痛風は、なってほしくないときにこそやってくる。それに屈したくないばかりに抵抗して弄ばれる。そんな日が続いたある日、転機は訪れた――。
どうやら、飲みすぎると発作が出る。すぐにではないが、飲みすぎが続けば、いずれ必ず痛風はやってくる。それは、わかった。
しかし、これはあくまで個人的な省察である。私の周りには一切酒を飲まないのに痛風持ち、という、なんとも気の毒な人もいる。だからあくまで私の場合だが、飲み過ぎの時期が続くと、後に痛風が待ち構えている。多忙でストレスのかかるときの方が余計にその傾向が強くなる。
最初は左足だけだったが、似た症状が右に出て、部位も、足の甲や足首近くなど発症するたびに微妙に異なってきた。
2、3日寝ていても構わないという気楽なときなら発作が出ても怖くはない。引きこもって安静を心掛けていれば悪化しないし、各種の痛み止め薬が、よく効く。
怖いのは、タイミングだ。
明日から関西出張という日に、ヘビーな一発がきたときは、きつかった。新幹線までたどり着く自信がない。翌朝、やや回復していればいいが、と淡い期待もしたが、それはあっけなく裏切られた。
義母の杖を借りる。痛むのは左足なので、運転はできるから、車で新横浜へ出て、杖をつきつき新幹線ホームにたどり着いた。
もう、ダメだ。
私は、精魂尽き果てた。
大阪に着いてからは、4軒の飲み屋ハシゴ。
そのうち3軒が立ち飲み屋であった。
これも仕事だから頑張ったけれど、杖ついて大阪行ってハシゴ酒というのは、ちょっと、笑えなかったのである。
それから私は考えを改めた。痛風に抗い、痛風と闘い、痛風に叩かれる私から、痛風に寄り添う私に変わろうと決めたのだ。
痛む患部を睨みつけるより、そっと撫でて宥めるのだ。尿酸値が高いと嘆く友あれば、心配するなと肩を抱き、激痛にあえぐ同輩を背負って駅の階段を降りる。
さふいふものに、ワタシはなろう、と決めたのだ。
すると、どうだろう。心穏やかなる者には、痛風もまた優し。
それ以来、杖を借りることもなくなったし、足を引きずることがあったとしても「やや、引きずる」くらいで済んでいる。
そして、町を歩けば、おお、あなたもそうですか、と、同じ哀しみを知る人をすぐさま発見する目を持つにいたった。
競走馬で言うところの、歩様である。ほよう、と読む。調教師は、馬の歩く姿勢や歩幅、フォームを見て調子を判断する。どこかに故障が発生していると、この、歩様が乱れるのだ。私は、馬の歩様はわからない。が、人の歩様はわかる。今、どの程度の痛みに襲われている人であるかが、交差点を向こうから渡って来るその人の、歩様を見るとわかるのだ。
――大竹聡さんと痛風(了)
文:大竹聡 写真:安彦幸枝