二日酔いで迎えた朝、もう二度と飲むまいと思いながら、日が落ちる頃には余裕綽々たる態度でグラスを傾ける。酒飲みの性ですねぇ。清く正しく美しく、なんていかないところが、酒を飲む愉しさや悦びのひとつかな。その証拠は、自分自身にもあれば、文学にもある。証明済み。
気になるカクテルが出てくる小説。金井美恵子『マティーニの注文の仕方』。マドリッドの古い格式のあるホテルのバーでルイス・ブニュエルと思しき映画監督とホルヘ・ルイス・ボルヘスと思しき詩人と親交があったと語る元植物学者の老人。
「盲目という一つの大きな欠如が、J・L・Bの作品の高貴な純粋さをより高めているのだ、と人々は考えたし、彼自身も、おおむねそういった内容のことを、作品の中に書いたものだ。ホメロスを引きあいに出したりして」
老人がステッキで大理石の床を叩く合図で、バーテンダーはマティーニのおかわりをつくる。
「L・B はというと、自分の耳が聴こえないことを、大いに利用していたな、大いにね――」
L・B と J・L・Bとの思い出を語りながら老人は12杯のマティーニを飲み続け、そこで偶然彼に出会った「私たち」はうさん臭いと思いながらも彼の語り口に魅了され12杯分のマティーニの代金を支払い、タクシー代までも渡すのである。
別の日には、同じホテルで、その老人はアメリカ人の青年にガルシア・ロルカとアーネスト・ヘミングウェイとの思い出を語り、アメリカ人の青年は彼の勘定を払う。
「ここで私の飲むマティーニの作り方はヘミングウェイに教えてもらったそのままの作り方でね。グラスもきりきりに冷えているし、ジンもベルモットもきりきりに冷やしてある。ベルモットを、ほんのひとたらし。ほんのね。チャーチル流のマティーニは、ベルモットの壜をひとにらみして冷たいジンを飲む、というやり方らしいけれど、私に言わせれば、それは、やりすぎだね、それではアルコール中毒患者と同じだよ」
高級ホテルのバーで大ボラ吹きながら、その話術と人柄の魅力で他人に勘定を支払わせるというのは、なかなかの胆力を持っているというべきか、セコいというべきか、そういうヤクザな老人にはちょっと憧れるけれど、マティーニ12杯は相当の胃腸と肝臓が必要ですね。恵比寿のバーで勘定自分持ちでマティーニ、続けて何杯飲めるかと試してみたけれど、まあ3杯でフラフラになりました。
でも、人生もう少しいろんなことを練習してイーストウッドを撮影したときのエピソードとかをアレンジして話をでっちあげて、あと20年くらいしたらどこかのバーで試してみたい。偶然に出会った知らない若者に奢ってもらう12杯のマティーニ。
もうひとつ気になるカクテル。1973年生まれのアメリカ人作家ウェルズ・タワーの短編『遊園地営業中』に登場する10歳で体重77kgの息子がいて離婚歴のあるシーラはお互いに子連れで遊園地でデート中。
「アパートに彼を招待したいわ、と彼女は考える。男の子たちにはテレビゲームでもさせておいて、コンクリートのバルコニーに二人で座り、仕入れておいた高価なブランデーを飲みたい。ゲータレードを混ぜれば、二日酔いにはならない」
高級ブランデーのゲータレード割り、って、まあちゃんとしたカクテルではないわけですから名前はきっとないですね。フロリダが舞台の話なので、夏の夕暮れのバルコニーはデートには悪くない。こちらはバーで頼むのはちょっと申し訳ないので自分でつくって自宅のベランダで飲んでみたら際限なく飲めそうな代物でした。魂に手厳しい出来事が起こった日にただただ、心を無にして飲み続けたい。
文中「」内の引用。前半は、金井美恵子『マティーニの注文の仕方』(『恋人たち / 降誕祭の夜 金井美恵子自選短編集』 講談社文芸文庫所収)。後半は、ウェルズ・タワー『遊園地営業中』(藤井光訳『奪いつくされ、焼き尽くされ』新潮社クレストブック所収 )より。
――葉月につづく。
文・写真:大森克己