荻窪駅北口から5分ほど歩いた場所に「らーめん ねいろ屋」はある。2012年にオープンした行列ができる人気店。知る人ぞ知るかき氷の名店でもあるけれど、今回は吟味に吟味を重ねた食材でつくられるラーメンのお話。
「らーめん ねいろ屋」の松浦克貴さんほど、食材選びに心血を注いでいるラーメン店主はいない。使用する食材は、店主の故郷である瀬戸内産がメインだ。乾物をはじめ、動物系食材、トッピング、調味料に至るまでふんだんに使われている。
驚くべきは、誰がどのようにしてつくったものなのか、そのすべてを松浦さんが把握していることだ。産地を聞けば、すらすらと返事が返ってくる。
「味玉に使っているのは香川県綾歌郡で育った“讃岐コーチン”の卵。チャーシューに使う豚肉は岩手県花巻市産の“白金豚”。ねぎは愛媛県西条市産の青ねぎで、農家さんから直接仕入れているものです。食材を見れば生産者の顔までだいたい思い浮かびますね」
まさか、トッピングに使う青ねぎの生産者まで把握しているとは。
「産地まで足を運んでいるのは、どんな人がつくっているものなのか知りたいからです」
そう話しながら、松浦さんは目を細めた。毎日が仕込みで忙しいが、いい食材があると知れば、ラーメンづくりの合間を縫って全国津々浦々の生産者を訪ねて回っている。
「らーめん ねいろ屋」で使われるスープは、アジやカタクチイワシ、タチウオの煮干し、真昆布、本枯れ厚削り節でとる鶏頭入りの「煮干しスープ」と、愛媛県産の“媛っこ地鶏の頸部“ネック”や足の“モミジ”、丸鶏でとった「鶏スープ」の2種類。
ふたつのスープのブレンド比率と、組み合わせるタレの味を変えることで、趣向の異なるさまざまなラーメンをつくり出している。松浦さんがつくるラーメンは、どれも滋味にあふれていて、実に味わい深い。
煮干しスープに加える本枯れ厚削り節は、鹿児島近海で一本釣りされた鰹でつくる最高級のものだ。一本釣りの鰹は、巻き網で獲ったものよりもストレスが少ないため、身に含まれる旨味成分が損なわれず、豊かな香りと奥深い旨味にあふれた本枯れ節に“育つ”のだという。
「『そちらの本枯れ節を使いたい』と問い合わせたら、開口一番に『お宅は、スープ量に対してどれぐらいの量の鰹節を入れているのか?』と聞かれたんです。正直に話したら、『使いすぎだ!鰹節を無駄遣いするな!』と電話口で怒られちゃいました」
そう苦笑いを浮かべながらも、乾物屋の社長とのやり取りについて話す松浦さんの表情はどこか楽しげだ。
「たくさん買ってもらえたら万々歳なはずなのに、それを良しとしないぐらい情熱を持った社長なんですよ。『適切な量を、適切な温度でとって初めて旨い出汁になるんだ』など、いろいろ教えてくれました」
スープに使われる鰹節のエピソードひとつをとっても、つくり手の熱量がビンビン伝わってくる。
鶏スープに使用するガラ素材は愛媛県から仕入れている「媛っこ地鶏」のもの。丸鶏は、ブロイラーの9倍の育成日数をかけた、体が大きく肉付きもよい九州産の種鶏を使っている。
「僕は水洗いでも素材の旨味が逃げてしまうと考えているので、ガラ素材であってもなるべく洗わないようにしています。もちろん、下ゆでもしません」
クリアなスープを炊く上で欠かせない動物系素材の水洗いや下ゆでの作業は、松浦さんにとっては無用の工程。それでも仕込み中の寸胴鍋にアクがまったく浮いてこないのは、事前にきちんと下処理をされて届けられるからなのか、はたまた育ちのよい地鶏だからか。明確な理由はわからないけれど、手間暇をかけられた鶏であることが関係していることは間違いなさそう。だって、ぎゅうぎゅうのケージで育った大量生産のブロイラーでは、決してこうはいかないから。
「いまはこんな風にスープを炊いていますけど、季節によって材料もレシピも変えているんです」
厨房に張り付き、仕込みの工程を必死でメモする私の横で、松浦さんがぼそりとつぶやいた。
「ええっ!?それじゃあ、スープの味が変わってしまうじゃないですか!」
思わず心の声が口をついて出てしまった。だけど、当の松浦さんはどこ吹く風。
「それでいいんですよ、定番のメニューはありますが、うちの店に定番の味はありませんから。食材の味や旬に合わせてラーメンをつくっているので、同じラーメンでも季節ごとで少しずつ味が変わっていくんです」
年間を通じて生じる味のブレは、“本当においしい素材”を追求するからこそ生まれるもの。「いつ食べに来ても変わらない味のラーメンをつくろう」と世のラーメン店主は心を砕いているというのに、そこに縛られない松浦さんの姿は、私の目にとてもしなやかに映った。
「『野菜や魚と違って、鶏肉はいつでも食べられる』と思う方もいるかもしれませんが、身が痩せる真夏は、決して鶏肉の旬とは言えません。そのため、この時期の鶏スープには無理に丸鶏を仕入れず、鶏挽肉や鶏頭などを使って仕込んでいます」
暑い時期は鶏油を半分程度に抑え、塩分濃度を上げるなど、夏仕様の味わいに舵を切っていく。
松浦さんのことを“しなやか”と感じる理由はほかにもある。
その最たるポイントが、固定概念にとらわれない食材選びだ。たとえば、“瀬戸内しょうゆらーめん”の醤油ダレにはイカナゴの魚醤、“地鶏と煮干のしおらーめん”の塩ダレにはイカの魚醤や亀の手、アコヤガイの貝柱など、ラーメン店ではあまり見かけない変わった食材を巧みに取り入れ、唯一無二の個性のある味に仕立てているのだ。
初めて“汁なしレモンソバ”を食べた時、私は、そのセンスにおののいた。トマトや鶏そぼろ、パクチー、ネパール山椒など、山盛りのトッピングをかきわけて麺をひと口。ファーストインパクトは、笑っちゃうほどレモンの味だ。口いっぱいに広がる爽やかな酸味を、今度はイカ魚醤の深いコクや独特の風味、ネパール山椒の華やかな香りや痺れがぐっと引き締める。なんなんだ、この後を引く味わいは!
個性の強い食材をこれだけぶつけ合いながらも、ラーメンの系譜を引く、汁なし麺としてしっかりまとめ上げているのだから、お見事というほかない。松浦さんのアーティスティックな感性に、感服した瞬間だった。
素材の味を生かしたメニューづくりを展開している荻窪の本店に対して、神保町にある姉妹店「ねいろ屋 神保町店」は、よりラーメン店らしいリーズナブルなメニュー構成になっている。
もちろん使われる素材は、すべて吟味を重ねたものだ。看板となるラーメンは、このご時世にうれしい650円の“中華そば”。鶏のスープに、カタクチイワシの煮干しやソウダ節、サバ節、真昆布など、魚介の出汁をしっかり効かせた一杯で、とても650円とは思えない上質な味わいだ。
オーソドックスなラーメンもいいけれど、「ねいろ屋 神保町店」を訪ねたのなら、名物の“瀬戸内レモンラーメン”にもぜひトライしてほしいところ。
「地元がレモンの産地なので、なんとかラーメンに使えないかなぁ、と考案したメニューです。完熟のタイミングで皮ごと搾ってもらったレモン果汁を、農家から送ってもらって使っているんです」
鶏の旨味とレモンの酸味が合わさったスープは、フォーの味わいにも似ているが、もっとどっしりとした力強さを湛えている印象。コクがあるのに後味がすっきりしているのでどんどん食べ進められてしまう。
定番のラーメンも、変わり種の一杯も、スープをひと口すすれば、良質な素材でつくられていることが伝わってくるはずだ。
「らーめん ねいろ屋」と「ねいろ屋 神保町店」のラーメンは、無化調、無添加とはとても思えないほど、どれも旨味に満ちている。
――つづく。
文:松井さおり 写真:徳山喜行