すべてを食べ終わった後に「ああ、おいしかった」としみじみ思える。それが「四川家庭料理 中洞」の中華料理だ。ひと口目から、ガツンとインパクトがあるわけではない。中華料理でよく使われる旨味調味料は不使用。使う必要のない調理法と味付けにたどり着いたからだ。このシリーズでは1日一皿、店主の思い入れの深い十皿を紹介していきます。まずは、お店の紹介からスタートです。
なんてすっきりした味わいなんだろう。 初めて「四川家庭料理 中洞」の料理を食べたとき、ちょっと驚いた。 でもそれは、店主の中洞新司さんの計算のうちである。
「目指すのは、ちょっと物足りないくらい地味だけどボディブローのようにじわじわとおいしさが伝わってくる料理です。気が付いたら全部食べていた。そして帰る頃に料理が完結するような味わいです」
開店は2018年8月のこと。
「家庭料理」と謳うのは、「1年に1回、ではなく来週また来ようか」と思える店にしたかったから。提供する料理は、ありふれた食材のはずなのに、決して真似はできないものばかりだ。
東京の巣鴨というややローカルな場所に店を構えたのは、妻の麻衣子さんと子育てをしながらでも店を切り盛りできる場所を考えたときに、一番バランスがよい土地だったからだという。
中洞さんは19歳で名古屋の調理学校を出てからというもの、ずっと中華料理畑で経験を積んできた。広東料理「南国酒家」や四川料理「芝蘭」に勤めた経験も大きいが、なによりも今の彼の味を支えているのは本場(四川)へ遠征した経験である。
成都に住み、1日3食、四川の人々の胃袋を支えている日常的な料理を食べ、体にその味を叩き込んだ。
現地の味はさぞおいしかったのだろう、と思いきや、そうではない。
「正直、胃腸が疲れてしまって。日常的な料理から学ぶところは大きかったですが、自分が日本でつくるならこういう味付けじゃないものにしようって。日本の人に好いてもらえる味にしようって答えが出たんです」
だからなのか。
油は極力少なく、味わいは軽やか。
お腹は満ちてきているのに、不思議とぺろりと食べられる。辛いのにすっと消える。
魔法のような料理。
中洞さん、あなたの思い入れのある十皿を教えてください。
「僕が挙げるのは、四川に行ったら絶対どこにでもある料理です。でもすべての料理に僕なりの解釈が含まれています」
まず一皿目は、四川料理の代名詞ともいえる麻婆豆腐から紹介してもらおう。
――2019年7月15日につづく。
文:沼由美子 写真:森本菜穂子