広島の夜は終わらない。酒場の出口は入口でもある。出口を抜けたら、また入口が始まる、なんてことはしょっちゅう。そうは言っても、広島に来たならどうしても行きたい酒場で一杯やれば、実はほぼ満足。すっかり町に馴染んだ気分で、はしご酒が続くのは広島が好きだからなんです。
さて、入口があるなら出口はとなるが、用事をすませて最後に寄るかというと、そうでもない。行かないとそわそわしてしまって本来の用事より前に訪れてしまったりする。かように好きになってしまったコの字酒場は、広島の繁華街、胡町にある。
最寄りはやっぱり八丁堀だが、「はまもと」からなら相生通りを挟んで北側、少し歩く。ビルの1階には市場がある本州会館の2階「味の街」にその店はあって、名を「い志の」という。
若い店だけれどコの字型カウンターは数多の飲兵衛が袖口と肘でもって磨いてきたからツヤツヤである。
「いらっしゃい」
そう出迎えてくれる石川忠さんは、かすかに笑顔を浮かべてくれて、昔のいろいろを知っている誰かに会ったような気がしてくる(昔も今もそんなにいろいろはないけれど)。
石川さんは、この店をひとりで切り盛りしているが、視野が広くて仕事が早い。目が合うとにやり。こちらも何も言わないが「とりあえず元気にやっています」という挨拶をしたつもりになる。それが伝わっているのだろう、一杯目に「お燗かな」と聞いてくる。こちらの思いはお見通しである。石野さんは、かつてサッカーに没頭していた人ゆえ、それは名選手の霊感的なパスのように鋭い。
さて、この店はまだ5年くらいの歴史なのに佇まいは山村の農家の囲炉裏端みたいに味わい深く美しい。美しいのは1階の市場から階段を上ってやってくる材料も同じだ。
車海老がいつもきらきら輝いている。あの尻尾のコバルトのような青い縞。生と素揚げを、ひと皿に出してくれる。まずは、生をがぶりといく。しゃきしゃきとこりこりの掛け合いの中、微かに粘り気のある甘みが、華奢なのにドスのきいたブルーズシンガーの歌ように、舌先からいきなり全身に響く。ついで素揚げを頬張ると、こんどは、口中で身の繊維一つ一つにそなわった海老の旨さがユニゾンで大合唱となる。旨い。
次いで、姫サザエ旨煮を食べたらすぐにも磯に行きたくなった。さらに、このうちは、魚を胡麻で和えるのが上手くて、ゴマかんぱちを頼んだら本当に二合やってしまった。
シメという呼び方に腰が引けるのは、そこでシメられる自信がないからで、決してお茶漬けやら一膳飯に興味がないわけではない。
その夜も、どうしたって、この後に寄り道するのはわかっていたけれど、グリーンカレーを軽く盛って食べた(カレー好きの同志達よ、どうか食べて)。
帰り際、石川さんは「楽しかったです」と言ってくれたが、こういう言葉がさらりとかけられるから、ここでも、ああ、広島に馴染めた、と思うのであった。
こうして、ひと通り済ませて、ようやく「出口」を出て、でも「出口」を出たからといってそのまま帰るのではなく、さらに酒場を転々としたのだが、それは、この町に馴染むためというのは言いわけで、入口と出口でもってすっかりできあがったせいである。
この先、ほかに馴染みができても、最初に好きになったこの二軒は、ずっと僕にとってのこの街の入り口と出口であり続けるのだろう。
広島は良い。なにしろ「はまもと」と「い志の」があるのだから。
文:加藤ジャンプ 写真:宮前祥子