北尾トロさんの青春18きっぷで里帰り、そして実家メシ。
これさえあれば何もいらないのだ!

これさえあれば何もいらないのだ!

息子が帰省する。当然、母は張り切る。手によりをかけて(お金もかけてね)、ご馳走をつくる。でもね、本当に食べたいのは、特別じゃなくて日常なんだ。わざわざ食べたい、無性に食べたい、何度でも食べたい。それは、母のつくる、子どもの頃から慣れ親しんだ味。そう、これこれ。あぁ、帰ってきて良かった。

ビバ、実家メシ!

駅から実家までは徒歩5分。もうじきアレにありつけると思うと疲れも吹き飛び歩調も軽くなってしまう。
名古屋のきしめんも、津山のホルモンうどんも、岡山駅のうどんや岩国のラーメンも良かったけれど、すべては今夜の夕食のためにあった気がする。

実家
いくつになっても、母は母(ひらがなで書くと、ははははは、ですね)。

「電話もらってから思ったんだけど、たしかにアンタは昔っから、これ好きやったね」
母が運んできたのは、なすの煮浸しと高菜炒めである。僕にとっては、このふたつが実家メシの代表なのだ。
「こんなの、特別でも何でもありゃせんけどね。ほかにもいろいろ食べさせてきたつもりなのに、これがおふくろの味?まぁそんなもんかもしれんけど。あとは味噌汁とごはんやろ。ちょっと待っとき。いま運んでくるけん」

なすの煮浸し
6食目その壱。なすの煮浸し。子どもの頃から数えると、どれくらい食べたんだろう?
高菜炒め
6食目その弐。高菜炒め。白飯と一緒に食べると、もうどうにも止まりません。

まずは煮浸しを箸でつまみ、アツアツの白飯にバウンドさせて口に運ぶ。ぐふふ、やっぱりこれだよ。生姜をたっぷり入れ、甘い香りとシャキッとした辛味が食欲を増進させるこの味で僕は育ってきたのだ。ありふれているけれど、ほかでは食べることができない。カミさんが何度挑戦しても同じようには仕上がらない。

北尾トロさん
食卓には母の手づくり料理がずらりと並ぶ。息子が嬉しそうに食べるのは、なすの煮浸しと高菜炒めばかり。

年をとっても、この味覚だけは変わらない。

高菜炒めもごま油が香ばしくて、ほかに何もなくても困らない実家の大定番。なすと高菜を交互にバウンドさせて食べるのは黄金のローテーション。このふたつがあれば、僕はいつでもゴキゲンだった。
が、母はどうしても納得できないようだ。
「河豚もあるけん、食べていきなさい。酢の物も」

夜景
実家メシ(なすの煮浸しと高菜炒め)を満喫。窓の外には門司港の夜景。思えば、遠くに来たんだなぁ。
門司港
翌日は門司港を散策。バナナの叩き売り発祥の地ですよ、ここが。
門司港駅
門司港駅。18きっぷで完走した後に見ると、なんだか感慨深いもんです。

考えてみれば、なすの煮浸しや高菜炒めはメイン料理ではない。その日のメインは別にあり、手間も時間もかけてつくっていたはずである。ついでにつくっていたような料理たちを、これぞ実家のメシだと言われたら戸惑いもするだろう。
でも、母がつくったなすの煮浸しや高菜炒めを食べるとき、僕はいつも思うのだ。
“オレ、実家へ帰ってきたんだな”、と。

――おしまい。

文:北尾トロ 写真・動画:中川カンゴロー

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北尾 トロ(ライター)

1958年、福岡で生まれる。 小学生の頃は父の仕事の都合で九州各地を転々、中学で兵庫、高校2年から東京在住、2012年より長野県松本市在住。5年かかって大学を卒業後、フリーター、編集プロダクションのアルバイトを経て、26歳でフリーライターとなる。30歳を前に北尾トロのペンネームで原稿を書き始め『別冊宝島』『裏モノの本』などに執筆し始める。40代後半からは、日本にも「本の町」をつくりたいと考え始め、2008年5月に仲間とともに長野県伊那市高遠町に「本の家」を開店する。 2010年9月にノンフィクション専門誌『季刊レポ』を創刊。編集発行人を務めた。近著に『夕陽に赤い町中華』(集英社)、『晴れた日は鴨を撃ちに 猟師になりたい!3』(信濃毎日新聞社)がある。