門前仲町「酒亭 沿露目」の大野尚人さんほど、隙あらば全国の酒場や料理屋を巡っている店主をほかに知らない。直感を頼りに発見し、感動した店の尊敬するスピリットをどんどん吸収している彼をして、「最終目標」と言わしめるのが荒木町「割烹 たまる」。粋とは何かを見せてくれる、江戸の料理屋である。
昭和/割烹 たまる
僕/大野尚人 “酒亭 沿露目”(しゅてい ぞろめ)
2008年、四谷荒木町の、ふと目を向けた路地に「あんこう鍋」と書かれた大提灯が一つ見えた。近づくと、年季の入った木造家屋に瓦の庇(ひさし)、藍地の水引暖簾。メニュー表記などは一切なし。凛とした空気感や清潔感が、建物自体から伝わってくる。
入ってみたい。大野尚人さんは居ても立ってもいられなくなったが、ちょっと待てよ、この品格からして値の張るお店かもしれない。28歳の料理人は、しかし怯むことなくコンビニに走り、10万円を下ろしてから戸を開けたのだった(結局、心配するほどではまったくなかった)。
街をほっつき歩きながら店々の構えや佇まいを観察し、気になったら飛び込むという楽しみ、というか鍛錬のようなことを、大野さんは大学時代から続けている。
「僕は“探す”っていうことをしたいんです。ネットで情報を検索する“探す”ではなくて、この路地の先に何かありそうだとか、この看板の雰囲気なら間違いないとか、自分の直感を働かせて探し当てるという力を鍛えたい」
5年後に門前仲町「酒亭 沿露目」を開店した彼は、お客にもこの“探す”をしてもらいたくて、目印は表札よりやや大きめの看板一つにした。2店舗目の「酒肆一村(しゅしいっそん)」に至っては、看板すらない。
はたして、一人で「こんばんは」と「たまる」に入った彼はカウンターに通された。ほかに2卓の小上がりがあるだけの小体な店は、ご主人と女将さんの二人で営まれている。鍋は二人前からとのことで、つまみだけお願いした。
お通しは牡蠣の南蛮漬け。キリッとした酢の立ち方に、背筋が伸びた。
日本酒をお願いすると、冷やかお燗か、の選択肢である。つまり銘柄は店主が選んだ1種類、白鷹のみ。都(みやこ)が京都にあった時代、関西から江戸に「下る」ものが上等とされたが、日本酒の最高峰もまた天下の灘(兵庫県灘)からの下り酒。
灘の白鷹を置く「たまる」は江戸の料理屋、冬があんこう鍋、夏は穴子料理の店になる。何月何日からなんていう野暮なくくり方ではなく、季節の気配によって、ご主人の言葉で言えば「あんこうがおいしくなる時季に鍋が始まり、そろそろあんこうにも飽きて、穴子がよくなってくるあたりで」提灯と看板が替わる。どちらも江戸時代から続く庶民の味、江戸を代表する料理だ。
ほかの一品料理も、お通しもこの時季にはこれと決まっていて、お通しなら牡蠣の後は鮎、冬瓜、穴子。常連たちは「そろそろあれの頃ですね」と楽しみにして訪れる。
ご主人は二代目、御子柴暁巳(みこしばあけみ)さんである。初代で父の蔀(ひとみ)さんは、日本におけるフランス料理店の草分け「龍圡軒(りゅうどけん)」に入ったが、和食を志して割烹などで修業。小説『包丁』(丹羽文雄)のモデルにもなっている(弟子のほう)。
戦前戦後のきつい修業を経て上りつめた人だから、厳格で丈夫。80歳過ぎまで「たまる」の板場に立ち、生涯現役だった。
「怖い人でしたよ。鯛のかぶと煮が食べたいというお客さんには、魚食べんの上手かい?と訊ねる。いやあちょっと自信ないなぁなんて答えようものなら、だったらやめといた方がいいよ、です」
30年通っても、まともに口をきいたことのないお客がほとんどだった。「料理人は口の中で勝負するもの」を信条に、ただ黙々と料理をつくるのみ。
「でも、一生懸命仕事をしているとそうなるもんですよ」
その姿勢は、父のもとで修業を積んだ御子柴さんもまた同じだ。
「たまる」が開店したのは、昭和30年代初めである。当時の荒木町は三業地(芸者置屋、料理屋、待合茶屋の営業が許された地区)に指定された花街(かがい)。花柳界という花が満開を極めたこの時代、「たまる」もまた大忙しで、深夜0時を過ぎても芸者や旦那衆でいっぱいになった。
御子柴さんは学生時代から手伝いをしていたが、本格的に修業を始めたのは24歳から。父に褒められたことは、ただの一度もない。
「親父は手仕事が綺麗で、すり鉢をあたる所作一つでも違うんですね。てめぇはキタネエナァと叱られ続けていて、だからずいぶん歳を取るまでずっと、自分はできない、できないと思っていました」
でも跡を譲ったということは、認めていたんじゃないの?昔からの常連客に言われてやっと、「そうだったのかな」と思えてきた。でも、そんなもんでいいのだという。あの厳しい父に褒められたんじゃあ、こっちだって恥ずかしいから。
恥ずかしいのはお断り、という江戸っ子の性分である。お客に褒められるのも恥ずかしい。御子柴さんは御年78歳。自分よりずっと若いお客から、「親父さん、おいしいです!」と何度も言われると、恥ずかしくて切なくなっちゃうのだそうだ。
「言わなくても、そういう顔してりゃわかるもんです。食べている顔、帰るときの顔で、ああ、口に合ったんだなと。料理人はちゃんと見てるから」
――たまると沿露目2/2につづく
文:井川直子 写真:鈴木泰介