カルパッチョの真実~すべての皿には物語が隠されている~
本当のカルパッチョ|カルパッチョの真実①

本当のカルパッチョ|カルパッチョの真実①

私達が一度は食べたことのある、あんな料理やこんな料理には、隠された物語があることをご存知でしょうか?“知る”ことで、同じ料理が明日からちょっと美味しくなる連載が始まります。第一回目は“カルパッチョ”。この料理は、とある画家の名前から来ているってご存知でしたか?なぜ画家の名前がこの料理につけられたのか。その誕生の物語をご覧ください。

それは、伯爵夫人のわがままから始まった

物語の舞台はヴェネツィアにある有名なレストラン「ハリーズ・バー」である。約70年前のある日のこと、常連の美しい伯爵夫人がいつものように「ハリーズ・バー」を訪れた。素敵なランチタイムなのに夫人はどこか浮かぬ顔。初代オーナー、ジュゼッペ・チプリアーニ氏は心配だ。
「マダム、どうされましたか?」
「聞いてくださいな。お医者さまから火を通したお肉を止められてしまったの。だけどお肉は食べたいの」
「それは大変ですね。でも大丈夫ですよ。お任せください」
にっこり微笑み、店のオリジナルカクテル、ベリーニを薦めた。
「これをお飲みになりながら15分お待ちくださいませ」
そしてキッチンに向かったチプリアーニ氏、店の肉料理はグリル系ばかり。さあ、どうする?

ぴったり15分後、マダムの横にはチプリアーニ氏、そして後ろには皿を持ったシェフが続く。
「ボナペティート」
出された皿にマダムは目を見張った。真っ赤な生肉の薄切りが敷き詰められ、白いソースが網目状にかけられている。まあきれい!
「なんというお料理ですの?」
目をキラキラさせながら聞くマダムに氏は即答する。
「カルパッチョでございます」
「カルパッチョ?」

マダムはクスクス笑った。それが画家のカルパッチョであることがすぐにわかったからだ。なぜなら当時、レストランの近くで15~16世紀のルネサンス期の画家、ヴィットーレ・カルパッチョの展覧会をやっていた。ジュゼッペ氏も訪れ、赤と白の色彩の美しさに感動していたので、それをとっさに牛肉の赤とソースの白になぞらえた。そう、「カルパッチョ」とはアドリブで生まれた薄切り生肉の料理なのである。

生の薄切り肉という斬新な発想、シンプルな材料ゆえのアレンジのしやすさ、何より有名店のメニューということで、この料理はあっという間に広まった。その後、イタリアでは薄切りの生肉にパルミジャーノとルーコラを添え、オリーブオイルをかけたものが主流に。日本に最初に紹介されたのもこのスタイルだ。

ただ日本の場合、魚介のカルパッチョのほうがポピュラーになってきた。生の牛肉を食べることが難しい時代だし、もともと刺身文化が根付いていたのでそれもやむをえまい。しかし、鯛や帆立のカルパッチョをヴィットーレ・カルパッチョが見たら、こう叫ぶだろう。
「これは俺の絵ではない」

ヴィットーレ・カルパッチョ作/巡礼者たちと教皇の会見
ヴィットーレ・カルパッチョ作/巡礼者たちと教皇の会見
カルパッチョ
ちなみに
「ハリーズ・バー」は著名人に愛されたことでも知られ、あのアーネスト・ヘミングウェイもその一人。小説『河を渡って木立の中へ』の舞台はヴェネツィア。これを書き上げるまでの2年間、彼は「ハリーズ・バー」へ通い、いつも同じ席に座っていたという。小説が発表されたのは、カルパッチョ誕生と同じ1950年。彼もカルパッチョを食べたのだろうか?

著者

土田美登世 編集者・ライター

つちだ・みとせ ねちっこい取材をウリにする食ライター。著書に『やきとりと日本人』(光文社)など。好きなカルパッチョは馬肉。

文:土田美登世 写真:加藤新作 料理:田中優子
参考文献/アリーゴ・チプリアーニ著『ハリーズ・バー』(にじゅうに)

※この記事はdancyu2017年8月号に掲載したものです。