「珈琲蘭館」昨日より今日、今日より明日。
「蘭館」は太宰府にある。

「蘭館」は太宰府にある。

福岡の太宰府で、昭和の時代にスタートした喫茶店は、平成を駆け抜け、令和へと歩みを進めていく。山あり谷あり。変わらずに真摯に珈琲を供し続ける田原家の物語『「珈琲蘭館」昨日より今日、今日より明日。」』は、今回が最終回です。

珈琲とは、感覚的であり、科学的である。

かうひい異名熟字一覧
「蘭館」の壁には『珈琲遍歴』を出版した版画家の奥山儀八郎氏による「かうひい異名熟字一覧」が飾られている。楽しくて、つい目で追ってしまう。

「いまの時代、感覚だけじゃ人は育たないと思います。データ分析と感性を合わせて、初めてビジネスが成立して、珈琲の世界が豊かになる」と、田原照淳さんは言う。

計器が一切ない手廻し焙煎器は別として、近年では、パソコンと連動させ、豆の温度、排気の温度、最終的なカロリーなどのデータ化は当たり前という風潮がある。確かに再現性は高まるかもしれないが、一方では、データと生豆さえ共有できれば、誰が焼いても同じ味をつくることもできるとも言えるのではないか。

焙煎器
焙煎は相棒の12kg釜と二人三脚。「焙煎に終わりはないですね。わかったと思ったら、霞のように消えていく(笑)」。

「うーん、やろうと思ったらやれますけど、個人店でそれは味気ないですよね。この12kg釜は、自分の感性を生かせるギリギリのサイズ。これ以上、大きいと工場になる。珈琲って科学的要因も大きいから、その謎解きをするためにも僕は競技会に出るようになったんですけど、ある程度、理論に裏打ちされた味づくりを感覚的にやっていけたら、すごく素晴しいと思うんです」

珈琲があって、店がある。

水出し珈琲
珈琲を使ったアレンジメニューも充実。水出し珈琲も量は少ないが、毎日きっちり仕込んでいる。

田原さんには、店を続けるにあたっての三つの目標があった。
一つは、珈琲メインの店にし、食事メニューを軽食に絞ること。「そうすることで店の格が上がるというのかな。やっぱり昨日より明日へと向上していきたいですから」。
二つ目は、営業時間の短縮。「お客様が行きたいときにいつでも開いているというのが理想なのですが、それだと僕たちの身体がもたない」。
最後は、禁煙。創業時からの常連さん一人一人に説明をして、ようやく成し遂げることができた。

喫茶室
以前は蘭の温室だった奥の空間も喫茶室に。いつ訪れてもみずみずしい大輪の花が飾られている。

そんな田原さんが最も大切にしているのが健康管理である。集中力が続く短時間だけ店を開く。空いた時間で遊ぶのではなく、焙煎したり、試験を受けたり、喫茶散歩をしたりして技術と感性を磨く。そして何よりも心身をギリギリまで追いつめる競技会に出場することこそが、上達のいちばんの早道なのだ。

「カップテイスターズの競技会の練習も、自分で焼いた豆で問題をつくって、ひとりで地味に練習してきただけ。僕は、井の中の蛙です。でもそれでいいと思う。いま、自分がやっていることは、必ず未来に通じていて、いずれ外にも繋がるはず、そう信じていますから」

香り高いネルドリップ珈琲と麗しのエッグサンドは、「蘭館」の顔。
香り高いネルドリップ珈琲と麗しのエッグサンドは、「蘭館」の顔。

「趣味?ないですね。僕は珈琲病なので、そういう意味では歌舞伎町のホストと一緒かもしれない(笑)。彼らはナンバーワンを死守するために休まないし、自分磨きにも余念がない。僕はそれを珈琲でやっている感じです」

珈琲にも、喫茶店にも、答えはないという前提の中で、これからも歩んでいきたいと、田原さんは言う。競技会では決して推奨されないネルドリップを手放さなかったのも、その表明なのだ。

時折、歯がゆそうに喋る田原さんの姿は、文章に悩む自分とも重なる気がして、にやっとしてしまう。悩んでもいいんだ。あがいてもいいんだ。できるまで止めずに、ちょっとずつ進んでいけばいいんだ。この先、いろいろあって疲れたら、「蘭館」でひと休みすればいいのだから。

田原さんと順子さん、これからも美味しい珈琲とエッグサンド、居心地のいい喫茶時間を楽しみにしています。

(了)

「太宰府に来たらお立ち寄りくださいね!」。田原親子の笑顔とエッグサンド、そしてもちろん珈琲が待っています。
「太宰府に来たらお立ち寄りくださいね!」。田原親子の笑顔とエッグサンド、そしてもちろん珈琲が待っています。

店舗情報店舗情報

珈琲蘭館
  • 【住所】福岡県太宰府市五条1-15-10
  • 【電話番号】092-925-7503
  • 【営業時間】10:00〜18:00
  • 【定休日】無休
  • 【アクセス】西鉄「太宰府駅」より3分

文:小坂章子 写真:長野陽一

小坂 章子

小坂 章子 (ライター)

1974年、長崎市生まれ、壱岐島育ち、福岡市在住。やせ我慢が板についた珈琲まわりの人々の姿に惹かれ、そのものづくりを取材する。2019年の春こそは『九州喫茶案内』を出版します。