「IRORI」は伊藤兄弟が生まれ故郷で営んでいるイタリアンレストランだ。メインは「炭火焼と自然派ワイン」。店が面している通りには、材木店や金物屋が並んでいる。果たして、自然派ワインとの相性はどうなんだろう?そんなふうに思いながら店を訪れると、多くの人たちが自然派ワインを愉しんでいたのである。
「僕たち、雰囲気が似てるって言われたりもしますけど、中身は正反対なんです」
「IRORI」を営む伊藤兄弟は、口を揃えて言う。
兄の雅(まさし)さんは、頭に浮かんだことをポンポンと言葉にしたり、バーッとアイデアを書き出して着想を整理する。いわば、頭のキレるアイデアマン。
一方、弟の優(まさる)さんは熟考タイプ。
「深くハマりこむと、正解がわからなくなってしまって、思考から出てこれなくなってしまうこともしばしば」と苦笑いする。
「煮詰まって兄に相談すると、あれこれアイデアをくれるんです。もらったキーワードが突破口になって、思考が回りだすこともあります。もともとの性格に加えて、シェフとサービスという職種の違いもあるかもしれません」
シェフという人種は自分の内側で熟考し、その上で試作を重ねて理想の一皿へたどり着く。サービスという職種は客の求めを聞き取り、さまざまな要望を満たせるような最適の一杯を提供する。
サービスの人間は、まず客のリクエストを聞くところからのスタートとなる。だから雅さんは当初、自然派ワインを店の構想に組み込んでいなかった。
「自然派ワイン――最近なら『ヴァン・ナチュール』なんて言われますが、独特の風味がありますよね。ワインが好きな人でも好みがわかれますが、想定していた商圏――各駅停車で上下2~3駅圏内に住む人に聞くと、ワインのニーズはあってもは自然派が何かはほとんど知られていませんでした」と、店長も務めている雅さんは語る。
だが、開店へ向けて準備を進めるうちに考えを改める。
「知らないこと」と「受け入れられないこと」はまったく別物だということを想い出したからだ。
「僕も好みの一本に出会うまで、自然派ワインの良さをわかっていませんでした。8年くらい前、まだヴァン・ナチュールなんて言葉が知られていなかった頃に出会ったワインが、自然派の多様な魅力を教えてくれました。開店へ向けて準備をしていた頃、その衝動を想い出して『自然派のおいしさを届けたい』という気持ちが強くなっていったんです」
雅さんはそう言って「ポルケッタに合わせるなら、こちらをどうぞ」とピエモンテのワインを注いでくれた。
イタリアは土着のブドウ品種の宝庫だ。イタリアワインに使われるブドウ品種の数は数百とも言われる。このピエモンテの赤に使われているネッビオーロ種は、「バローロ」や「バルバレスコ」などのイタリアを代表する高級ワインにも使われる。数百も種類があれば、世に知られていない無名のぶどうがあったりもする。
「その分、さまざまな味わいがあるし、どんなに勉強しても驚きを伴う未知なるワインに出会える楽しみがあります。うちでは炭火を使うトスカーナ料理が多い。トスカーナから上、北イタリア地方のワインを中心にセレクトしています」
「初めて自然派ワインを飲む人でも、すっと楽しめるようなものを中心に揃えてあります。ブルゴーニュやボルドー、ナパバレーといった銘醸地のワインが好きな方に、それぞれどんな自然派をおすすめできるか」ということを想定しながら、仕入れるワインのセレクトをしているのだとか。
「自然派の押し売りのようなことはしたくないんです。その人の好みに合っているのは大前提で、その上で多様な自然派ワインの味わいを届けられたらいいなって」
そうつぶやきながら、雅さんが新しいボトルを抜栓する。
そんな話を聞きながら、目の前のグラスに注がれた一杯を傾ける。体にスッと入ってくるような味わいの向こうに、伝統的なグラン・ヴァンや気鋭の銘醸ワインのニュアンスがちらちらと透けて見える。
ブームに寄りかかることなく、押しつけがましくなく、足繁く通ってくれる地元客の好みに寄り添う。そんな「炭火焼きと自然派ワイン」の店が受け入れられないわけがない。
僕らが訪れたこの日、すべての卓は予約で埋まっていた。
――つづく。
文:松浦達也 写真:木村心保