の盛り合わせから。
紫色の小ぶりとうもろこし!これ、むっちむっちで、パツパツ弾ける!
「もちとうもろこしと言いましてね。懐かしいでしょ」
懐かしい?この店で食べたのは初めてだし、スーパーとかでも見たことないけどな。どうやら、この紫色のもちとうもろこしは、黄色いとうもろこしがアメリカからやって来るずっと前から日本にあった、昔ながらのとうもろこしらしい。いまは、黄色のとうもろこしがメジャーだけど、実はこっちが元祖だったのか。
ふさふさの枝豆も、ぎゅっと旨味が濃い。
「それは『こうじいらず』と言ってね」
これさえあれば、「麹いらず」に旨い味噌をつくることが出来ると言われるその枝豆は、長野の一部地域で昔から栽培されている青大豆らしい。おかか炒めのししとうも、青い渋みが強くて、ぐいぐい日本酒が進む。
「野菜は、長野にある『自然農園たかはし』さんのものでね」
さっそく「自然農園たかはし 長野」と検索する。画面いっぱいに草ボーボーの畑が映った。野蛮な雑草に負けないようにワイルドに生き抜いた野菜たちは、味もキャラも濃い。
小鉢が乗ったお盆が運ばれてきた。あ、ふきのとうだ。もしかして、このふきのとうって?
「山伏が採った、ふきのとうの甘酢漬けです。天然のものをと、知り合いの山伏に送ってもらいました」
山で修行をしている修験道を山伏と呼ぶらしい、そんなの時代劇の世界だと思ってたよ。そんな知り合いがいるなんて、ゴッホおじさん、何者なんだ。
そもそも山菜って、山で採るものだと思っていた。けれど、スーパーに並ぶ多くの山菜は、畑や水耕で栽培されたものらしい。
本来なら、秋から冬にかけてのこの時期は、山採れのなめこのしゃぶしゃぶ鍋を堪能できるみたいだけれど、今年はキノコが不作らしく。残念。
「このたまご焼きもね」
ひよこ色のたまご焼きがテーブルにやって来た。牧場で牛と一緒にのびのび育った鶏の卵らしい。
「でも、僕は、オーガニックってことこだわっているわけじゃないんだ。笑顔が似合うっていうのかな。大地の上で自然に育った食材の方が笑顔なんじゃないかなって。そういう食材がいいなと思っていたら、こうなったというか」
昔ながらの「もちとうもろこし」、一部地域で育て伝えられた「こうじいらず」、大地育ちの食材は、苦かったり、渋かったり、青々しくクセがある。でもそのクセが、それぞれの個性なんだね。玉櫻という、日本酒をひとくち。体がカッとほてり、気持ちがふわりと揺れる。ゴッホおじさんが描く満点の星月夜の下で、大地を味わう宴は続いた。
――つづく。
文:朝野小夏 写真:鈴木泰介