くるみ割りを、もう一杯。
食べたい物を聞かれたら反射的に「揚げ物」と答えてしまう。

食べたい物を聞かれたら反射的に「揚げ物」と答えてしまう。

森下くるみさんの連載が始まりました。2回目なり。さて、油で揚げたつまみに目がないという森下さん。渋谷の「恵」でハムカツを肴に黒ホッピーをぐいぐい。ほろ酔い気分で帰り際、店主に話しかけてみると……ほろっとなって、家路に着いたのでした。

店名の「恵」は“けい”なのか“めぐみ”なのか。

「恵」に行くと、注文する料理については、だいたい目星がついている。ハムカツ、肉豆腐、きぬかつぎ。
ずいぶん前に弟とよくきていた頃は、刺し盛りや板わさ、やたら大盛りの川えび、写真に映える沢がにの素揚げをバリバリやりながら黒ホッピーを飲んでいた。
わたしは食べたい物を聞かれたら反射的に「揚げ物」と答えてしまうくらい、油で揚げたつまみが好きだ。「体重は20代半ばから変わってない」というわたしに、身内は「脳に脂肪がついてるんだよ」と指摘する。そうかもねえとぼんやり聞き流したいが、さて……。

ハムカツ

「恵」のハムカツにはチーズが挟みこまれ、衣の食感がザクっとしていて実に美味い。ハムというよりはソーセージな肉厚ハムカツも世の中にあるけれど、個人的には薄めの方が食べやすく、2枚(切り込み有)は量としてちょうどいい。
もちろん、あじフライやかれい唐あげなど魚系もつまみとしてのブレがなく、4名以上だったらハムカツと一緒に注文するといい。

メニュー

肉豆腐は、中心までつゆを吸い込んだ巨大な木綿豆腐が一丁まるごと皿にのっている。薄切り大根、ざく切り白菜、肉、小葱の覆いかぶさった染み染み豆腐がまとう、かすかな酸味。なんとなくお漬物を想起させる懐かしい風味だが、お豆腐は野菜や肉と一緒に特製のつゆに漬け込まれている。

肉豆腐

大鉢に盛りつけてあった新じゃが煮物の、しっかり&はっきりとしたつゆの甘味もよかった。お酒が格段に美味しくなる。
自分でつくる煮物はあくまで白飯のおかずで、いりこや昆布のだしに寄せたあっさり味にしてしまう。なるほど、家でも砂糖と味醂、今より多めに使ってみてもいいかもしれない。

新じゃが煮物

長年、気になっていたことがある。店名の「恵」は、“けい”なのか“めぐみ”なのか。ネットで検索するとどちらの呼び名も出てくるのだ。わたしは“けい”と言っていたけれど、果たして正しい呼び方は?
すると、お店の方が「んふふ、どっちだろぉねえ???」と言って破顔した。
「ほら、めぐみって名前に思い入れのある人はそう呼ぶし、けいって読み方の人もいるから、その辺はお客さんに任せてるかなー」
どっちでもいいんだ!と、慄く。じゃあ、この先も“けい”でいこう。

“けい”なのか“めぐみ”なのか

「恵」は創業50年以上になるとのこと。お店の中にはご家族の若い頃やお店の外観などの写真が飾ってある。
帰り際、俳優の笠智衆さんを思わせる店主のおじいさまが、わたしをニコニコと見つめていた。ひと言お礼をしようと隣に腰かけたら、入口にいちばん近い2人掛けの席を差して、「あそこ、座ってたよねぇ……」とつぶやいた。

店主のおじいさま

ああ、ずいぶん前に弟とよく座った席だ。18時くらいからペースを崩さず飲んで終電を逃したこともある。薄い顔で自己主張の少ないわたしは壁と同化するのが得意で、存在を認識される方が珍しい。当時は20代。どこにでもいそうな酒呑み女子の姿が店主の記憶の片隅にあったなんて、とてもありがたいことではないか。

森下くるみさん

――つづく。

店舗情報店舗情報

  • 【住所】東京都渋谷区道玄坂1‐13‐2
  • 【電話番号】03‐3464‐1413
  • 【営業時間】16:00頃~24:00頃
  • 【定休日】日曜、祝日
  • 【アクセス】京王線「渋谷駅」より1分、JR・東京メトロ「渋谷駅」より3分、東急線「渋谷駅」より5分

文:森下くるみ 写真:金子山

kurumi_morishita.jpg

森下 くるみ(文筆家)

1980年、秋田県秋田市生まれ。2008年、小説現代2月号に短編小説『硫化水銀』を発表。著作に『すべては「裸になる」から始まって』(講談社文庫)、『らふ』(青志社)、『36 書く女×撮る男』(ポンプラボ)、『虫食いの家』(kindle singles)。ポエジィとアートを連絡する叢書『未明』に「食べびと。」を連載中。映画、旅、飲食についてのコラム多数。

くるみ割りを、もう一杯。 くるみ割りを、もう一杯。

このシリーズの他の記事くるみ割りを、もう一杯。