日本酒は、どんな土地で、どんな人が、どんな暮らしの中で、どんなことを考えて醸しているのでしょう。蔵の数だけ、物語があります。物語を知ると、お酒がもっとおいしくなるかもしれません。
東京都港区芝4丁目。第一京浜に近いオフィス街に建つ、22坪、4階建ての小さなビル。そこが「江戸開城」を醸す酒蔵「東京港(みなと)醸造」だ。
1月初旬、少し空が明るくなりかけた午前7時。最上階から米を蒸す湯気がもうもうと上がり、空に漂う。この時間にも通勤者がちらほら前の通りを歩いているが、上空を見上げる人はいない。
この芝の地には、江戸末期の文化9(1812)年から「若松屋」という造り酒屋があった。薩摩藩の上屋敷や蔵屋敷が近くにあったこともあって繁盛し、西郷隆盛や勝海舟らもこの蔵の奥座敷に出入りしていたと言われる。そんな由緒ある酒蔵が閉じられたのは明治44(1911)年。以来、若松屋は雑貨屋を生業としてきた。
しかし、七代目で社長の齊藤俊一さん(64歳)の胸には、「なんとか酒蔵を復興できないか」との思いが20年ほど前から宿るようになる。仕事で地方を巡ると、文化の中心にあるのはいつも酒蔵。自らも「若い頃は一升酒が当たり前」というほどの酒好きで、この歴史ある芝の地でなんとか酒蔵を再興したい、それがこの芝地区の地域活性化にもつながるのでは、と考えていた。
そんな中、2006年に出会ったのが、当時、「アクアシティお台場」内の3階にあった大手酒蔵のミニブリュワリーで杜氏を任されていた寺澤善実さん(57歳)だった。
寺澤さんは京都生まれ。綾部高校の農芸化学科で応用化学を勉強し、卒業後、地元の大手酒造メーカーに入社。定時できっちり終わる仕事の傍ら、オフの時間は、一時はF1レーサーを目指し、一時はヨーロッパの自転車プロとともに、トレーニングを重ねていた。そんな寺澤さんが2000年、39歳のとき、お台場に新しくできる直営醸造所の杜氏に抜擢されたのは「元気がよかったからでしょうね」(寺澤さん)。東京に居を移し、これが寺澤さんの転機となる。
この醸造所は、外国人客も意識した大きな直営レストランに併設されたもので、52㎡の小さなスペース。「酒蔵直送の搾りたて生酒が味わえる」ことで集客を狙ったものだった。麹は京都の本蔵から送られる冷凍麹を使用し、掛米はα化米、水も酵母も京都から送られてくる。会社としては「観光蔵」の位置づけだったと思われるが、ここから寺澤さんの孤独な挑戦が始まる。
「限られたスペースで、最上の合理化を行ない、本物の酒を造ろう」と考え、テントや孵卵器を使うなど工夫を重ねてミニ版の麹室をつくったり、米もα化米を使わなくするなど、改革を進めていった。
私が初めてお台場の醸造所を訪れたのは2009年の初夏。「予約しておけば、レストランでの食事中に“蔵見学”もできるよ」と聞いて、日本酒好きの仲間5人で軽い気持ちで訪ねた。ところが行ってみると、「見学は3人と2人に分かれてください」とまずはジャブ。醸造所に入ると、手洗い、白衣、長靴など、通常の蔵見学と同様の手順を経て、寺澤杜氏が迎えてくれ、熱く丁寧に、ここでの酒造りを語り案内してくれた。「ああ、ここは本物の酒蔵なんだ。観光蔵なんて先入観で来てごめんなさい」と反省するとともに、限られた状況の中で一心に、真の酒造りに邁進している寺澤杜氏のひたむきな実践に、深く心打たれたのだった。もちろん、そのシャープで潔いお酒の味にも。
ところが同年、親会社はこのレストランと醸造所の閉鎖を決める。この年の新酒鑑評会でついに金賞を取るところまでいっていたのに。寺澤さんの落胆は、いかばかりだっただろう。
しかし、寺澤さんの9年にわたるミニブリュワリーでの実践は、「江戸の地酒を復活させたい」という「若松屋」齊藤社長の思いと結びついて、生きた。二人は幾度も幾度も話し合って、酒蔵再興の道を探っていった。寺澤さんが齊藤社長に「今なら引き返せますよ」と問うたのも、一度ではなかったという。
2011年、まず「その他の醸造酒」の製造免許を取得し、「江戸開城」銘柄で、どぶろくとリキュールの製造を開始。その後5年かかって、ついに2016年、清酒製造免許を取得。二人が出会ってから10年、ついに新しい「東京地酒」の誕生であった。
清酒免許を取得するや、齊藤さんは自宅を別の場所に移し、4階建てビルを清酒蔵に改装。現在の蔵は、4階には米を蒸す甑(こしき)と麹室、3階に仕込みタンクと分析室を兼ねた事務室、2階に仕込みタンクと搾り機(洗米もここで)、1階は貯蔵タンクとなっている。米や麹の移動は階段を使い、醪(もろみ)の移動は床に開けた穴にホースを通して階下へ。酒母はタンクごと、ベランダからウィンチを使って上げ下げし、タンク下につけた滑車でゴロゴロ移動する。「うちは暖気(だき)樽(温度を調整するために酒母に入れる湯入りの樽)は使わないんです。53Lのタンクごと、部屋を移動させます」。小さな蔵の小さな仕込みだからこそできる荒業だ。
「江戸開城」の酒は、すべて純米、すべて原酒。貯蔵タンクにも限りがあるため、熟成はさせず、すべて新酒での流通だ。酵母は9号系の自家培養。水は、東京の水道水。酒を口に含むとすっとなじみ、ふくよかに広がり、シャープに切れる。多様な食事によく映え、2020年のオリンピックイヤーにもきっと、世界各国の人の舌を喜ばせてくれるだろう。
「都心で酒を造るということは、一番の消費地で造るということで、だからこそ、流通のコストや時間を省けます。また、小さい蔵だからこそ、コストをかけずに四季醸造が可能なのです」と寺澤杜氏。搾りたての新酒が味わえる蔵の前のスタンディングバーの存在も、東京なればこそだろう。
齊藤社長と寺澤杜氏、二人の思いが合致して、数年前までは誰も想像しえなかった「東京が誇るべき東京の地酒」が今、輝いている。
文:里見美香 写真:牧田健太郎
※この記事の内容はdancyu2019年3月号に掲載したものです。