酒場の入口、酒場の出口。
広島でコの字酒場と言えば「い志の」を想い出してそわそわするの巻。

広島でコの字酒場と言えば「い志の」を想い出してそわそわするの巻。

広島の夜は終わらない。酒場の出口は入口でもある。出口を抜けたら、また入口が始まる、なんてことはしょっちゅう。そうは言っても、広島に来たならどうしても行きたい酒場で一杯やれば、実はほぼ満足。すっかり町に馴染んだ気分で、はしご酒が続くのは広島が好きだからなんです。

いろいろないのに、いろいろあった気にさせてくれるのは、なぜ?

「味の街」というだけあって、なんとも味のあるデザイン。広島の酒場の出口は、矢印が示す方角にある。
「味の街」というだけあって、なんとも味のあるデザイン。広島の酒場の出口は、矢印が示す方角にある。

さて、入口があるなら出口はとなるが、用事をすませて最後に寄るかというと、そうでもない。行かないとそわそわしてしまって本来の用事より前に訪れてしまったりする。かように好きになってしまったコの字酒場は、広島の繁華街、胡町にある。
最寄りはやっぱり八丁堀だが、「はまもと」からなら相生通りを挟んで北側、少し歩く。ビルの1階には市場がある本州会館の2階「味の街」にその店はあって、名を「い志の」という。

若い店だけれどコの字型カウンターは数多の飲兵衛が袖口と肘でもって磨いてきたからツヤツヤである。
「いらっしゃい」
そう出迎えてくれる石川忠さんは、かすかに笑顔を浮かべてくれて、昔のいろいろを知っている誰かに会ったような気がしてくる(昔も今もそんなにいろいろはないけれど)。

「い志の」は痒い所に手が届く酒場。店主の石野忠さんは飲兵衛の気持ちがよくわかっていて、そうそうそういうお酒が飲みたかったんだよ、という絶妙なセレクトが嬉しい。
「い志の」は痒い所に手が届く酒場。店主の石川忠さんは飲兵衛の気持ちがよくわかっていて、そうそうそういうお酒が飲みたかったんだよ、という絶妙なセレクトが嬉しい。

石川さんは、この店をひとりで切り盛りしているが、視野が広くて仕事が早い。目が合うとにやり。こちらも何も言わないが「とりあえず元気にやっています」という挨拶をしたつもりになる。それが伝わっているのだろう、一杯目に「お燗かな」と聞いてくる。こちらの思いはお見通しである。石野さんは、かつてサッカーに没頭していた人ゆえ、それは名選手の霊感的なパスのように鋭い。

にごっていて、あったかいお酒が飲みたいって、顔に書いてあったわけじゃないのに、料理との相性を見ながら、ソムリエのようなドンピシャの一杯。
にごっていて、あったかいお酒が飲みたいって、顔に書いてあったわけじゃないのに、料理との相性を見ながら、ソムリエのようなドンピシャの一杯。

さて、この店はまだ5年くらいの歴史なのに佇まいは山村の農家の囲炉裏端みたいに味わい深く美しい。美しいのは1階の市場から階段を上ってやってくる材料も同じだ。
車海老がいつもきらきら輝いている。あの尻尾のコバルトのような青い縞。生と素揚げを、ひと皿に出してくれる。まずは、生をがぶりといく。しゃきしゃきとこりこりの掛け合いの中、微かに粘り気のある甘みが、華奢なのにドスのきいたブルーズシンガーの歌ように、舌先からいきなり全身に響く。ついで素揚げを頬張ると、こんどは、口中で身の繊維一つ一つにそなわった海老の旨さがユニゾンで大合唱となる。旨い。
次いで、姫サザエ旨煮を食べたらすぐにも磯に行きたくなった。さらに、このうちは、魚を胡麻で和えるのが上手くて、ゴマかんぱちを頼んだら本当に二合やってしまった。

車海老を堪能。生は尻尾がぴくりぴくり。素揚げは頭からがぶり。
車海老を堪能。生は尻尾がぴくりぴくり。素揚げは頭からがぶり。
姫サザエは大ぶりで、食べ応え十分。噛めば、磯の香りがジュワー。
姫サザエは大ぶりで、食べ応え十分。噛めば、磯の香りがジュワー。
店の1階に市場があるので、魚たちは階段を上るだけだから、新鮮。
店の1階に市場があるので、魚たちは階段を上るだけだから、新鮮。

広島に馴染んだと思えるのは、この店があるからなのかもしれない。

シメという呼び方に腰が引けるのは、そこでシメられる自信がないからで、決してお茶漬けやら一膳飯に興味がないわけではない。
その夜も、どうしたって、この後に寄り道するのはわかっていたけれど、グリーンカレーを軽く盛って食べた(カレー好きの同志達よ、どうか食べて)。

グリーンカレーが日本酒に合うなんて、タイの人にも教えてやりたい。
グリーンカレーが日本酒に合うなんて、タイの人にも教えてやりたい。

帰り際、石川さんは「楽しかったです」と言ってくれたが、こういう言葉がさらりとかけられるから、ここでも、ああ、広島に馴染めた、と思うのであった。

コの字のカウンター越しに、店主の石野さんとどうでもいい話(もしかしたら大事な話も)しながら飲めば、広島の出口は入口へと繋がっていく。
コの字のカウンター越しに、店主の石川さんとどうでもいい話(もしかしたら大事な話も)しながら飲めば、広島の出口は入口へと繋がっていく。
「い志の」がある本州会館2階の「味の街」。まるで映画のセットのよう。広島の歓楽街のど真ん中にありながら、不思議と落ち着いた時間が流れている。
「い志の」がある本州会館2階の「味の街」。まるで映画のセットのよう。広島の歓楽街のど真ん中にありながら、不思議と落ち着いた時間が流れている。

こうして、ひと通り済ませて、ようやく「出口」を出て、でも「出口」を出たからといってそのまま帰るのではなく、さらに酒場を転々としたのだが、それは、この町に馴染むためというのは言いわけで、入口と出口でもってすっかりできあがったせいである。
この先、ほかに馴染みができても、最初に好きになったこの二軒は、ずっと僕にとってのこの街の入り口と出口であり続けるのだろう。
広島は良い。なにしろ「はまもと」と「い志の」があるのだから。

「い志の」における酒と肴の記録と曖昧な記憶。

いったい、日本酒をどれほど飲んだんだろう?
いったい、日本酒をどれほど飲んだんだろう?
筍の季節だったからね。旬のものは外せません。
筍の季節だったからね。旬のものは外せません。
ぬたが好き。メニューにあると、つい頼んじゃいます。
ぬたが好き。メニューにあると、つい頼んじゃいます。
広島に来たからには、広島の酒。
広島に来たからには、広島の酒。
なんでもないような肴が、幸せだと思う。
なんでもないような肴が、幸せだと思う。
梅水晶。涼しげな名前を口に出したくて、料理も口にしたくて、気がつくと頼んでます。
梅水晶。涼しげな名前を口に出したくて、料理も口にしたくて、気がつくと頼んでます。
広島に来たからには、やっぱり広島の酒。
広島に来たからには、やっぱり広島の酒。
そら豆が出始めた頃だったなぁ。
そら豆が出始めた頃だったなぁ。
ポテトサラダは酒場の基本。
ポテトサラダは酒場の基本。
広島に来たからには、広島の酒ばっかり。おいしいよぉ。
広島に来たからには、広島の酒ばっかり。おいしいよぉ。

店舗情報店舗情報

い志の
  • 【住所】広島県広島市中区新天地6‐10 本州会館2階
  • 【電話番号】082‐248‐0321
  • 【営業時間】17:00~翌0:30(L.O.)
  • 【定休日】日曜
  • 【アクセス】広電「八丁堀停留所」より3分

文:加藤ジャンプ 写真:宮前祥子

加藤 ジャンプ

加藤 ジャンプ (文筆家)

1971年東京生まれ。横浜と東南アジア育ち。一橋大学卒業後、出版社勤務をへてフリー。酒と酒場、肴と酔っ払いを愛し、コの字酒場探検をつづける。著書に「コの字酒場はワンダーランド」(六耀社)などがある。テレビ「二軒目どうする?」(テレビ東京系)のおつまみさんとしても出演。ときどき絵も描く。