日頃、日本各地でさまざまな料理を食べ回っているdancyu編集長・植野が「令和元年に感動した五皿」を紹介します。
この店はたまたま見つけて入った。食券販売機には「スーパー焼きそば」というメニュー名。大げさな名前だなと思いながらも購入すると、キッチンでは飲食業の人とはちょっと違うトーンの若者が焼きそばを焼いていた。それも鉄板ではなく、中華鍋で一人前ずつ丁寧に鍋の中で麺を回しながら仕上げていく。皿に盛られた焼きそばは渦を巻いていて、端正な目玉焼きが中心にのっている。こんな美しい佇まいの焼きそばは見たことがない。これでやられた。
食べてみると、国産小麦の香りが感じられ、ややもちっとした麺の食感がいい。バラ肉とキャベツが大き目に切ってあり、麺とのバランスがいい。スパイシーなソースが上手に味をまとめてくれる。テーブルには土佐酢が置いてあって、途中でこれをかけると爽やかな風味が増して、また旨い。とはいえ、味が鋭すぎたり、美味し過ぎることはなく、日常の美味である焼きそばとしてのアイデンティティをきちんと守っている。さらにやられた。
聞いてみたら、27歳の黒田康介さんは大手証券会社を辞めてこの店を開いたという。凄い覚悟である。そんなにも焼きそばが好きだからこそ、一皿一皿丁寧につくれるのだとわかった。
そして、この麺でつくる“スーパーナポリタン”もあり、これまた旨い。焼きそばの特級品だと思っていたら、それをケチャップで炒めて別のステージに持って行ってしまう意外性。そういえば、店名は「東京焼きそばスタンド」ではなく、「東京焼き麺スタンド」だった。最初から焼き麺の可能性を追求する覚悟があったわけだ。完全にやられた。
その後、神保町にも店を出した。さらに今後様々な可能性を実現していくのだろう。この焼きそばは、限りない可能性を秘めていたのだ。
ちなみに、この焼きそばをdancyu2019年7月号で紹介した後、黒田さんの母上から丁寧なお手紙を頂いた。「せっかく証券会社に勤めたと思ったら、焼きそば屋を始めるというのでとても心配していました……」。お母さん、心配ご無用だと思います。
文:植野広生 写真:岩崎美里