両親の喫茶店「蘭館」を継ぐと決めた二代目の田原照淳さん。かつては、右も左もわからない珈琲初心者だったといいます。「珈琲」という居場所を掴んだきっかけは、師と呼べる先輩方との出逢いでした。底知れない真っ暗闇のブラックホールに、ひと筋の光を見出すまでのストーリー。
2002年に発行された、九州の情報誌『モンタン』のネルドリップ特集。そこには、福岡の「珈琲美美」森光宗男マスターをはじめ、小倉の「森山珈琲」森山利忠マスターなど、当時はまだ駆け出しだった田原さんにとっては、キラ星の如く輝く先輩マスター達の姿が並んでいた。
東京・吉祥寺「自家焙煎もか」にて修業し、1977年に自家焙煎とネルドリップの店を開いた森光さんは、同業者から“博多のマスター”として慕われる人物。2016年12月に急逝するまで、自らを“珈琲の僕”と呼び、珈琲の神様に捧げる一杯を探究し続けた。森光さんが亡くなる約1年前の2016年1月、田原さんは森光さんとともに珈琲発祥の地といわれるエチオピアを訪問。
「エチオピアに行くなら、絶対に森光さんと一緒にと決めていました。一緒に過ごした時間は、僕にとって宝物です」
一方の森山さんは、北九州の地で初めてスペシャルティコーヒーを紹介した人物。豆売りの傍ら、金曜の深夜のみ開いていたネルドリップ珈琲店に、田原さんは毎週、通いつめたという。
「ある夜なんて、かみさんとふたりで店を訪ねて、早朝5時まで話し込んだこともありました。いい加減に帰れよって思われていたでしょうけど(笑)」
森山さんを慕うあまり、いつしか身振り手振りや喋り方までそっくりになっていった田原さん。あるとき、「まわりをウロウロしてつまみ食いするのではなく、生豆を共同購入するグループに入って、めいっぱい勉強してみたら?」と薦められた。
尊敬する先輩の言葉に背中を押された田原さんは、生豆の定期購入をする、国内でも先駆的なグループに入会。良質な生豆を買い付けるにあたって専用の冷蔵庫を設え、珈琲の味や香りを評価するカッピング(味利き)の鍛錬にも力を入れた。
しかし、どれだけ努力を重ねても、その頃の「蘭館」は、地方の名もなき珈琲店である。売り上げは思うように伸びず、豆も売れない。当時はまだスペシャルティコーヒーの認知度も低く、ついには何百キロもの在庫を抱えることになった。グループを卒業したのは、5年後の2010年のことである。
苦渋の決断であったが、奇しくも同じ年、田原さんは、第2回ジャパンカップテイスターズチャンピオンシップの大会で優勝し、2011年にオランダで開催された世界大会で3位という快挙を成し遂げた。
「グループを卒業したと思ったら、優勝できて、世界にも行けた。パーッと珈琲の人生が開けたというか、それまでの苦労が一気に報われました。僕のカッピングの師匠は、ものすごく味に厳しい京都の方で徹底的に指導していただきました。僕の人生を変えた大恩人です」
田原さんは、ここ数年、全国でまだ30人に満たない「JCQAコーヒー鑑定士」(JCQA=全日本コーヒー商工組合連合会)の資格取得に取り組んでいる。試験は毎年1回。最近、取得した「生豆鑑定」の資格も5度目の正直だったというから、難易度は高い。さらに「商品設計」と「品質管理」をクリアすれば、晴れて「コーヒー鑑定士」に認定される。
店を営業しながら、資格取得や競技会に臨むのは容易ではない。練習にあてる時間も資本も潤沢にあるとはいえない個人店なら、なおのことである。
「競技会や資格取得は、日々の営業にまつわるさまざまなことを始末できないとこられない領域です。それに福岡の同業者は、ガチンコの人が多いから、うかつな珈琲を出せないですよね」
当時も自家焙煎。順子さんが女性の感覚でお客様から喜ばれるやさしい風味の珈琲を焼いていたし、「蘭館」の焙煎を母から学んだこともあった。でも次第に疑問が募っていった。本当にこれでいいのかなと。
迷いの渦中にあったとき、大分県は湯布院のとある珈琲店で「ものすごい珈琲にぶち当たった」。店の中央に据えられていた機械は、ドイツ製のプロバット。それまで見たことも聞いたこともない焙煎機だった。家に戻り、興奮して母に話したら、「そうよ、あなたのお父さんが本当に欲しかったのは、そのプロバットという焙煎機やったんよ」と返ってきた。
田原さんが歩むべき道は、その瞬間に決まった。
一般客である自分は、珈琲の味に点数をつける競技会に一体どれほどの意味があるのか、正直わからない。競技会を見たのは一度だけだし、ひねくれているのでメジャーな場に率先して行こうという気にもなれない。もちろん、その道の猛者が集う競技会で切磋琢磨し、そこで磨いた腕を日々の珈琲に還元していくという考えは、尊敬に値する行為だと思う。またカッピングという共通言語で世界の珈琲人と語り合う、それも必要なことだろう。
一方で、競技会とは無縁でも、つい足が向く魅力的な珈琲店があるのも事実である。現に競技会で選ばれる珈琲と、一般的に私達が味わう珈琲とは別物だと聞く。そう考えると、競技会というのはプロの領域であり、素人の視点でとらえるのがお門違いかもしれない。
とはいえ、田原さんが初めて世界3位になったときは、嬉しかった。次こそ世界チャンピオンですねと無責任に盛り上がっていたが、年々レベルアップする競技会で成績を残すのは至難の業らしい。いつしか競技会に出ると聞くたびにハラハラするし、いっそ選手は卒業した方がいいのにと勝手なことを思うようになった。
けれど田原さんにとっては、競技会出場こそが楽しみであり、生き甲斐であり、発奮材料でもある。その気持ちもわかりすぎるほどわかるし、素直にまっすぐ自分の道を突き進む姿には、おおいに勇気をもらったものだ。
ともかく田原さんが競技会に出場し、世界に飛び出したことで、同業者を刺激し、鼓舞したのは確かである。そういう意味では、新しい道を切り拓いた人物といえるだろう。
競技会といえば、田原さんを慕う後輩のひとりである熊本の老舗店「岡田珈琲」の久保田洋平さんから、こんな話を聞いた。ハンドドリップの腕前を競う競技会の予選でのこと。田原さんは、「珈琲美美」の森光マスターが手がけた「ねるっこ」(一般家庭でもネルドリップ珈琲を気軽に楽しめるようにと森光さんが企画・監修し、フジローヤルと共同開発したネル専用の抽出器具。13個の孔をあけた"モリミツドリッパー"に湯を注げば、シャワー状の湯が落ち、プロ顔負けの点滴ができる。営業でも使える精度がある)を3台並べて、森光さんがフィリピンのミンダナオ島で見つけてきたカラサンスウィートという豆を使い、プレゼンテーションをしたらしい。結果は、予選落ち。だが、自分の珈琲人生に大きな意味をもたらしてくれた森光さんとの思い出を珈琲に込めた田原さんのドリップには、心打たれるものがあったんですと、久保田さんは言った。
「それまで競技会というと、あらゆる手段を使って世界から集めてきた最高の素材や器具で勝負して、勝ちにいくものだと思っていたんですが、そんなやり方で勝っても、自分の珈琲じゃないから意味がないですよね。田原さんの予選を見て、気がつきました。ああいう先輩が九州にいてくれるのは、すごくありがたいです」
確かに以前、「競技会の場に立って、お店と自分の名前を言う、それだけでも出場した意味があると思うんですよ」と、田原さんが話していた。
競技会に出場することは自身の存在表明であり、やがて高みを知れば知るほど、富士山のように裾野が見渡せるようになる分、業界への使命感を抱くようにもなる。競技会の意義とは勝敗だけではない、挑み続ける人にしか味わえない世界へと繋がる扉なのである。
文:小坂章子 写真:長野陽一