山の音
はじめての家族写真。
大森さんの写真 大森さんの写真

はじめての家族写真。

写真は文化である。芸術である。記録である。記念になる。写真を撮ること、撮られることは偶然だったり、必然であったり。写真そのものに意味があることも、適当なことも。写真はさまざまな側面を持っている。なにより写真は、現在が過去になる。

記念写真という考え方こそが写真の根底を支えているんじゃないか

写真史や美術史の中で後世に残る傑作写真や重要な作品はいくつもあるわけですが、そういうモノとは別にごくごく普通の記念写真というものもなかなかに味わい深いものがありますね。
いやいや、記念写真という考え方こそが写真の根底を支えているんじゃないか、と思えるときさえあったりします。
2017年の夏の盛り、真夏日続きの7月末、雑誌『クイック・ジャパン』編集長の続木さんから、ラッパーのECDと写真家の植本一子夫妻、小学生の娘さんふたり、一家勢揃いのポートレートをECD特集のために撮ってほしい、という連絡があった。
植本さんがボクを指名してくださった、とのことで光栄である。ECDの作品はもちろん知っていたが会うのは初めてである。彼はその頃、末期ガンで闘病中であることを伝え聞いていたので、植本さんがどういう気持ちや覚悟で写真を撮ってほしい、と云ったのかを想像しつつ、でも想像しきれず、そして家族4人が揃った記念写真を撮るのは初めて、ということも聞いた。

大森さんの写真

それは予感じゃなくて、本当にいなくなる、みんな

撮影当日は最高気温が33度、薄曇りの蒸し暑い日で、冷房がキンキンに効いた四谷のスタジオでライティングのテストをしながら一家が到着するのを待つ。タクシーで到着した4人、まず子供たちがお出かけ着に着替え終わり、続木さんが買ってきた「ギンビス たべっ子どうぶつビスケット」を食べながら、ふたりで動物の名前を言って、じゃれあいながら待っている。
父さん、母さんも準備が整い4人は白いホリゾントに2列に並ぶ。前に子どもたち、後列左にスーツを着たECD、右に植本さん。参観日のようでもあり、入学式のようでもある。子どもたちも植本さんも日焼けしていて、ECDの顔は青白い。「みんな、いい顔してね!」とボクは声をかけ、レンズを見た彼らは微笑んで、ほどなく撮影は終了する。
幸福な空気感と若干のぎこちなさ。「せっかくだから、夫婦ふたりだけの写真も撮ろうよ」とボクが提案すると、植本さんは一瞬「えっ!」と驚いた顔をして、ECDは穏やかに笑っているように見える。「植本さん、ECDの肩に手をかけて」とボクが云うと、植本さんはほんの少しイヤそうな顔をして、でもそっと手をECDの肩に添え、ECDは笑っているように見える。
で、写真を撮り始めたら、なんとダサいことにメモリーカードの容量が一杯になっていてシャッターが切れない。ボクは苦笑しながら「ゴメン、ちょっと待ってね」と云いながらメモリーカードを交換していると、植本さんは本当にイヤそうな顔になっていて、ECDは笑っているように見えた。

大森さんの写真

仕上がった4人の写真は特集の扉を飾り、植本さんがECDの肩に手を触れたふたりの写真はプリントをしてプレゼントした。
ECDは翌年の1月に逝ってしまった。自分は末期ガンの父親のいる家族の記念写真というものを撮影したわけで、撮影した段階で彼の死の予感は濃厚にあったのですが、でもよくよく考えてみると、人間はいずれみんな死んでしまう。それは予感じゃなくて、本当にいなくなる、みんな。そんなことを記念写真というものは想起させたりもする。そして、写真の中のECDはもう年をとらないけれど、生きている植本さんと娘さんたちは年をとる。とても不思議なことだと思いませんか?

大森さんの写真

――明日につづく。

文・写真:大森克己

大森 克己

大森 克己 (写真家)

1963年、兵庫県神戸市生まれ。1994年『GOOD TRIPS,BAD TRIPS』で第3回写真新世紀優秀賞を受賞。近年は個展「sounds and things」(MEM/2014)、「when the memory leaves you」(MEM/2015)。「山の音」(テラススクエア/2018)を開催。東京都写真美術館「路上から世界を変えていく」(2013)、チューリッヒのMuseum Rietberg『GARDENS OF THE WORLD 』(2016)などのグループ展に参加。主な作品集に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。YUKI『まばたき』、サニーデイ・サービス『the CITY』などのジャケット写真や『BRUTUS』『SWITCH』などのエディトリアルでも多くの撮影を行っている。