築地場外市場商店街にある鮭屋の店主“しゃけこさん”こと佐藤友美子さんは、一年を通して仕事着は半袖が基本だ。暑い夏はもちろん、寒い冬でもなんのその。築地で働き始めて、あっという間に30年。その細腕で駆け抜けてきた。
小柄な体で、特大の鮭を、ザクッザクッと切りわけていく。迷いなく同じ厚みにカットする手元に見とれていると、あっという間に切り身が完成。それを手早く包装して、今度は注文先へ送る準備にとりかかる。魚屋はスピードが命。もたもたしていると、その分、鮮度が落ちる。
築地場外市場商店街の「中通り」に面する「昭和食品」は、創業60年近い鮭の専門店。そこの三代目社長である佐藤友美子さんの仕事着は、冬でも夏でも半袖だ。
「一年中魚を切ったり触ったりするからね、とにかく袖口は清潔じゃないといけないの。だから、半袖にしてますね」
そうはいっても寒い冬はどうするかというと、秘密兵器がある。お気に入りのモンベルの半袖のダウンジャケットだ。以前、店に取材に来たカメラマンに教えてもらったのだという。
「これはね、肩まであるから意外とあったかいの。冬はとにかく、夏の格好にダウンを重ねていくっていう感じかな。半袖だけど、カイロを何枚も貼っているし、たくさん着込むから意外と大丈夫なんですよね」
でも、脱ぐとマトリョーシカみたいなんだけどね。鈴のように響くチャキチャキとした声で、楽しそうに笑う。
足元は当然、ゴム長靴。築地の衣料品店で購入することもあるが、鮭の産地である東北を訪ねる際に、現地で調達してくることも多いという。
「東北は寒冷地だからゴム長のバリエーションが豊富で、実質的なつくりのものが多いんですよ。軽かったり内側がボアになっていたりとかね。私、膝を痛めたりすることが多いから、ゴム長は軽いものを履くようにしてるんです。そんなわけで、ゴム長は東北へ行くたびに買ってきますね」
佐藤さんは、ちょっと異色の経歴の持ち主だ。フリーランスのライターをしていた20代の頃、仕事仲間である年上の知人に誘われて、年末の築地へ買い物に訪れた。そのときに出会ったのが、いま働く「昭和食品」初代店主の故・町田宏さんだった。
「とにかく噺家みたいに話の面白い人でね。それに、冬はいつも黒のとっくりセーターを着ていたけど、とても清潔にしている人だった。その人の話を聞きたくて築地に通っているうちに、年末の忙しいときだけ店を手伝うようになって、そのままいまに至るって感じですね。まあ、魔が差したのかな(笑)」
30歳を目前にした20代最後の年、思わぬ転機だった。
当初は鮭を切るだけでも四苦八苦していたというが、築地で手に入るありとあらゆる魚種を買って練習を重ねた結果、いまの腕前になった。
「やっぱり毎日やることが大切。毎日やっていると、だんだんわかってくることがあるのよ。“これでいい”っていう限界がないのが、この仕事の面白いところだと思いますね」
築地に足を踏み入れて、早30年。2014年には、町田さん亡き後から二代目店主を務めていた金井モトさんから店を引き継ぎ、いまも二人で店を切り盛りしている。その傍ら、築地場外市場商店街振興組合の理事も務めながら、プライベートでは、築地場外にある「波除神社」のお祭りで吹くお囃子の笛の稽古に夢中だ。師匠は93歳というシュウマイ屋のご主人で、「仕事からの帰り道、勝鬨橋下の隅田川のほとりで思い切り音を鳴らすのが楽しみ」なのだそう。“しゃけこさん”は、もうすっかり築地の人だ。
去年、築地の古老達から聞き溜めていた街の話を一冊の本にまとめた。それが完成すると、今度は年明けから、“鮭おにぎり研究会”と称し、毎週、鮭おにぎりのレシピを一品ずつ自社のFacebookで公開している。店での仕事ぶりもそうだが、とにかくよく動く。
「興味を持つとやる方なんですよね。見ているよりはやってしまう方の人間なので。まあ、それで後悔することも多いんだけど」
ちなみに、年末の仕事着はもう決まっている。
「“やっぱり築地”っていうロゴ入りのTシャツを、商店街のみんなで着ることになってるの。だから12月の仕事着はそれですね(笑)」
文:白井いち恵 写真:米谷享 参考文献:佐藤友美子『築地ーー鮭屋の小僧が見たこと聞いたこと』(いそっぷ社)