米をつくるということ。
田植えの快感|米をつくるということ⑧

田植えの快感|米をつくるということ⑧

シート植え、枠植えと手植えの田植えを経験して、最後がヒモ植え。いざ、始めてみると、おぉ、これは楽しいぞ。みんなで何かを一緒にやり遂げる喜びと充実感に満ちている。達成感もある。快感。あぁ、田植えをやってよかった。

自然な不自然、不自然な自然。

「田舎には自然が残っている」というけれど、これは真っ赤な嘘だね。ぼくは田植えに参加して、そのことを実感しました。
山を彩る緑は植林した樹木だし、水田も畑の植物も、たくさんの人が丹誠をこめ苦労して、つくりだしたもの。つまり人工物だ。田舎には自然がいっぱいというイメージは、むしろ田舎に対して失礼ではないか。イネは放っておけば「自然」に米になるわけではない。そもそもこのぬるぬると「不自然」に気持ちいい泥土も、人が苦労してつくりあげたものだ。

松代に広がる田園風景。山や川、木々の緑に田んぼの姿は果たして自然なのかな。と思ったら、目の前に電線が。
松代に広がる田園風景。山や川、木々の緑に田んぼの姿は果たして自然なのかな。と思ったら、目の前に電線が。

泥土のことを正式には作土層という(これは事前にちょっと勉強しました)。作土層とは、つまり人が「つくった土」をならして、一定の深さに成形したもの。これがうまく仕上がったから田に水がちゃんと溜まり、苗が根をはれるんだね。
田んぼの基礎である作土層をつくるところなんて、都会に暮らす人たちは、ほとんど目にする機会はない。こういう土づくりというような、農家の隠れた努力も知らずに安易に「プチ農業でもやって、定年後は晴耕雨読で過ごしたい」なんていう人には、ちょっと腹が立つ。こんな人に限って田畑でやる仕事には、修練によって培った技術と体力がいるということを理解していないんだなあ。
と、自分も土(ド)素人のくせに、気づけば心の中で悪態をついているのは、きっと足腰が限界に達し始めているからだ。疲れると、人はどうしても不機嫌になってくる。
ところがいったいどうしたことか、それから1時間後には、心が弾み気分が晴れやかになっていた。これが田植えのもつ不思議なパワーなのだ。気分高揚の秘密は、このあとに初体験した手植えスタイルのおかげだ。これを経験できなかったら、今回の田植えでは喜びも半分だったろう。

手で苗を植えることが、これほどまでに力をくれるとは。けれど、この仕事を本気でやったら、たいへんだとつくづく思ったのでした。
手で苗を植えることが、これほどまでに力をくれるとは。けれど、この仕事を本気でやったら、たいへんだとつくづく思ったのでした。
格闘。田植えをやりながら、そんな言葉が思い浮かんだ。泥にまみれ、自分の手と足を使って、目の前の苗を植えていくことを。
格闘。田植えをやりながら、そんな言葉が思い浮かんだ。泥にまみれ、自分の手と足を使って、目の前の苗を植えていくことを。

では、ここで少し一般的な田植えのやり方についてご説明をします。現在の田植えはほとんどが田植機を使ってやる。だから、ぼくらが普段スーパーなどで買って食べているごく普通のお米には、手植えで栽培されたものはまずない。
しかし今回の田植えは、もちろん人の手でじかに植える「手植え」だ。その一種である「シート植え」と「枠植え」というふたつのやり方はすでに体験ずみ。しかし手植えには、代表的な手法がもうひとつあったのだ。
「みなさん、せっかくだから、ここでヒモ植えをやってみませんか?」と、現地スタッフの竹中想さんがみんなに声をかけた。「ヒモ植え」って?

枠植え前の田んぼ。木枠を泥の中に押し込むことで、四角い枠をつくる。枠に沿って苗を植えていけば、等間隔に苗が並ぶというわけ。
枠植え前の田んぼ。木枠を泥の中に押し込むことで、四角い枠をつくる。枠に沿って苗を植えていけば、等間隔に苗が並ぶというわけ。
ヒモ植えの道具。畦の端と端に棒を持って立ち、くくりつけられたヒモをピンと張る。ヒモに沿って苗を植えていけば、きれいに苗が並ぶというわけ。
ヒモ植えの道具。畦の端と端に棒を持っ田人が立ち、くくりつけられたヒモをピンと張る。ヒモに沿って苗を植えていけば、きれいに苗が並ぶというわけ。

それまでぼくは一度も耳にしたことがなかった。ところが参加者の中にはすでに知っている人もいるらしい。ぐったり疲れた顔で休んでいた人たちが、その声を聞いて、さっと立ち上がった。「ヒモ植え」という魅力的な言葉に誘われて、みんないっせいに田んぼに入る。入学前の子どもからぼくのような60代まで、男女混合、年齢もさまざまだ。そういえば手植えが当たり前の昭和時代では、家族全員、親戚、隣家の人なども集合してひとつのグループをつくり、いっせいに「入田」したという。これぞまさに田植えの真骨頂である。

ヒモを目印に苗を植える。畦に立つ人が一歩、二歩横に移動する。一緒に後ずさって、また苗を植える。その繰り返し。
ヒモを目印に苗を植える。畦に立つ人が横に移動する。一緒に後ずさって、また苗を植える。その繰り返し。

田植えはみんなでやるともっと楽しい。

いよいよ初体験のヒモ植えの始まりだ。総勢15名ばかりが、田んぼの端っこに横一列に並んだ。畦の両側に現地スタッフさんが立ち、みんなの前に張られた20mばかりの細いロープの両端を持つ。このロープを使うところから「ヒモ植え」という名がついたに違いない。
「みなさん、いいですか?ではスタート!」
かけ声を合図に老いも若きも、いっせいに腰を屈め、手にした苗を植え始めた。ひとりあたり3束を一尺=30cmの間隔で、ヒモにそって自分の足もとに植えつけていく。全員が3束を植え終わると「いいですかあ、ヒモをずらします」と声がかかる。するとみんなでいっしょに、一尺ずつ後ろに足をずらして後退。その分だけヒモも後ろに下げられる。これをくり返していくわけだ。まさに息を合わせた共同作業で、自分だけ先走ったり、遅れたりはできない。「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」だ。うん、ちょっと違うか?まあ、いい。

ヒモ植えのいいところは、みんなで一緒に田植えをしているという一体感。個人ではなくチームで動くことは、なんて楽しいのだ。
ヒモ植えのいいところは、みんなで一緒に田植えをしているという一体感。個人ではなくチームで動くことは、なんて楽しいのだ。

ヒモ植えにはリズムが大切。やっているうちにだんだんそれがわかってきた。1束目、2束目、3束目を挿して、それから足を半歩後退とテンポよく動けるようになると、田植え全体がスムーズに進行する。要はリズムだ。そういえば全国各地に田植え歌というのがあるらしい。もしかすると、昔はリズムをとり歌いながら田植えをやるということもあったのだろうか。
どこからか「終わりましたあ、次!」と元気な子どもの声。のろのろやっている大人が待ちきれないとでもいうようだ。その得意げな声の調子に、あちこちから笑い声が上がる。たしかに小さな子どもは、田んぼの泥の中でもうらやましいほど動きが早い。その子の声に励まされて、こちらも気持を入れ直し、ギアを一段あげた。
そうこうするうちに、最初は遠いと思っていた後方の畦に、気づけばもうお尻がつくまでのところにきた。本当にあっという間!

お隣さんと会話をしながら、リズミカルに苗を植えていく。その昔、四方山話でもしながら、苗を植えていたのかな。
お隣さんと会話をしながら、リズミカルに苗を植えていく。その昔、四方山話でもしながら、苗を植えていたのかなと思いをはせる。

「はい、お疲れ様でした」とフィニッシュの声。えっ、もう終わったの?と拍子抜けするくらいだった。
それぞれがばらばらに植えているときにはなかったスピード感と充実感。不思議なことに体の調子もよくなった。「これが田植えの真髄だ」と、ぼくは納得した。結局、田植えとはチームワークなんですね。それにしても、即席の「チーム」なのに、なぜこんなに一体感があるのだろう?きっと目の前に自分たちの「成果」が残るからだろう。緑色のか細くて美しい苗の連なりを眺めながら、ぼくは田植えの本質を見極めた気がした。

ヒモ植えすること、20分ほど。一枚の田んぼに苗を植え終えた。みなさん、充実感いっぱいです!
ヒモ植えすること、20分ほど。一枚の田んぼに苗を植え終えた。みなさん、充実感いっぱいです!

「藤原さん、7月には草取りがありますよ」
スタッフさんの悪魔の囁きだった。ぼくは思わず「来ます、草をむしって、むしり抜きます」と、答えた。が、はたして真夏の日射にぼくの肉体は耐えられるだろうか?

――つづく。

5月25日に植えた苗は7月になると、いったいどうなっているのかな。それは、次回のお楽しみ!
5月25日に植えた苗は7月になると、いったいどうなっているのかな。それは、次回のお楽しみ!

文:藤原智美 写真:阪本勇

藤原 智美

藤原 智美 (作家)

1955年、福岡県福岡市生まれ。1990年に小説家としてデビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川龍之介賞を受賞。小説の傍ら、ドキュメンタリー作品を手がけ、1997年に上梓した『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。主な著作に『暴走老人!』(文春文庫)、『文は一行目から書かなくていい』(小学館文庫)、『あなたがスマホを見ているときスマホもあなたを見ている』(プレジデント社)、『この先をどう生きるか』(文藝春秋)などがある。2019年12月5日に『つながらない勇気』(文春文庫)が発売となる。1998年には瀬々敬久監督で『恋する犯罪』が哀川翔・西島秀俊主演で『冷血の罠』として映画化されている。