佐渡で蕎麦?と怪訝に思うなかれ。あごやカマスの節でつくるつゆは風味絶佳。そこには江戸前とは違う、佐渡ならではの蕎麦の味わい方があった。
初めての佐渡。初めてのご飯。
評判のいい蕎麦屋があることはリサーチ済だった。
「モゼム」と異国人の名前のように呼ばれているその蕎麦屋の店名は、「茂左衛門(もぜむ)」という。
佐渡なまりの呼ばれ方を、そのまま店名の読み方にしているのだ。
両津港から車で出発し、青い田んぼと海の間の伸びる渋滞知らずの一本道を走りゆく。
「目的地まであと少し」と見当を付けながらも、店らしい店を見つけられず、カーナビの示す位置をうっかり通り過ぎてしまった。
慌てて引き返し、速度を落としてゆっくり走る。
あった、あった!
民家のような一軒家には看板などない。これでは通り過ぎるはずだ。
塀にひっかけた枝に「そば」の文字が縫い付けられた布がひらひらはためいているだけなのだから。
店の中へ入ると、すぐに「茂左衛門」の世界に引き込まれてしまった。
昭和35年に建てられた、築59年になる家屋には、現在でもとても入手が困難な上質な木材を惜しげなく使われている。そこに、この店を営む齋藤和郎(かずお)さん、佳子(よしこ)さん夫妻が選んだ、骨董家具やアジアの風合いが漂う小物や手触り感のある民芸品などが散りばめられていて、それが至極調和しているのに新鮮な感じもしてとても心地がいい。
和郎さんは佐渡・両津出身で、東京へ出てからもずっと、故郷に帰って古民家で商売をしたいと思っていた。理想の古民家を探すなか、伝統的な造りのこの家屋と出会い、2014年6月に開店。店名をこの地で親しまれてきた、かつての家主の屋号から付けたのだった。
「茂左衛門」の蕎麦はすべて十割で打つ。
その中でももっともシンプルかつオーソドックスなのは、「あごだしぶっかけそば」である。
蕎麦の入ったどんぶりに、一合徳利に入ったそばつゆが添えられる。
つゆはあますことなく全部かけて、よく混ぜて手繰る。
細打ちのなめらかな蕎麦に柔らかいまるみのあるつゆがよく絡み、つるつると喉を通っていく。江戸前の辛つゆのようなキリリとしたつゆとはまるで別ベクトル。あれだけたっぷりかけてもやさしい味わいで、ぺろりと食べきれてしまう。
「あごだし」とひと言でいっても、佐渡島の地域によってまったく違うものだと和郎さんが教えてくれた。
「あごは骨を取ってしまったり、2年、3年と熟成させたり。鰹節、昆布、干し椎茸、煮干し、日本酒など、そこに合わせる材料にバリエーションがあります。佐渡にはもともと“雑だし”の文化がありました。あご、つまりトビウオを使う以外に、アジやアイナメ、キュウセンベラ、ギンポ、小鯛などを干して節として使ったり、その昔は鮎節もあったと聞きます。カマスを合わせるのは小木という地域の特徴で、私は小木産のあごとカマス、それに干し椎茸でだしを取っています」
ほかに、江戸風の辛つゆで食べる「鰹だしもりそば」、佐渡に自生するくるみを使う「鬼くるみそば」などがあるが、ことさらファンが多いのは「あぶりきつねそば」である。
つゆは、ぶっかけそばと同じあごだし。そしてなんといっても、たっぷりと盛られる油揚げがいい。
「佐渡は水が美味しいんです。だからお豆腐が美味しく、揚げも美味しいんです。あごだしには七味が合うのでお好みでどうぞ」と、和郎さんが言葉を添えてくれた。
むっちり存在感のある油揚げがつゆを吸い、蕎麦のいい合いの手になる。黒板に書かれた地酒とだって相性がよさそうだ。
蕎麦前はさることながら、「茂左衛門」の愉しみ方は蕎麦だけにあらず。コース料理があり、大半のお客はそちらを予約するという。
さて、コース料理ではどんな味と出会えるのだろうか?
――つづく。
文:沼由美子 写真:大森克己