土地土地には言葉がある。風土があり、料理がある。人には必ず、故郷がある。その土地に暮らし続けるか、離れるか、もしくは戻るか、まぁそれぞれ。もしも、生まれた場所から遠く離れたとき、ふとしたときに想い出すことは、何だろう。言葉か、料理か、風景か、人か。まぁそれぞれ。けれど、頭では忘れていても、身体にしみついている何かが確実にあって、ときおり顔を出す。まぁそれは、やっぱり言葉なのかな。
実家に帰ったときに、大阪に住む妹と梅田の地下街にある立ち飲みの串カツ屋で飲んでいた。すると、ひとりの長髪の若木信吾似のネルシャツ&ダメージドのGパン姿の四十過ぎに見える男が暖簾をくぐる。「いらっしゃいませ~!おひとりさんですか?」「おう……。まあ、いつでもひとりやけどな」と返事をしながら案内されるその男。絶妙のリズムの関西弁の受け答え。笑ってしまったが、カッコいいじゃないか。「いつでもひとりやけどな」という言葉がボクの頭のなかで何度も思い出され、響く。三代目桂春團治と憂歌団の旨味をぐっと煮詰めてとった出汁のような渋い声である。
兵庫県の神戸市で生まれたボクは、その後、明石、宝塚と移り住み、1982年、18歳のときに日大芸術学部写真学科に入学するために上京した。なので、普通に阪神間で人々が使っている関西弁を話すことができる。
しかし、東京で暮らし始めてからも関西弁で喋るつもりで上京したのだが、いざ東京で関西弁を話そうとするとどうも上手くいかない。自分が関西弁で話しかけても、返ってくるのが標準語なので、リズム感がチグハグになって気持ちが悪い。どうしたものかと考えて、ひょっとして自分がテレビの中で人々が喋っているように話せばいいのかも、と思って実行してみると、なぜかスラスラと標準語で話せて、会話のリズムも心地よい。
大学に入学した最初の日に、そのようなことに気がついて、それ以来ほとんどの日常会話をいわゆる標準語で過ごしている。マンツーマンで関西人と話すとき以外は、関西弁を話す機会も減っていった。
つまり、ボクの関西弁は18歳で止まっている。関西弁で大人の会話をした経験がないのである。仕事の打ち合わせも、名刺交換も、アシスタントへの指示も、市役所の窓口でのやり取りも、バーで酒を飲むときも、デートも、セックスも、授業参観もみんな標準語である。
大人同士の関西弁の会話というものが、知っているはずなのに遠いような、懐かしいのに初めてのような不思議な存在なのである。関西で最近いいなあと思うのはそれである。
たとえば、洒落たセレクトショップやコーヒー屋さんの店員さんも時候のあいさつを普通にしてくれるのが心地よい。長い間、関西弁を使っていないので本題に入る前の会話は大事なのである。大好きな音楽や絵画に出会ったときの喜びも、酔っぱらったときの愚痴も、政治に対する怒りも長い間、ほとんど標準語で表現してきたボクの人生。死ぬまでに大阪のきれいな女の人と朝まで一緒に過ごして関西弁で、彼女の耳元で、あなたが美しくて気が狂いそうだ、という恋愛感情を表明する日はやってくるのだろうか?
――明日につづく。
文・写真:大森克己