北尾トロさんの青春18きっぷ旅。
鯵ヶ沢というけれど、食べるのはヒラメの漬け丼なのだ。

鯵ヶ沢というけれど、食べるのはヒラメの漬け丼なのだ。

「北尾トロさんの青春18きっぷ旅」の3話目。旅の中日は、五能線で秋田と青森の県境沿岸を進みます。穏やかに波打つ日本海を眺めながら目指すのは、鯵ヶ沢にあるヒラメ漬け丼。今回の旅の目的と言っても過言ではありません。ヒラメのためなら、多少の困難なんのその。

右手に見えるは白神山地、左手に見えるは日本海。

青春18きっぷ旅の2日目は、早起きして秋田市民市場を覗いた。
そしたら、あったあった。20cmほど根のついたせりが並んでいる。昨晩、食べただまこ鍋には、せりが入っていて香りが爽やかだった。地元野菜と肉、スープのだまこ鍋セットも販売されていて、旅行客にも親切だ。
もちろん、名産のハタハタを筆頭に地魚も充実。素人目にも鮮度の良さは疑いの余地がなく、刺身でいけそうなタラまである。でも、ここはガマン。まだ五能線にすら乗ってないのに浮かれている場合じゃないと、朝食は抜くことにした。

朝市
朝6時。眠い目をこすりながら市場へ足を運びます。次に秋田へ来れるのはいつかわからないからね。
せり
東北といえば、せり。根っこが歯応えがよく、香りも強いらしい。

さぁ、いよいよ旅の目玉、五能線へ乗るぞ。
7時28分の秋田発弘前行の奥羽本線に約1時間揺られ、東能代駅下車。青森県の川辺駅とを結ぶ五能線の始発駅にたどりついた。

朝の電車には真面目な空気が流れている気がする。
通勤、通学の人にまじって五能線の始発駅を目指します。

次の電車までの待ち時間が2時間半もあるので改札の外へ。まだ時刻は8時30分だ。ここは喫茶店でゆで卵とトーストのモーニングセットで決めたい、なんて思っていたら駅前に何もないではないか。
「駅の中に売店すらないね。ここでぼんやりしてるか、寒いけど歩き回ってみるか、どうする?」
カンゴローに言われるまでもなく後者だ。通りに出れば食堂くらいはあるだろう。

電車は多くて1時間に2本。地方まで来た実感が湧いてきます。
能代名物の杉でつくられたベンチとオブジェが僕らをお出迎え。

......なかった。車を磨いているおじさんに訊くと、最寄りの店は1kmほど先のコンビニだというので風に吹かれてトボトボ歩き、冷えた体を温めるべくイートインコーナーで肉まんをほおばり、熱いコーヒーを飲む。
うん、これはこれで悪くない。だって、今日の昼食はヒラメとイカ祭りになる予定なのだから。自分に言い聞かせつつ駅まで戻った。

さぁ、いよいよ五能線に乗り込むぞ。まずは30駅先の鯵ヶ沢を目指します。

五能線が動き出すと、田園から里山へ風景が変わっていく。僕たちが乗ったのは時計回りに弘前を目指す下り路線で、秋田と青森の県境を超える頃には向かって右が世界遺産の白神山地、左に日本海という贅沢な光景を目にすることができる。
今日は晴天だが、荒れた日の日本海はどんな表情を見せるのか。想像を膨らませていると、3時間弱の旅程も長くは感じられない。

敬愛する太宰治への想いを巡らせながら、日本海の景色を愉しみます。
この日は風もなく穏やかな海。
20駅目の深浦で一旦休憩。外の空気を吸って気分転換します。
向かいのホームに止まっていたのは、朱色のレトロな車両。

しかし、イカは別腹だ。

主要駅のひとつである鯵ヶ沢に着いたのは13時45分。いい具合に腹が減った僕をヒラメとイカが呼んでいる気分だ。

上野から約800km離れた鯵ヶ沢まではるばるやってきた。目当てのヒラメとイカは何処かな。

この町あたりが、津軽の西海岸の中心で、江戸時代には、ずいぶん栄えた港らしく、津軽の米の大部分はここから積出され、また大阪廻りの和船の発着所でもあったやうだし、水産物も豊富で、ここの濱にあがったさかなは、御城下をはじめ、ひろく津軽平野の各地方に於ける家々の食膳を賑はしたものらしい(中略)山を背負ひ、片方はすぐ海の、おそろしくひょろ長い町である。――『津軽』

太宰治が書いたように、鯵ヶ沢は中心街といったところがなく、駅前からは食事処がどこにあるか見当がつかない。こういうときは地元の人に訊くにかぎる。駅構内の観光案内所で「ヒラメ漬け丼を食べるならどこでしょう」とアドバイスを求めた。
「どこもおいしいですが、この時間は休憩に入っている店が多いですね。いま食べられて、私も好きな店となると『ドライブイン汐風』さんがおすすめですよ」
遠いのでタクシーに乗るしかないが、その価値はあるという。その言葉を信じて乗ったタクシーの運転手も「観光客ばかりでなく地元民に人気のある店。あそこなら間違いない」と太鼓判を押してくれた。しかも、すぐ近くに焼きイカを食べさせる店が並んでいるらしい。

海からの潮風を感じながら、「ドライブイン汐風」へと向かいます。

海沿いの国道を10分は走っただろうか。これ以上行くと何もないというあたりで、「ドライブイン汐風」に着いたと言われた。
タクシーから降りると、真っ先に目に入ってきたのが“焼きイカ”と書いた幟と生干しされているイカだ。
まるで白いカーテンだ。あの形はスルメイカに違いない。これは絶対旨いはず。カンゴローさん、イカから攻めますかい。
「いや、鯵ヶ沢はヒラメ漬け丼を売り出し中みたいだし、イカはデザート代わりに買い食いしようよ」

まさか、ヒラメとイカに同じ場所でお目にかかれるとは。
地元ナンバーの車が大量に停まっている「ドライブイン汐風」。観光案内所の人の言葉は本当のようだ。

「ドライブイン汐風」には地元の魚介料理が揃っていたが心は決めている。1,100円のヒラメ漬け丼一択だ。

地魚の誘惑に負けず、ヒラメの漬け丼を注文。
ついにめぐり合えたヒラメ丼!醤油と味醂を合わせたタレに、ヒラメをひと晩つけているそうです。

そしてこれがねぇ。漬けにしたものを薬味と一緒にごはんに乗せたシンプルな料理なんだけど、ひと口目で勝負がつくというんですか、バツグンの歯ごたえと脂の乗り具合に「うまっ!」と叫んでしまった。
素材の良さを邪魔しない漬けタレのおかげで、ヒラメがその実力をいかんなく発揮している。量も太っ腹で、飯がまったく見えないてんこ盛り状態。
さらには出汁のきいた味噌汁が絶妙の味の濃さだった。ともすれば単調になりがちな、丼メニュー共通のウィークポイントを十分にカバーしている。こうして書きながら、ヒラメの味を思い出し、口内によだれがたまってくるのを抑えきれないほどだ。

思わずガッツポーズ。これは鯵ヶ沢まで来ないと食べれない味だ。

満腹で食事を終えた。しかし、イカは別腹だ。というか、生干しされているのを至近距離で見たら、新たな食欲が湧いてきたので1枚焼いてもらった。
「寒いのにどこからきたの。東京?そうかい。外は寒いし、切ってあげるからここで食べていきなさい」
ぶっきらぼうだが優しい女将さんが、醤油をつけたイカを焼き始めた。あぶった瞬間に身が反り返り、醤油の焦げる匂いが鼻腔をくすぐった。手早く何度かひっくり返し、サクサク切ってくれる。料金は500円。

イカ、大好物なんです。まだアツアツのうちにいただきます。

いやぁ、身が分厚くて、噛み切る音がしそうなくらいにプリンプリンですよ。ヒラメといいイカといい、僕の予想を超えていて、遠路はるばるきた甲斐があったというものだ。
駅に戻り、観光案内所の人に礼を言うと、ほかにも地元の名物があるという。その名はチキン棒。いやそれ、さすがに食べきる自信がないと腰が引けたが、ここぞとばかりにアピールしてくる。
「駅前の店ですし、鯵ヶ沢の子どもたちの大好物ですからぜひ食べていってください!」
……結局買いに行った。にんにくが効いているのかなと思ったが、的確な表現が思い浮かばない。明らかに食べすぎの上、ヒラメとイカの味が残っている僕の舌では、チキンの風味が一切わからないのだった。

ダメ押しと言わんばかりのチキン串。またいつか、腹に余裕があるときにリベンジしよう。

この日は五所川原まで移動して宿に入った。現金なもので夜になると熱いものが欲しくなり、カンゴローと散歩がてらラーメン屋を捜し歩いた。なんかもう底なしの食欲だ。

明日の津軽鉄道へつづく――。

店舗情報店舗情報

ドライブイン汐風
  • 【住所】青森県西津軽郡鯵ヶ沢町大字赤石町38‐1
  • 【電話番号】0173‐72‐3401
  • 【営業時間】10:00~17:30(L.O.)
  • 【定休日】なし
  • 【アクセス】五能線「陸奥赤石駅」より15分、五能線「鯵ヶ沢駅」より60分

文:北尾トロ 写真:中川カンゴロー

北尾 トロ

北尾 トロ (ライター)

1958年、福岡で生まれる。 小学生の頃は父の仕事の都合で九州各地を転々、中学で兵庫、高校2年から東京在住、2012年より長野県松本市在住。5年かかって大学を卒業後、フリーター、編集プロダクションのアルバイトを経て、26歳でフリーライターとなる。30歳を前に北尾トロのペンネームで原稿を書き始め『別冊宝島』『裏モノの本』などに執筆し始める。40代後半からは、日本にも「本の町」をつくりたいと考え始め、2008年5月に仲間とともに長野県伊那市高遠町に「本の家」を開店する。 2010年9月にノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊。編集発行人を務めた。近著に『夕陽に赤い町中華』(集英社)、『晴れた日は鴨を撃ちに 猟師になりたい!3』(信濃毎日新聞社)がある。