ミニマルな空間で、日本酒と妥協なき鮨の贅沢な前奏曲を楽しんだ後は、歩いて涼みながら東へ。目指すはヴィンテージワインとシャンパンを深夜に飲めるワインバー「371BAR」だ。
「匠 達広」で危うく完全に満足しかけるが、今夜の目的はワインとシャンパンで、贅沢な前奏曲が終わった、ということになる。
新宿通りを「バルト9」の前まで歩いて、右に入ると、新宿三丁目が広がっている。「371BAR」の店名は住所からである。新宿界隈で隆盛を誇るマルゴグループの、三丁目の繁盛店で、平成から令和に向けての、新宿夜遊び系ワインバーの完成形と言える。
昭和の新宿、というものは亡霊のような薄汚さが張り付いていて、飲食は何屋であろうと、みんなきつかった。特にバーのあり方はどうにもこうにも身に合わず、ホテルのバーであろうと、バーテンダーの襟足や袖口が汚れている気がしてならず、ブランデーベースのカクテルにミックスナッツが付いてくると、少々湿り気が感じられた。
新宿ゴールデン街がリフレッシュしたといっても、新宿の亡霊はまだ全域に取り憑いている。長い間廃校だった小学校の校舎に吉本興業の本社が入り、新宿南口の「ルミネ」と並んで、亡霊を祓うかと思ったが、むしろ掴んで離さないような気分がする。
聖地「伊勢丹」がある三丁目が、「伊勢丹」それ自体を御神体に、祓われた地域となった。「新宿が新宿じゃなくなったようだ」とする者もいるが間違っている。今の三丁目が、文字通り垢の抜けた、本来の湯上がりの新宿の姿を発展的にルネッサンスしていると思う。
「371BAR」は、酒を出す店に必須である気取りは最低限に抑え、実力とアイデアでアクティヴに繁盛している。ワインリストは三つ星のカジュアル版、7掛けです。と行った風情。多様かつ絶妙であるグラスサーヴィスのあり方は、至極簡単にいえばオタクの仕事だ。値付けがどうの、面白い奴があるかどうかよりも、良いつくり手の、良いヴィンテージをオフェンシヴに押し出して、ワイン本来の古典的な強さを、餓えた新宿の客に向けてガンガン提供する。
店内は、終電が尽きてもまったく静かではない。しかし終電を失った酔客の収容所でもない。驚くべきことに、両隣か前後の一卓からは、必ずワインオタクの会話が聞こえる。葡萄酒とは、帰らなくてはいけない時間を過ぎてからが旨いということを知っている、夜行性の遊び人たちである。
静かなバーは、いくらでもある。店長の選曲が水準以上のソウルバーも山ほどある。が、鮨屋の、茶室の如き美しい“狭さ”を堪能した後なので、昭和のグランドキャバレーのような広さと騒がしさが欲しい。
舌なめずりをして一杯一杯デギュスタシオンもできるが、面倒なときは、たとえばロベール・グロフィエの“2011年シャンボール・ミュジニー プルミエ・クリュ レ・ザムルーズ”をブテイユで入れて、抜栓したサーヴィス君に一杯おごり、乾杯し、いかに旨いか、しばしリスペクトの時間を共有してから、適当に何皿か頼む。ポーションは小さく、すべてが気の利いた旨さで、つまりはフードはバル仕様だ。
腰を落ち着けてゆっくり飲める。始発まで営業しているし、長居できる設えになっている。ソファと椅子、照明とBGMの具合は、数ブロックでホストクラブやキャバクラが林立するエリアを持つ、新宿の新時代の装備を、無意識程度にうっすら導入している。
小皿に盛られて湯気を立てているフランス産の小ぶりなそら豆に、ハードからセミハードタイプのチーズをグラインドして振りかけてもらう。ミモレットの良いヴィンテージがあると言われてたっぷりと。皮ごと摘んで、指にミモレットのオレンジ色が糸を引く。
珍しいものは何もないが、ないものもない。トリュフオイルとトリュフ塩で食べるポムフリット、フォアグラを抱き込んだ丸いクロケット、様々な産地の牛肉を適当な焼き具合で。野菜に飢えたらグリルでもサラダでも。鮨屋流れなので、魚とパスタはスルーするとしても、結構な皿数を食ってしまう。そのために入り口を鮨屋に、出口をワインバーにしたのだ。
誰といても、話は止まらない。さっきの鮨は旨かったと言って飲む赤ワインは最高である。夏場だと明るくなることもある。はしゃいで醜態を晒しているグループも楽しいし、明らかに怪しいグループも楽しい。この不景気に若いサラリーマンが勇者に見える。
おすすめは締めのグラスシャンパンである。ドンペリシャンパンタワーの街で、ワインバーは抜く手を見せない。ドンペリを始め、結構なブツがグラスで飲める。
一杯目の乾杯酒を、最後の乾杯酒にする酔い心地が素晴らしい。甘ったるい口は、文字通りの出口を出てすぐのコンビニでエビアンとコーヒーを買って、歩きながら洗い流す。
文:菊地成孔 写真:湯浅亨