10年ひと昔と言うけれど、そのスパンは確実に縮まっている。たとえば5年前にリリースされたiPhone6。いまも現役で使っている人は周りに何人いるだろう。意外といるのかなぁ。移りゆくあれこれを、あまり考えずに受け入れていくことは楽チンだから流されていくけれど、ちょっと前のことを遠い昔のように感じるのも事実。世の中がスピードを上げているのかな。
学生の頃、付き合っていたガールフレンドは実家住まいで、電話をかけるのにとても緊張した。7時だとまだ帰っていないかも、8時だとごはんを食べている最中かも、9時だとお風呂に入っているかしら、10時とか11時にかけて親、とくにお父さんがでたらヤバいかもなどと考えていると、いつ電話して良いのか正解がない。
『初期のRCサクセション』というアルバムがあって大好きなのだが、そのなかに『2時間35分』という曲があって、恋人と長電話して新記録が出て、その長さが2時間35分なんだ、という曲です。
電話をかけて、上手いタイミングで彼女が出て、ずっとずっと話し続ける、ということは確かにあった。耳が痛くなるんだよね、アレ。でも、その痛さがウキウキと嬉しかったりする恋愛初期。いまの若者は電話をかけるという行為自体をなかなかしないんだろうなあ。
ちなみに、もちろん『初期のRCサクセション』というのはRCサクセションのアルバムなのだが、ベストアルバムではなくて、実際のファーストアルバム、つまりデビュー作品なのだが、その名前に、初期の~、と付けるセンスは最高ですね。初期って、本当に好きだなあ。のちに偉大になろうが、尻すぼみになろうが、マンネリになろうが、カオスのようなエネルギーが迸っているそのままが形になっていて、ジャンルわけもされていない状態。
このウェブ版のdancyuも確か始まって1年くらい経つかと思うのですが、今後末長く、次の次の天皇が即位するくらいまで続くとすると、まさにいまあなたが読んでくれているこの連載も『初期のdancyu.jp』 になるわけですね。
さて、たとえば自分は中学生のときに、友人とLINE でやり取りするとか、複数の友人とチャットする、なんていうことはわかったわけで、もし自分がいま中学生だったら、これはキツいかもと正直思ってしまう。十代の孤独や友情というものの輪郭は、いつの時代も変化し続けているのかもしれないけれど。夏目漱石の『坊っちゃん』でLINEがもしあったら、どうなるのかな?松山に赴任した「坊っちゃん」が実家の女中「清」にLINEを送る。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寢ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寢られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸。教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今に色々な事をかいてやる。さようなら」
あれ、意外に漱石、LINE っぽいかも。清はどういう返信書くのかな。句点の後にいちいち返ってくる清の言葉を想像するのは面白い。「きのう着いた」「既読」「おつかれさま」「既読」「つまらん所だ」「既読」「まあ、そんな!」「既読」「絵文字」「既読」「十五畳の座敷に寝ている」「既読」「一体どこに寝ていらっしゃるの?」「既読」みたいな。
そして10月になった途端に実際の暑さ寒さではない、世の中からの「年末がやって来るぜ!」という圧を感じますね。かつては、11月末のボジョレー・ヌーボーの広告あたりから始まって、12月のクリスマスの商戦、そして、年の瀬、お正月、という流れだったような気がするが、いまは10月末にハロウィーンというものが定着してしまい、ハロウィーンをモチーフにした電車の中吊り広告なんかを見ると、子ども時分にハロウィーン自体を楽しんだ思い出や記憶が自分の中にないので、ねんまつくるぞねんまつくるぞねんまつくるぞ、的な圧を強く感じてしまうのでした。
――11月25日につづく。
文・写真:大森克己