初日は畦の草刈りに続いて、2日目は田んぼの草取り。と、その前に絶景の棚田を見に行く。心が洗われて、やる気は満ちるけれど、雑草たちを目の当たりにすると、気持ちが萎えていく。が、そこに現れた人物の動きに、再び草取り心に火がついたのだった。
十日町にある「星峠の棚田」は、各地からひっきりなしに人々が訪れる観光スポット。あまりの見物人の多さに、農作業が滞ることもあるくらいで、車による人身事故も起こっているらしい。
ぼくらが星峠に到着したのは午前7時30分。こんなに朝早くから、もう若いカップルの姿があった。高台に肩を寄せ合いながら、なだらかに広がる棚田に見惚れている。なんと、田んぼがデートスポットになっているのだ。驚きですね。
どれどれ、何がそんなにいいの?
興味津々、ぼくも展望台から眼下に目を落とした。そして、しばし茫然としました。絵はがきやポスターで見るのとは大違い。ひっそりと静まり返った中に、緑の匂いを含んだそよ風、小鳥の囀り。このリアル感がたまらない。棚田の数は約200枚もあるとか。でも、単なる雄大さとか、自然の美しさとかではない何かが、心の底に響いた。なんだろう、この感覚は?
そこではっと気づきました。棚田の風景には、そこに誰もいなくても人の気配が感じられるのです。たったひとりでここに取り残されても、少しの不安も怯えもない感じ。「人のぬくもり感」があるといってもいいかもしれない。ともかくホッとするんですね。
星峠の棚田を眺めていると、もうひとつ気づくことが。それは「つながり」です。この眺望からは、どの田んぼも地面と水路で繋がっているということが一目瞭然。ということは、一枚の田んぼが手入れをサボると、それがほかの田んぼにも悪影響を及ぼすということ。害虫、雑草は平気で他の田んぼを荒らします。みんながこれだけきれいにイネを植えつけて、雑草を刈っているのは、単にこれを「大地のアート」にするためではない。そこには里山に暮らす人たちの暗黙の連帯責任があるんですね。これを大地への責任、といってもいいのかなあ。
こんなことをつらつら考えていると、「藤原さん、草取りの時間に間に合いませんよ」とぴしゃりと言われ、我に返った。
星峠を後にして、松代のわが棚田に到着。水面が隠れるほど草ぼうぼうの田んぼを前に、早くも気持ちが萎えていく。素人の手で植えられた、しかも農薬なしの田んぼなのだから、仕方がないと自分を慰めていると、ちょっと嬉しいアドバイスが。
「雑草取りの基本は根から取り払う。でも、それが難しいときは、水面から顔を出さないようにしっかり踏みつけても大丈夫だ」という。本来は、雑草が水面に顔を出し始める前に対策を講じるのがベスト。その際は、泥を踏む、あるいはもっと初期の段階ならば、水をかき混ぜておくだけでも除草効果になるらしい。
合鴨を田に放つ稲作の農法を耳にしたことがあるが、ぼくはてっきり鴨に害虫を食べてもらうのが目的だと思っていた。ほんとはそれよりも、水かきのついた足で水中をかき混ぜて泥を濁らせて、太陽の光を遮って光合成のジャマをすることで、草が繁殖しにくくするのが目的だとか。なるほどよく考えたものですねえ。
さて、いよいよ草取りの本番。
入田!
水量も泥土の深さも田植えのときとほぼ変わらない。当然、長靴が泥にはまって歩きにくい。裸足になればよかったと後悔した。しかし一度入ってしまえば、そう簡単に陸には戻れないのだ。覚悟を決めて、軍手をした手で、イネのまわりの雑草を取っていく。しかし雑草がイネに絡まりついて、なかなかうまくいかない。雑草を一気に引き抜くと、イネも一緒に引き抜いてしまいそうで怖い。
草取りを始めてたったの5分で、草取りも草刈り同様に、かなり困難な作業だと思い知った。
「ヒエも取ってください」とは、現地スタッフの竹中想さんからのアドバイス。ヒエは見た目にはイネとそっくり。昆虫やハ虫類の中には、草木の柄そっくりに体の模様を変えて姿をくらます「擬態」の能力をもつものがいる。このヒエも、まるでイネを擬態しているみたいだ。イネに姿を似せて、イネのためにまいた肥料の養分をこっそり奪いとって、ちゃっかり成長しようとしているみたいで、じつに憎らしいやつだ。
根元が白っぽいのがヒエ、茎の途中に白く細い模様が一本、輪っかになってついているのがイネだという。うーん、しかしその見分けが微妙で難しい。おまけにだんだん腰がこわばってきて、雑草とイネを見わける集中力がなくなってきた。いったん休憩しようかと思ったところで、うしろに人の気配を感じてふり返った。
いつの間にか、見知らぬ人が田に入って草取りをしている。ひげ面のスリムな中年男性だ。驚いたのは、その手際のよさだ。イネのまわりの水をかき回すようにして、雑草をどんどん取り除いていく。そのスピードは、まるで人間草取りマシーン。おまけに素手なのだ。凄い、凄いぞ!彼の姿に励まされて、ぼくは軍手を畦に放り投げると、負けじと素手で草取りを再開した。
それにしても、あの人はいったい何者なのだ?
ーーつづく。
文:藤原智美 写真:阪本勇