みんなの町鮨
「すし屋のだんらん」東京都世田谷区|第七貫(前篇)

「すし屋のだんらん」東京都世田谷区|第七貫(前篇)

お鮨屋なのに、焼物、煮物、揚物があって野菜も摂れる。今日は気持ちよく仕事を終えられた!という清々しい日も、声を枯らして応援した野球の観戦帰りも、ここで一杯。イベントの企画制作に携わる比留間深雪さんがひとりで訪れる「すし屋のだんらん」は、引っ越し先の町でやっと見つけた、ほっとできる場所。家族のような人々と、大好きな日本酒が待つ、まさに日々のだんらんだ。

案内人

比留間深雪

比留間深雪

雑誌『オレンジページ』の元編集者で、現在は同社のイベント企画部に所属。3年前、とある日本酒の席でお隣になった比留間さんは、ほんわりとした話し方とは裏腹なスピード感でクイックイッと盃を空けるブラボーな呑みっぷり。そして嬉しそうに言うのである。「引っ越した町に、やっと一軒行きつけができたんですよ。お鮨屋さんなんですけどね」。あれから3年経ったけれど、ちゃんと憶えてますからね。そこ、連れてってもらいます!

ネオンのない町はロンリー過ぎた。

京王線と京王新線の違いもおぼつかない京王初心者にとって、桜上水という駅は遠かった。乗り換えにしくじって大幅に遅れ、汗だくで謝る一見客に、しかし「すし屋のだんらん」の人々はやさしい。
「なんの、閉店まで時間はたっぷりありますから、ごゆっくりどうぞ」
カラッと笑い、ゆるされて、ほっとして呑む瓶ビール。とっくに着いていた本日の案内人、比留間深雪さんもまた「まぁまぁともかく」となだめるように、駆けつけ一杯を呑み干したグラスへ注ぎ足してくれた。

鮨

比留間さんがこの町に引っ越して来たのは、3年ほど前だ。
生まれ育ったのは新宿という都会っ子。京王プラザホテルの場所が、まだ野球場だったことも憶えている。西新宿が超高層ビル群になる前の話だ。
「(昭和46年に)京王プラザホテルが建ったとき、日本初の超高層ホテルができたって大騒ぎ。地上47階の展望室は子ども心にも、入場料も高くてびっくりだったのに、大行列ができてましたよね」

桜上水は、思い出の多い新宿を経由するベッドタウン。新居の内見に足を運んだとき、緑豊かで夏は木陰が涼しいだろうな、と思った。
ところがだ。いざ暮らし始めてみれば、緑豊か=ネオンがなさ過ぎた。人生史上、最も夜の暗さを痛感する新生活はロンリーでたまらない。

こういうときこそ、必要なのは、ひとりでふらりと寄れる行きつけの店である。
もともと居酒屋だってバーだって、どこへでもひとりで行けてしまう比留間さんは桜上水の駅周辺を片っ端からパトロール。大通りから路地裏まで順番に呑んで回った。
「でもね、居心地のいいお店ってなかなかないんですよ。大箱は落ち着かないし、若い女性客がお店の人とキャッキャしているところも、どうもねぇ」
わかる、わかりますその気持ち。大人の女ひとりにキャッキャは疼く。混ぜるな危険、できるだけ遠ざかり、凪いだ海のごとく心穏やかに過ごしたいのよ。

野球の試合帰りに、応援グッズを抱えて。

で、ローラー作戦で見つかったのが「だんらん」だった。
昭和53年からこの町で営み、令和元年の今年で41年。大将の平田正(ただし)さん、女将のあや子さん、職人の深川純さんという3人編成も長く変わらず、安定のチームワークである。
今年に入って水漏れのため改装したが、3年前はまだ古い建物で、年季を感じるしっとりとした風情にも比留間さんは呼ばれた気がした。

大将

以来、2週間も空くと「だんらん」不足になる、というペースで通っている。
「おつまみ食べて日本酒呑んで、なかなか握りに辿り着かない私を許してくれるお鮨屋です。握りは100円から。お会計はいつも5,000円くらいかな。自分へのご褒美とか言っちゃって最上級を奮発した日でも、8,500円を超えたことはないですね」

仕事帰りに、土日の晩酌にと訪れる。何より、愛するヤクルトスワローズの試合帰りには、ここで喜びも悲しみもわかち合いたい。
応援グッズ三種の神器(ユニフォーム、応援ミニバッド、応援ミニ傘)をバッグにしまい込み現れる彼女を、「あそこで一発出ていれば」なんてひとり反省会ごと受け止めてくれる町鮨。それはなんと家族的な時間なのだろう。

「私が子どもの頃は、お鮨と言えば出前でした。だからこの歳になって初めて、お店としてのお鮨屋の楽しみを知ったんです」
通って3年ほど経つが、予約をしたのは今回が初めて。誰かと2人で訪れるのも初めて。彼女にとって「だんらん」を誰かに紹介することは、きっと家族を紹介するくらいプライベートで、大事なことなのだ。

「だんらん」の品書きはもうほとんど食べたと言う比留間さんに、「いつも最初に食べるものは決まっていますか?」と訊ねた。
つまみか握りか、つまみなら白身か貝か?待てよ、これまでも好きなタネを訊かれて「コリコリです」と答える案内人がいたし、何がきたってびっくりしないぞ。

などと小さく覚悟していた私に、「豆類」というパンチが飛んできた。
豆、ですか?
「枝豆とか空豆とかの、豆類です」
お鮨屋に、通年なんらかの豆があるというのもおもしろいが、ピカピカの魚介を前に、慌てず騒がず豆から始める真意はいかに。

そらまめ

訊けば、最初の瓶ビール合わせであった。
たとえば、5月のこの日は空豆を。出始めだが、女将さんがしっかり育っているものを選び、歯ごたえの残るいい塩梅にゆでてくれる。熱々ほくほくの空豆に、冷えたビールだ。手が止まろうはずはなく、もはや、私まで「最初は豆」としか考えられなくなってくる。

「次は焼物かな。焼きヤングコーンに焼き蛤、どうですか?」
なるほど、あらためて品書きを見れば、お鮨屋なのに焼物、煮物、揚物まであるではないですか。野菜もいくつか。生ものだけでなく、温かい料理をつまめるのはありがたく、それは確実に、通える理由のひとつになる。

瓶ビールを1本空けると、比留間さんは淀みなく日本酒へと進んだ。
「『雪の茅舎(ぼうしゃ)』をグラスでください」
あ、2つください。
「そうか、イカワさん秋田のご出身でしたね。私は『雪の茅舎』の消費量にはけっこう一役買ってますよ」
可愛らしく胸を張る彼女の言葉に、女将さんが深くうなずきながら日本酒をもっきりに注ぐ。受け皿さえも深鉢で、たっぷりと溢れさせてくれる太っ腹。

女将

嬉しくなって、「はい、どうぞ」の「うぞ」のあたりでフライング気味にグラスへ口を持って行く私。いけない。呑み意地を張ってしまった、と隣を見れば、彼女も同じ角度で吸い込んでいた。
比留間さんとは日本酒の席で知り合ったから、精通されているであろうことは想像していたけれど、そのおっとりとした雰囲気を裏切る頼もしさだ。

彼女によると、この店の日本酒5銘柄――「出羽桜」(山形)・「雪の茅舎」(秋田)・「墨廼江(すみのえ)」(宮城)・「八海山」(新潟)・「神亀」(埼玉)――は、上手に考え抜かれたセレクトである。
「どれも奇をてらわない王道。それでいてタイプの違う5つにバランスよく絞り込み、流行によってあれこれ動かしたりしないんです。……あ、ちょっと待って、お汁呑みます!」
食べ終わった焼き蛤の皿を下げようとした職人に、彼女はあわてて待ったをかけた。そうして貝殻に残った汁を大事に呑みほし、にっこりとまた日本酒を一口。まことに、清く正しいお酒呑みである。

第七貫(後篇)につづく。

店舗情報店舗情報

すし屋のだんらん
  • 【住所】東京都世田谷区桜上水5‐14‐9 コート桜上水1階
  • 【電話番号】03‐3304‐4554
  • 【営業時間】17:00~23:00頃
  • 【定休日】月曜(祝日の場合は火曜)
  • 【アクセス】京王線「桜上水」駅より2分

文:井川直子 イラスト:得地直美

井川直子さん.jpg

井川 直子(文筆家)

文筆業。食と酒まわりの「人」と「時代」をテーマに執筆。dancyu「東京で十年。」をはじめ、料理通信、d newsほかで連載中。著書に『変わらない店 僕らが尊敬する昭和 東京編』(河出書房新社)、『昭和の店に惹かれる理由』『シェフを「つづける」ということ』(ともにミシマ社)。2019年4月にインディーズ出版『不肖の娘でも』(リトルドロップス)を刊行。取扱い書店一覧、ご購入方法はホームページ(https://www.naokoikawa.com)からどうぞ。