カフェのように小洒落た雰囲気。女性のおひとりさまも、多い。でも、ここはれっきとしたラーメン店。メニュー表には「らーめん」と「かき氷」の文字が並ぶ。もう一度、言おう。「らーめん ねいろ屋」は、れっきとしたラーメン店なのだ。ラーメン好きと、かき氷目当ての客で、店内は独特のグルーブ感に満ち溢れている。
東京は荻窪で「らーめん ねいろ屋」を営む松浦克貴さんは、元ミュージシャン。かつては、エモーショナルな音色を奏でるロックバンドのギターを担当していた。
「18歳の時にバンドをやりたくて、地元の愛媛から上京してきたんです。インディーズですけど、CDも出していたんですよ。ツアーで全国を回ったけれど、それでもバンドだけでは食べていけなくて。ラーメン店でアルバイトを始めたのが、この世界に足を踏み入れたきっかけです」
なるほど。店主が音楽をやっていたから、屋号が「らーめん ねいろ屋」なのか。
松浦さんのつくるラーメンは、どれも優しい味がする。材料は、故郷である瀬戸内産の食材を中心とした厳選素材。スープをひと口すすっただけで、チャーシューをひと口かじっただけで、店主の姿勢が驚くほどまっすぐに伝わってくる。
「きちんとした物を使って、手間ひまをかけてつくられたラーメンなんだなぁ」
そこに旨味調味料の出番は、ない。調味料はすべて、昔ながらの天然醸造仕込みや、無添加のものしか使わない。徹底している。
スープに使う鰹節は、一本釣りの鰹からつくられた本枯れ厚削り節。上品な味わいで苦味の少ないタチウオの煮干しは、漁師から直接仕入れている。料理酒は料理酒専用の麹でつくられた旨味の強いもの。塩ラーメンのタレに使う梅酢は和歌山の南高梅農家の手づくりだ。
「らーめん ねいろ屋」で使われている素材は、どれも、つくり手がはっきりしているものばかり。どの素材にも、生産者によって大切につくられたストーリーがある。
「どんな人がつくっているのか知りたくて、気になる素材があったら必ず産地まで足を運ぶようにしています。志のある人がつくったものを使いたくて」
その言葉にもまた、松浦さんの志が光る。厨房に立たない日は、全国の畑や海、に出向くため、休む間がないそうだ。
「ラーメン屋でアルバイトを始めたのは19歳の時。『時給がいい』という不純な動機で始めたんですが、音楽以外は、どんなアルバイトをしても1ヶ月と続かなかった僕が、なんと4年間も働くことができたんです。当時、新宿にあった『ラーメン康竜』という店で、外国人やホストの方を相手に、1日700杯近いラーメンをつくっていました」
その後、松浦さんは音楽制作の分野にも活躍の場を広げ、事務所に所属しながら作曲などを手掛けていたそうだ。その頃、働いていたのが、荻窪にある名店『ラーメン 二葉』。ここで松浦さんは、本格的なラーメンづくりを覚える。
「アルバイトでしたが、限定メニューも任せてもらえたんです。ラーメンづくりの楽しさに目覚めたのもこの頃。音楽制作に携わりながら『ラーメン 二葉』では計5年ほど働きました」
奇しくもここで役に立ったのが、バンドのツアー先でライフワークにしていたラーメンの食べ歩きだった。リハーサルと本番の間に覚えた地方の味を限定のご当地ラーメンとして再現。評判を得たことで、松浦さんはますますラーメンづくりにのめり込んでいく。と同時に、葛藤も覚えるように。
「二足の草鞋だと気持ちに逃げ場ができて、どちらも中途半場になってしまったんです。さて、どちらに軸足を置こうかと」
そんな時に持ち上がった、修業先の移転話。元々の店舗を譲り受ける形で、松浦さんは音楽活動をいったん離れ、ラーメンで身を立てる決意をする。
「音楽以外ではどんな仕事も続かなかった自分が、唯一続けられたのがラーメン屋。この仕事だったら、音楽の代わりにずっと続けられるかもって」
懐かしさと上品さを併せ持つ魚介の出汁、ふくよかで華やか旨味を放つ鶏スープ、雑味がなく洗練された調味料の味。上質な食材の個性が複雑に絡み合う。「らーめん ねいろ屋」のラーメンは、まるでひとつひとつの素材が奏でる音楽のようだ。
凝り性の松浦さん。メニューの双璧を成す“かき氷”にも、一切の妥協がない。そこにもまた、彼の魂が込められている。
「フルーツは、季節感のあるものを全国の農家さんから取り寄せています」
時には、自らの手で摘んだフルーツを使うこともある。
「旬の短いフルーツは生のものを一気に仕込んでソースやシロップに仕立て、桃のように収穫時期が長いものはこまめに仕込んで品種リレーをしていきます。同じフルーツでも味わいが変わっておもしろいんですよ」
いやいや、この会話も負けじとおもしろい。だって、話だけ聞いていたら、とてもラーメン屋の店主が話している内容とは思わないでしょう?
無化調、無添加。素材選びに徹底的にこだわり、手間ひまを惜しまずにつくるのが、松浦さん流。そのスタイルは、ラーメンもかき氷も変わらない。本格的な味わいを求めて生粋のラーメンファン、かき氷ファンが遠方からわざわざ訪れるが、年配の女性客から子どもまで、地元のファン層もとても厚い。
――つづく。
文:松井さおり 写真:徳山喜行