石原壮一郎さんの青春旅は、静岡県を超えて愛知県へと突入します。立ち食いうどんに、駅弁、ハンバーグが収まった腹をさすりながら、次の目的地を決める編集会議が車内で開かれました。
「いやあ、ビックリしたねえ。あんな幸せなことがあるんだねえ。カワノ君、ちょっと僕のほっぺをつねってみて」
「えっと、そんな失礼なことはできないので、ご自分でどうぞ」
遠慮しなくていいのに。じゃあ、自分で。「イテテテ!」。やっぱり夢ではありません。私たち青春3人組(フレッシュ系若手編集者のカワノ君、おにぎり大好き写真家のサカモトさん、私)は、浜松行きの電車に乗り込んでからも、しばらく余韻に浸っていました。
静岡市で出会ったふたりの女子高生は、静岡県民のやさしさを体現してくれただけでなく、青春のきらめきやまばゆさ、そして旅の醍醐味を思い知らせてくれたと言えるでしょう。
静岡駅から浜松駅はときおり茶畑なども見えつつ、のどかな風景が続きます。「さわやか」のレジでもらった飴玉を舐める私たち。さすが人気店、口の中がさわやかになる絶妙のアフターフォローです。浜松までは1時間以上ありますから、今後の作戦を練りましょう。
「浜松といえば餃子ですね」
「さっき、大きなハンバーグを食べたばっかりだしねえ……」
せっかくのカワノ君の提案ですが、やんわり却下。
「そうだ、その先の豊橋には『豊橋カレーうどん』がある!」
「なんですか、それ?」
「カレーうどんの丼の底にごはんがあって、間にはトロロが入っているんだよね」
「うわー、斬新ですね!それ、いいんじゃないですか」
おっと、しまった。言ってから後悔しました。豊橋カレーうどん、前にも食べたことがありますが、うどんとごはんの合わせ技で、かなりのボリュームです。
時刻表を見ると、この電車が浜松に着くのが13時32分。すぐに豊橋行きが出て、14時14分に豊橋に到着。はたしてそれまでに、お腹の中に横たわっている「さわやか」のハンバーグは、どれだけ消化されるのか。
「きっと豊橋の駅前に行けば、そのカレーうどんを食べられる店がありますよね」
「(あるのは知ってるんですけど)う、うん、たぶんね」
すっかりノリノリなカワノ君。青春を探す旅ですから「お昼ごはんを何回も食べるぐらい何のその!」という意気込みで臨みたいところです。しかし、身体は正直というか、胃袋がいまひとつ青春モードになり切れていません。
このままだと、今の胃にはやさしくない「豊橋カレーうどん」を食べる流れになりそうです。いや、そういう旅だからいいんですけど、何か説得力のある対案はないものか……。
「そ、そうだ!名古屋駅のホームのきしめんって、新幹線ホームと在来線ホームとでは、味やメニューが違うって知ってた?」
「名古屋駅のきしめん、大好きです。でも、新幹線のホームでしか食べたことないなあ。味が違うんですか?」
私がさほど前のめりになっていないのを察知したのか、サカモトさんが助け舟を出してくれました。そんなつもりはなく、きしめんに反応しただけかもしれません。
「聞いた話では、天ぷらは在来線のホームにあるお店で揚げていて、新幹線のホームに運んでいるらしいよ。前に在来線のお店に行ったときは、ドテ煮とか冷ややっことかのおつまみメニューもあって、ゆっくり飲んでる人もいたなあ」
「それって耳寄り情報じゃないですか!少なくとも天ぷらは、在来線のホームの店のほうがおいしいってことですよね」
やった、カワノ君も食いついた。
「ユニークな豊橋カレーうどんもぜひ紹介したいけど、多くの人にとってなじみが深い名古屋駅のきしめんもいいかもね」
というわけで、臨時編集会議の結果、次は名古屋駅の在来線できしめんを食べることに決定しました。自分のお腹の都合で、あれこれ言いつつ権謀術数をめぐらせる――。もしかして、青春を探す旅にふさわしくない、汚れちまった大人な行為でしょうか。
でも青春時代って、何かというとチマチマした駆け引きをしてましたよね。ひそかに想いを寄せる異性と、ライバルを出し抜きつつお近づきになろうとかして。まさに青春っぽさ満点な力が、きしめんを引き寄せたと言えるでしょう。言わせてください。
浜松駅に13時32分に到着。そのまま13時39分発の豊橋行きに乗り換え、14時14分に豊橋駅に到着。階段を上って、6分後に大垣行きが出る隣りのホームに向かうときに、懐かしいお菓子を発見。藤田屋の「大あんまき」ではありませんか!
子供の頃、おばあさんや近所の人が老人会の旅行で名古屋や三河方面に行くと、必ずお土産はこれでした(たまに「千なり」)。50年近く食べていませんが、ちょっとモチモチした生地に包まれた餡の食感、ほどよい甘さ、そしてこれを喜んで食べる幼い私を見るおばあさんのやさしい微笑みは覚えています。
食べ物の記憶って、ありがたいですね。「大あんまき」を見た瞬間、青春どころか一気に子供時代に戻ってしまいました。店頭には「チーズ」や「カスタード」などいろいろな種類が並んでいますが、幼い頃の私が食べたことがあるのはベーシックな「あずき」だけです。もしかしたら昔からほかの種類もあったけど、おばあさんは「孫はこれが好きだから」と想って「あずき」ばかり買ってきてくれたのかもしれません。
懐かしそうにショーウィンドウを眺める私を見て、カワノ君が「僕、買ってますから、先にホームに行っててください」と言ってくれました。なんて気が利くんでしょう。ただ、電車が出るまであと3分ぐらいなのに、けっこう列ができています。
私とサカモトさんは、先にホームに降りて「発車ご案内」の電光掲示板などを撮影。発車時間は刻々と迫っています。「大あんまき」は間に合うのか。あの列は、まきまきで進んでいくのか。「大あんまき」だけに。
「6番線、お下がりください」と、電車の到着を知らせるアナウンスがホームに流れます。あ、カワノ君が階段を駆け下りてきた。手には……何も持っていない。
「まだ時間がかかりそうなので、あきらめました。すいません!」
ありがとう。よく頑張ってくれました。その気持ちだけで十分です。今日のところは想い出の中で味わいなさいと、天国のおばあさんが言ってくれているのでしょう。やがてふさわしいタイミングで、ちゃんと再会できるはずです。お菓子も人も、そういうものです。
たまたま見つけた「大あんまき」に、いろんな記憶を引っ張り出してもらいました。さあ、きしめん&揚げたての天ぷらを目指して、名古屋駅へ行こまい!
――驚愕の第七回につづく
文:石原壮一郎 写真:阪本勇