2019年、1月。今年も、心身ともに健康に、美味しく楽しく過ごせますように。そんなシンプルな願いを胸に「蘭館」の扉を開きました。お餅やお節料理の前に、駆けつけ一杯の珈琲で「あけましておめでとうございます」。大晦日から正月三ヶ日を駆け抜けた、「蘭館」の年末年始。
いつまでも終わらない仕事を言い訳に、帰省しなかった2019年の元旦。ポストをのぞくと、「蘭館」から毎年恒例の手描きの年賀状が届いていた。自分は1枚も書いていないくせに、いただくのは大歓迎。くるりと裏を返せば、昨年夏に仲間になった水色の焙煎機の絵が描かれている。
「蘭館は、皆様のお陰を持ちまして41年を迎えます。これからも色褪せることなく珈琲とともに、歴史を刻んでゆきたいと思います。“親子二人”と、今年も仲良くお願いします」
読むそばから蘭館親子に会いたくなって、その足で西鉄電車に乗って「蘭館」詣でに出かけることにした。
新年とともに、木の香りが清々しい駅へと改装された西鉄太宰府駅は、太宰府天満宮の参拝客でごったがえしているが、私の場合、今年もいそいそと回れ右する。参道と逆向きに歩いていると、“謹賀新年”の文字と門松の絵が電光掲示された、太宰府駅行・新春バージョンの沿線バスとすれ違った。太宰府の正月は、やっぱり特別なんだなあ。
「蘭館」の扉を開くと、ママの順子さんとアルバイトのみーちゃんが「あけましておめでとうございます」とカウンターから顔をのぞかせる。マスターの田原さんはお休み。店に立つのは、3日かららしい。年賀状のお礼を伝えると、「あの絵、みーちゃんが描いたんです。上手でしょう」と、順子さんが笑顔を見せた。
なんでも親子でカウンターに立った大晦日は、開店と同時に閉店まで客足が途絶えない、怒濤の1日だったとか。
「豆を買いに来る人も多くて、珈琲やエッグサンドもどんどん出てね。ありがたいことですけど、腰が痛くなりました、もう年ですね。ちょうど見えていた『珈琲萌香』の帆足さん(田原さんの友人)も、見かねて皿洗いを手伝ってくれたんですよ」
戦争のような1日を終えた後、田原さんが床やカウンター、椅子にエノ油を塗り、きれいに磨いて、新しい年を迎えたらしい。年季の入った床に目を落とせば、本当だ、光り輝いている。
「ね、我が息子ながら、よくやってくれて助かってます」
新春の1杯目。迷うまでもなく、季節のブレンをお願いした。「秋珈琲」から「冬珈琲」へ、月日は流れているのである。中煎りの「冬珈琲」730円の紹介文には、こう書いてある。「エチオピア3種ブレンド。金の豆と呼ばれるハラールをベースに、珈琲の語源となったカッファ等を配合。甘い香りと程良いコクがあります」と。つまり、エチオピアでも異なる地域のモカブレンドである。
実は福岡では、モカだけのブレンドを出すマニアック店がちらほらある。自らを“珈琲の僕”と呼び、生涯に幾度もエチオピアやイエメンを訪れた「珈琲美美」の故・森光宗男マスターの影響もあって、モカには特別な想いを抱く店主が多いのだ。
田原さんは2016年に「豆香洞コーヒー」の後藤直紀さんや「COFFEE COUNTY」の森崇顕さんとともに、森光さんのエチオピア視察旅行に同行した一人として、その意志を受け継いでいる。
「はい、新年だから、ヤンニ・ハラール・モカ、飲んでみてください。めっちゃ甘いんですよ。ね、意外と美味しいでしょう?」と、順子さんが私と隣の馴染み客に、気前よく一杯振る舞ってくれる。もし田原さんがいたら「意外と、って言わんでよ。焼いてる人の前で」と、笑いながらツッコミを入れたことだろう。そんな想像をしながら、珈琲を味わっていたら、店がものすごい状況になってきた。新規来店客、レジを待つ客、ケーキを選ぶ客、オーダーがばっちり重なりあい、レジまわりが大混雑しているではないか。
すかさず私の隣で寛いでいたなじみ客に向かって、「レジ、お願い!」と順子ママの鶴の一声が。エッ!と驚いていると、つい先程まで「蘭館」の植木の剪定をしていたはずのダンガリーシャツを着た妙齢の男性が、レジの前に瞬間移動。恐るべし、順子ママの統率力である。でもあの方、造園屋さんでは?順子ママとは一体どういう関係なのか、と珈琲をすすりながら訝っていると、「蘭館」創業当時のアルバイトだということが判明した。ああ、なんだ、合点がいった。
――つづく。
文:小坂章子 写真:長野陽一