米をつくるということ。
ゴーン・ウィズ・ザ・ドリンク。

ゴーン・ウィズ・ザ・ドリンク。

いざ、赤羽へ。東京駅から各駅停車で新潟のまつだい駅を目指して最初に降り立った駅はと言えば、赤羽駅。東京都北区である。スタートからわずか16分での途中下車。そう、すべては朝飲みのため。24時間営業の立ち飲み店の扉を開いて、そこで目にしたものは……。予期せぬ展開に戸惑いながらも、旅は道連れ世は情け、なのである。

「いったいどうしたんですか?朝から」

赤羽は大衆酒場の聖地。酒場の中には24時間、暖簾をかけている店も何軒かあるという。「桜商店603」もそのひとつだ。
はるか遠くの新潟へ向かう各駅停車の旅にもかかわらず、都内で早くも途中下車してしまった。それもこれも居酒屋で朝飲みしてみたいという誘惑から。しかしいざ店を目の前にすると、急に足が止まった。朝の居酒屋って、店内はどんなふうなのだろう?
ガラスドアに貼られた「酔っ払っている方は、お断りします。」という断り書きがあまりに大きく、中の様子がわからない。うーん、くだを巻く酔客が多いのか。ちょっとドキドキする。でもいまは朝だし、大丈夫でしょ。思いきってドアを開けた。

扉

意外!店内はフツーに明るい。おや?テーブル席の一角に、奇妙な空気が漂っている。黒縁のメガネをかけたひとり客が、ぼくに向かって執拗に視線を送ってくるのだ。女性である。彼女の目の前にはジョッキになみなみとつがれたチューハイ、それにつまみの皿もずらり。しかも満面の笑顔である。ヨッパライというよりアブナイ人?
かかわりあいになると、旅の初っぱなからつまずきそう。思わずさっと目をそらす。すると、目のはしにうつったその女性がメガネをとると、こちらに向かって「藤原さーん」と手を振る。ええっ、名前を知っているの?目を凝らしハッとした。

藤原智美さん

なんとその人、よく見れば編集部の沼由美子さんではないか。でも、なぜ赤羽に?
状況が飲み込めない。ぼくの後ろには江部編集長がいる。上司に朝飲みなんかしているところを見られたら、沼さん、まずいことになるじゃないの。編集部内にトラブル勃発か!
「えっ、何してるんですか」と、写真家の阪本さんもびっくりしたまま立ちすくんでいる。ぼくは江部さんの視線から沼さんを隠すように立ち「いったいどうしたんですか?朝から」と耳元で詰問した。しかし、沼さんはこちらの問いかけにも答えず、ただニヤニヤしたままだ。まさか、ぼくらの見送りのためにわざわざやってきたのか?

おでん

沼さんの横にはスーツケースが置かれていた。そこでようやく気づいた。彼女も各駅停車の旅に一緒にチャレンジするんだ。そういえば、ここにやってくるまで、なぜか江部さんはいつもに比べて歩みがのろかった。てっきり痛風の後遺症かと同情していたのに。赤羽の町広告の撮影に時間を費やして、店への到着時間を遅らせたのも、先に入って準備を整えている沼さんとタイミングを合わせて、ぼくらをびっくりさせたかったのだ。ぜーんぶ、合点がいった。
驚くぼくらのやりとりを、後ろのほうで見ていた江部さんは「あれ、沼さん、どうしたの?」なんてすっとぼけているが、すべて自分で仕組んだこと。阪本さんとぼくはすっかり騙されたという次第。江部さんも人が悪い(阪本さんは沼さんがやさぐれて朝から赤羽で飲んでいると思い込んで、カメラを向けることができなかったとか。ビルの2階が朝キャバということもあって、いらぬ心配もしたようです)。

ついつい焼酎をおかわりしてしまった

これで3人から4人の旅。さらに楽しくなりそうだな。気を取り直して、いよいよ朝飲みの開始だ。この店は「立ち飲み」を謳っているが、テーブル席もあり、こちらは300円のチャージが別途発生する。各駅停車という今後の旅の行程を考えると、やっぱり座ることにする。体力温存だ。

店内

手始めに焼き鳥と煮込み、モズク酢を注文。みんなはおでん(おでん屋さん並みの具が豊富にそろっている)やアジフライ、ポテトサラダ、唐揚げなど、ここは遠慮なくバシバシ注文した。なにしろ料金が安いのだ。メニューには200円、300円クラスのおかずがずらりと並ぶ。一品100円という、嬉しいつまみもいっぱいある。ぼくが目にとめたのは一杯580円のラーメンだ。気になる。が、目的地、新潟の「カプチーノ」に、とっておきのラーメンがあるのでここはスルー。酒はチューハイがなんと180円だ。ぼくは温かい芋焼酎のお湯割りでいくことにする。これから雪国に向かうのに体が冷えてはいかん!これも体力温存だ。

銀の鈴

ここの支払い方法は、テーブルでそのつど精算するキャッシュオン方式。そういえば、目黒線武蔵小山駅すぐそばに創業店を構えていた立ち飲み居酒屋「晩杯屋」も、かつてはそうだった。30人ほどが肩を寄せあいながら飲む、実にちんまりした立ち席だけの人気店だった。店に入った客はまずカウンターに千円札を置く。店の人は飲み物や料理を出したそばからその札をとって、釣り銭をカウンターに置く。注文ごとにカウンターに残された小銭が減っていき、千円使い切る頃にお開きとする。サクッと飲んで終わりという無言のルールが生きていた。その「晩杯屋」もいまでは大きなチェーン店になり、テーブル席ができ、支払いも一括の後会計に。でもやっぱり大衆酒場は、サッと飲んでスッと帰るこのキャッシュオンが心地いい。

揚げ物

朝飲みとはいっても、景気づけの一杯だけと決めていたが、沼さん登場というドッキリもあって調子が狂い、ついつい焼酎をおかわりしてしまった。朝の酒はすぐに酔いが回る。陽のさす窓際の席でポーッとのどかな気分。ふと、壁の貼り紙が目にとまった。「飲食物をもっての入場は一人5000円の罰金」と書いてある。ほーう、そういう人がいるのか?
さらに「大声、暴言、喧嘩、たかり、ナンパは禁止」という注意書きも。おお、やっぱり夜は気合いを入れて飲みにこないとダメな場所なんだろうな。そんな具合に現実に引き戻されたところで、次の目的地、高崎へ向けて出発となった。先は長い!ぼやぼやしていられない。

藤原さん

店を出て赤羽駅に戻ると、まだ通勤時間のざわめきが残っていた。しかしぼくはすでにほろ酔い気分♪
というより店を出る前にあわてて飲み干した二杯目が、いまになってやっときいてきたという感じ。みんなに取り残されないように気をしっかりもって高崎線のホームへ向かう。目指すは9時38分発の快速高崎行きなのだが、階段がゆらゆらしている。おまえ、大丈夫か、と自分を叱咤した。

――2月7日(土曜)につづく。

文:藤原智美 写真:阪本勇

藤原 智美

藤原 智美 (作家)

1955年、福岡県福岡市生まれ。1990年に小説家としてデビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川龍之介賞を受賞。小説の傍ら、ドキュメンタリー作品を手がけ、1997年に上梓した『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。主な著作に『暴走老人!』(文春文庫)、『文は一行目から書かなくていい』(小学館文庫)、『あなたがスマホを見ているときスマホもあなたを見ている』(プレジデント社)、『この先をどう生きるか』(文藝春秋)などがある。2019年12月5日に『つながらない勇気』(文春文庫)が発売となる。1998年には瀬々敬久監督で『恋する犯罪』が哀川翔・西島秀俊主演で『冷血の罠』として映画化されている。