一目散という言葉は、このシリーズの辞書にはありません。寄り道、迷い道を繰り返しながら、目的地にたどり着かないこともあったりして、ザッツ・ポタリング。豪徳寺「満来」の在りし日の姿に思いを馳せながら、走り出す。いずこへ?
あてにしていた豪徳寺の「満来」が、祈り届かず、閉店していたため、ほかの店を探すことにした。
商店街の人に聞くと、隣駅の梅ヶ丘に、古くていい店があるという。
じゃあ行ってみよう。その前にせっかくだから豪徳寺を見ていこう、と南に走っていると、たまたまある店を見かけ、目が釘付けになった。
黒ずんだテント看板も、店名のロゴデザインも、なんて味があるんだろう。日本最古のラーメン暖簾会「丸長のれん会」の系列店かな?
よし、ここにしよう。
あー、でも、やっぱり、梅ヶ丘の店を見てからにしようか。せっかく教えてくれたんだしな。
再び走り始めると、豪徳寺はすぐだった。
参道から立派だ。
木立の中を進み、山門をくぐって庭園のような境内に入ると、木造のいかめしいお堂や三重塔があった。
やけに外国人が多い。有名なお寺だったんだ。
井伊家の菩提寺で、直弼の墓もあるらしい。井伊直弼といえば、頭に浮かぶのは、桜田門外の変だ。諸外国との通商条約を進め、攘夷派を弾圧した結果、水戸浪士に殺されるあの事件。そっか。外国人たちはあの暗殺に憤りを……。
と思ったら、どうやら目当てはこっちのようだった。
ここ豪徳寺が招き猫発祥の地なんだとか(諸説あるようだけど)。外国人たちが笑顔で写真を撮っている。桜田門外の変はどうでもいいみたいだ。
ここで購入した招き猫に願を掛けて持ち帰り、願いが叶ったあと、この奉納所に戻すと、さらなるご利益があるらしい。つまりこれだけの人が、願いを叶えてもらっただけでは飽き足らず、もっとよこせ、と招き猫を戻しにきた、というわけで、人の欲深さ、業の深さがにじみ出ているという光景だ。
外国人たちはここに集結し、笑顔で写真を撮りまくっている。招き猫が日本文化の象徴のように、ガイドブックで紹介されているのかな?……いや、いまはSNSというやつか。
中国語をしゃべる子どもが、なんの躊躇もなく招き猫に触れ、隣の招き猫が手水に落ちた。単なる猫ちゃん人形ですか。
お寺を出て、梅ヶ丘駅に向かって走り始めた。と思ったら、すぐにブレーキに手がかかった。
「おお、こりゃすごい」
まるで木曽路の旅籠だ。浴衣を着た島崎藤村が、2階の手すりに肘をかけて座っていそうだな。
世田谷区というと、すました高級エリアのイメージがあったが、やはり東京なのだ。草むらをかきわけると、お宝があちこち潜んでる。
梅ヶ丘駅周辺は豪徳寺駅以上に賑わっており、古い建物も並んでいて、なかなか魅力的な町だった。
ラーメン屋は名前もわからず、駅の南側にあったとしか聞いていない。スマホを持っていないので、いつものように聞き込み調査をやってみると、誰もがウーンと首をかしげるのである。あれ?
路地をしらみつぶしにまわったが、やはり見つからなかった。ウーン、閉店したのかな?
いずれにしても、これではどうしようもない。「丸長」に戻ろう。
その前に、寄っていきたいところがあった。
肉まんの店「鹿港」だ。台湾の鹿港に「阿振肉包」という肉まんの名店があり、そこで修行した日本人が開いた店らしい。
以前、台湾一の“感動メシ”を探す、というテーマで、自転車で台湾を一周したのだが、その結果、新竹という町の老舗「黒猫包」の肉まんが、僕の中では一番だった。
一周を終えて台北に戻ると、再び電車で新竹に行って、「黒猫包」の肉まんを食べ、やっぱりここだな、と確信した。帰り道、拾ったタクシーの運転手に「黒猫包の肉まん最高だよね」と言うと、彼は「何を言ってるんだ!もっとうまい店がある!」と言って、運転中に何度もハンドルから手を放し、町の名と店名を紙に書いて、「ここに行け!」と僕によこした。「鹿港、阿振肉包」と書かれていた。
結局、その店には行けなかった。心残りを抱えたまま日々生きていたら、その店で修業した人の店が世田谷にある、と人伝に聞いた。
それ行け!と食べにいくと、確かにうまかった。でも実はちょっとよくわからなかった。ガツンとくる強い味じゃない。
ただ、そのときは連れと一緒で、その場で立ち食いしながら、おしゃべりに興じていたのだ。ひとりでじっくり味わったら、印象が変わるかもしれない。
などと思っている間に、お店に着いた。
ノーアポだけど、お話聞かせてもらえませんか、と尋ねたら、店長は留守だけど、それでよければ、とのこと。
店長の小林貞郎さんは日本語教師として台湾に赴任中、「阿振肉包」で肉まんを食べて衝撃を受けたらしい。その味が忘れられず、10年後に一念発起、何度も店に足を運んで、ようやく許しを得、2年間修業し、世田谷に店を開いたということだ。
「よく許しが出ましたねえ」と僕は感心した。中国人や台湾人の料理人は、大事なレシピは家族以外には口外しないと聞く。
「店長さんは、誠実な人柄だから」
店のおばさんはそう言って微笑んだ。従業員から「誠実」と言われるボスなんだ。なんかいいね。妙に新鮮。
見ていると、お持ち帰りで大量に購入していく常連さんばかりだ。
「お体、大丈夫ですか?」「私はここの肉まんで病気治してるのよ、あはは!」なんてやりとりをしている。
じゃあ僕も、と持ち帰り用に冷めた肉まんを4つ、温かいのをひとつ買った。イートインがないので、前回同様、その場で立ち食いする。目の前は交通量の多い世田谷通りだ。車の騒音にまみれながら、かぶりつくと、皮はふわふわでほんのり甘く、中からジューシーな肉団子のような肉餡が顔を出した。うん、うまい。でもやっぱり……ちょっと印象が薄いかな。土産に4つもいらなかったか、と思いながら、再び自転車に乗って走りだした。さあ、「丸長」のラーメンを食べにいこう。
その前にひとつ、余談を。
この日の夜のこと。ポタリングを終えて帰宅し、肉まんを蒸しなおして食べたら、全然違ったのだ。いい素材を使った料理ならではの繊細できれいな味が、はっきりと感じられ、ひと口食べるごとに、皮のきめ細やかさ、粗挽き肉の歯触り、あふれ出る肉汁などに、いちいち感動し、気が付けば妻と取り合いになって、「か~っ、もっと買ってくるんだった!」と後悔したのだった。
そう、車の騒音や排ガスにまみれ、感覚がバカになった状態で食べて、味なんてわかるわけがないのだ。それにしても、こんなに印象が変わるものなんだな。
これで“心残り”はなくなった……わけではまったくなかった。この味を再現した店長が惚れ込んだ元祖の味、台湾本店の肉まんを無性に食べたい!とむしろ欲望と探求心は増すばかりなのである。やれやれ。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ