「おにぎりの本当のおいしさってなんだろう」。その答えを求めて写真家・阪本勇は旅に出る。都内に住む、昔同僚だった海山さん夫婦と愛娘のうたちゃんに、しゃけおにぎりをにぎってもらい公園に出かけた。
ある日曜日のお昼、西葛西に住む海山さん一家のお昼ごはんにお邪魔させてもらった。
海山家は、海山さんと奥さんの吉田さん、娘のうたちゃんの3人家族だ。
海山さんと吉田さんと僕は、以前一緒に働いていたことがある。
吉田さんは結婚して名字が海山になっているけれど、昔からの呼び方に慣れているので、僕は今も吉田さんと呼んでいる。
僕は以前、前撮りの会社で撮影をさせてもらっていた。
前撮りというのは、結婚式を挙げる新郎新婦を事前に撮影しておくという仕事だった。
最近はウエディングドレスで挙式をすることがほとんどなので、結婚式前に和装姿も写真で残しておきたいという人も多い。僕が撮影していたのは日本庭園での和装前撮りだった。
その会社は、週単位でスケジュールを提出できるので、フリーランスのカメラマンやヘアメイクが多く出入りしていた。僕は個人の仕事がないときにそこへ撮影にきていた。
スタジオではなく日本庭園でのロケ撮影で、3時間近くほぼぶっ続けで撮ることもあったので、夏の期間は、ほかのカメラマンはあまり撮影したがらなかった。
僕は汗をかくのが好きだったし、なにより当時は個人の撮影の仕事なんて月に一度あればいいくらいだったので、真夏であろうが週に5、6日撮影し、1日に2件撮影したりもしていた。
その現場で知り合ったのがカメラマンの海山さんと、ヘアメイクの吉田さんだった。
どのカメラマンとどのヘアメイクが一緒になるかは当日現場に行ってみないとわからない。
海山さんは初めて吉田さんを見たときから「タイプや!」と思っていたらしい。
対照的に、吉田さんは海山さんのことが嫌いで嫌いで仕方なかった。
一緒に撮影するのが嫌で、周りにも愚痴をこぼしていたらしい。
そんなふたりがいつのまにか仲良くなって、付き合って、一緒に住んで、結婚するまでになるんだから、愛ってまったくもってわからない。
そのふたりの愛の結晶が娘の「うたちゃん」。
ふたりの愛の進展をそばで見続けた僕は、うたちゃんの成長にも感慨深いものがある。
うたちゃんはおにぎりが好きで、特に“アンパンマンふりかけ”をかけたおにぎりが好き。
お母さんがおにぎりをにぎるのを見ていて真似したくなったのか、綺麗な形にでき上がったおにぎりを、ラップの上から見よう見まねで力まかせににぎって、おにぎりの形を変形させていた。
ついにはラップの上からでは飽き足らず、自分でもおにぎりをにぎり出した。
小さい手でにぎるおにぎりは、手のひらの大きさに比例するようにやっぱり小さかった。
頑張って3つもにぎっていた。
天気がよかったので、でき上がったお弁当を持って近所の公園に行った。
うたちゃんは走りたくて走りたくてたまらないようで、ひとりで公園を縦横無尽に走り回っていた。
外でおにぎりを食べていると、海山さんがおにぎりの思い出を話してくれた。
小学生の頃、サッカーの大会があって、お母さんがお弁当を持たせてくれた。
休憩時間、少し大きめの石を見つけ、そこに腰掛けて膝の上にお弁当箱を置き、蓋を開けるとおにぎりが入っていて喜んだ。
ふと、自分のサッカースパイクの紐が片方ほどけているのがお弁当越しに見えた。
紐を結ぼうと立ち上がり、お弁当を座っていた石の上に置いた。
何を考えたのか、紐がほどけている方の足を、お弁当を置いている石の上にあげようとして「あっ!」と思ったときにはすでに遅し。振り上げた足はお弁当を蹴り飛ばし、中のおにぎりは地面に落ちて砂まみれになってしまった。
落ち込んでいる海山さんを見て、チームメイトが「おにぎりひとつあげるわ」「ほんなら俺は玉子焼きやるわ」などと一品ずつ分けてくれて、元のお弁当よりも、周りの友達のお弁当よりも豪華になったと、お弁当を蹴ってしまったときのジェスチャーまで加えて話してくれた。
それを聞いた吉田さんは、「うーん、おにぎりの思い出ってないなぁ」とつぶやいた。
後日、海山さんのお母さんが友人と一緒に大阪から東京に遊びにきた。
その夜、海山さんのお母さんと、お母さんの友人と、吉田さんのお母さんと一緒に飲むというので、その席に参加させてもらった。
海山さんのお母さんに、おにぎりのことを聞いた。
三角おにぎりだと中に具がたくさん入らないというのと、角から食べたら一口で具に届かないという理由で、海山家のおにぎりは俵形らしい。
さらに一口目からおいしいようにと、たくわんを刻んだものや塩昆布をごはんに混ぜてにぎり、それを海苔で包む。
大阪に住んでいる、えいこさんの孫のななえちゃんは「おばあちゃんのつくる、あの読まれへん字の海苔のおにぎりが日本で一番おいしい」と言うらしい。
「あほか!日本一ちゃう、世界一や!」と返すらしいが、“読まれへん字の海苔”の意味がわからなかった。
あるとき、家で海苔の袋を開けて「あっ!」となった。
今は帰化してみんな日本国籍になっているが、海山家はもともと韓国籍で、家庭では韓国海苔を使うことが多い。
海苔の袋にたくさんのハングル文字が書かれていて「ななえが言ってたん、これのことか!」と気づいたと豪快に笑いながら話してくれた。
何杯目かのグラスが空き、みんなが気持ち良く酔い出した頃、吉田さんのお母さんに、「吉田さん、おにぎりの思い出ないって言ってましたよ!」と、少し告げ口をするような気持ちで言ってみた。
昔、吉田さんのお母さんは産婦人科で働いていて、ある日早番で午前5時には家を出なければいけなかった。
さすがに朝起きてから子供たちのお弁当をつくるのは無理だと思ったお母さんは、前夜におにぎりをにぎって冷凍庫に入れておいた。
子供たちが家を出るときに冷凍庫から出して持っていったら、お昼頃にはちょうどいい感じになっているだろうとお母さんは考えたのだ。
しかし、いざお昼になって吉田さんが食べようとしたとき、おにぎりはまだカッチンコッチンに凍ったままで、まるで歯が立たなかった。
「真由子(吉田さん)は家に帰ってきてすごい怒ってた」と、お母さんは笑いながら教えてくれた。
「あともうひとつ真由子が怒ったことがあって」とお母さんは話を続けた。
吉田さんは小学校ではバスケットボール部で、ある日曜日に試合があった。休日仕事でお弁当がつくれなかったお母さんの代わりに、お姉ちゃんがおにぎりをにぎって持たせてくれた。
お昼になって、そのおにぎりを食べようとしたら、お姉ちゃんはおにぎりをつくり慣れていなかったからにぎりが甘かったのか、一口食べたら「ボロボロボロッ!」と崩れて地面に落ち、結局一口しか食べられなかったらしい。
子供が覚えていないことでも、親はしっかり覚えていたりするし、またその逆もある。
おにぎりにはにぎる方の気持ちと、にぎってもらう方の気持ちがあって、両方それぞれに思い出が生まれることがわかった。
それにしても、千切りたくわんの混ぜごはんを韓国海苔で巻いたおにぎり、めっちゃうまそうやなぁ。
文・写真:阪本勇