酒場には入口と出口がある。まずはその店に行かないと気がすまない店が入口。飲んで食べても、最後に寄って帰りたい店が酒場の出口。新宿に住むジャズミュージシャンの菊地成孔さんが、新宿で夜通し飲みたいときの酒場の入口と出口とは。
シャンパンかワインをある程度ガッツリ飲みたい日に、ビストロやレストランに直行すると、もうそこで完結してしまう。菓子やチーズや葉巻まで出され、ソーテルヌもいってしまう。だいたい終電の1時間前に。もう動けない。帰るしかない。ひとりで帰ろうと、恋人や家族と帰ろうと、帰るは帰るだ。その後、温かい団欒があろうと、激しい愛の時間があろうと、慣れ親しんだ孤独があろうと、帰るは帰るであって、意味は変わらない。
それならそれでも良いけれども、移動して夜通し飲みたい。別に、やけくそに夜遊びしたいわけではない。そういう年齢でもない。そういうときのために、日本にもバル文化は随分と定着した。しかし、あれは実際のところ、かなりのガストロノミーでないと無理だし、梯子酒を始めると止まらなくなって、美しく慎ましい贅沢をするはずであったせっかくの初心が、日本人にはやや無茶振りのラテン系によって、飲める以上に飲んでドロドロになってしまうことが多い。
そういうとき、まずは鮨屋か鰻屋に行くのが良い(中華も悪くなく、星付きの店であっても、菓子は軽く、茶によって食中酒が一度醒めるのも良いが、なにせ料理が満腹にさせすぎるので、結果、帰ることになりがちである)。居酒屋や中華のようにヴァリエーション豊かなものでなく、生魚のヴァリエーションを少々(あるいは鰻を数枚)、そして飯をそこそこに。これが一番食後に動ける。日本酒のペースはかなり遅くても良い。鮨屋と鰻屋は、料理だけで元は取れているので、酒をどんどん勧めてきたりしない。
それでも9時、10時に店を閉められると先が長い。典型的な夜型で、ディナータイムの平均が終電ぐらいの時間になりがちなので、旨くて遅くまで開いている店の貴重さは大変なものだ。というか、自宅から歩いて行ける距離に、東京で一番旨い鮨屋が、終電過ぎまで営業しているのを知ったときには、大袈裟ではなく神に感謝した。
「匠 達広」は、鮨好きには有名な匠グループの新宿御苑前店だとも言えるが、私見では本店の四谷「すし匠」よりも旨い。本店は陽性な人格の店主が仕事に意欲的すぎて、楽しくもときおり付いていけなくなるが、達広さんは、同じく仕事に意欲的な天才肌とはいえ、ストイックに渋く抑える技術があり、店の空間から献立の流れと速度、追い回しの働きぶり、酒の揃いといった、鮨屋という空間のすべてに、がっしりした、気持ちの良い硬さがある。上質の軽石のような、あるいは大理石のようなものだ。硬くてクールで、とても気持ちが良い。
赤酢によって締められたシャリに乗ったあらゆるネタが輝かしいほど旨いのは言うまでもないが、“鰯の磯辺巻き”のような、ほんのちょっとした仕事が、癒されるほど旨い。
11時過ぎから伺えば、満席ということはほとんどない。東京は新宿の夜遊び人たちでさえも、鮨の写真を撮り、終電で帰り、早速SNSをチェックするという阿呆が増えた。店側も阿呆に合わせている。客商売だから仕方がないとも言えるし、そうなったらもう終わりだ。とも言える。
お陰で「匠 達広」では、ゆっくり伸び伸びと食える。酒はメニューがなく、こちらのつまらないこだわりや好みへの忖度もなく、注文するタイミングと達広さんの勘で、その日ある日本酒の中から最初の一合が出てくる。鰊の握りから、金目鯛、炙った北寄貝が続いて、「日本酒を」と言うと、「どういう感じで?」といった無駄な質問はない。達広さんは一瞬だけ眉間に皺を寄せ、「はい喜正」と小さく叫んで、東京都でつくられている酒が出てきた。それ以来、うるさいことは一切言わない。
重すぎないし、軽すぎない。自分の胃袋に合っているというだけでない何かがある。海苔を海苔箱から出して、包丁をざっと入れると、店内に海苔の香りが充満する。本当に素晴らしい鮨屋である。
1時近くに出る。こういう日は2軒で止める。ワインとシャンパンを求めて新宿三丁目に向かう。新宿御苑は、新宿の一丁目である。一丁目から三丁目までの散歩は腹ごなしに最適で、四季を通じて気持ちが良い。
――「新宿の酒場」出口篇につづく。
文:菊地成孔 写真:湯浅亨