シリーズもいよいよ終盤戦。第4回目。とかく珈琲道になりがちなコーヒーの世界で、適度に距離をおくというか、独自のスタンスでコーヒーと向き合っている「ツバメコーヒー」の田中辰幸さんをコーヒーへと導いたひとつのきっかけは、雑誌の『ミセス』だった?
コーヒーのグレードを上げたところでお客さんの喜びがどこまで増えるかわからないですけど、自分なりに突き詰めて考えまして
美容室にて、髪を整える合間に飲んでもらうコーヒー1杯。当初は、近所にある自家焙煎店の豆を仕入れていた。その後、より「おもてなしのピース」としての精度を上げようと、能登半島の「二三味珈琲」の豆に切り替えて2年ばかり経った頃、店主が産休するという知らせがあった。では、そのあいだ、豆はどうしようか。
『ミセス』で、スタイリストの堀井和子さんが、徳島に「aalto coffee(アアルトコーヒー)」があるよと、挙げてらっしゃった記事を見たんです。堀井さんは誕生日がAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)と同じで、それがご縁で。僕はそういう『ミセス』を熟読するような人間だったんですけど、なかなか美容室では読んでもらえない雑誌なんですよね。モダンすぎるんですよ。もっと下世話感があるほうがね、正直、『家庭画報』とかのほうがいいんですよ。でも、僕としては『ミセス』を読んでもらいたいな、とかね、美容室に来てふと本に出合ってみたいな、そんなのいいな、と、勝手に妄想が盛り上がる人間だったんで
アアルトコーヒーは、徳島市にある庄野雄治さんが営むコーヒー焙煎所だ。開業は2006年。そして、店名の由来となるアルヴァ・アアルトは、フィンランドの建築家である。アアルトがデザインした、端正かつ愛嬌のある輪郭を持つガラス製の花瓶やスツールなどは、家の中にひょいと置けるサイズだということもあり、愛用する人はけっこういる。
北欧と徳島とミセス、そんなきっかけから、田中さんはアアルトコーヒーの豆を取り寄せたのだった。
注文はメールでするんです。庄野さん、こんにちは、これをください、と。それだけには終わらない、世間話みたいなやりとりもたまにあって。ふと、焙煎ってどうなんですか?って書いてみたら、僕でもできるから誰にでもできるよ、というようなニュアンスの返信があったんですよ
返信をもらってからすぐ、2012年2月に、田中さんは徳島へ飛んだ。焙煎とはどんなものなのか、見せてもらうために。その素早さに反して「僕、手網焙煎をすることにさえまったく興味を示さないほどの人間だったんですけど」と、田中さんは切り出す。
手網焙煎とかしてたら、もうちょっと焼くシステムに対して共感して、これってどうなってるんですか、っていうようなことを言えると思うんですけど、やってない人間が見る角度って、ただ見るだけなんです。豆入れて、待ってて、いま焼いてるんだよ、と言われて、ちょっと時間がたったら、さぱーって出して。僕、ほんとに素人だったんで、うわあ、焙煎されてる、と思うだけで、ああ、こんな感じなんですねって、普通に終わっちゃったんですよね。3泊4日の予定だったんですけど、毎日、焙煎に見入っててもしょうがないじゃないですか
焙煎、という工程そのものに心酔することはなかったとは言いながらも、そこから田中さんは、庄野さんの紹介により、神戸で焙煎機や生豆の卸をしている「マツモトコーヒー」にも足を運んだのだった。
マツモトさんがね、コーヒーなんてやったってあかんぞ、みたいなことをずうっと言う人だったんです。豆焼いたってもう、売れへんからな、続けてもらわなあかんし、ほんま、本気なん?そういう、僕のやる気を確認する問いかけに対してね、いやほんとにやりたいと思ってるんです、って言わないと繋がんないなということもあって、一応そう言うんですよね。まあ、絶対やったる!という確信なんかは特になく、とりあえず帰ってきたんです。で、考えてたんですよ。でも、そんなに、その材料だけでは考えることもないんですよね。ここは早く決断するってことでね、僕のやる気を示すしかない
それは田中さんの意地だったかもしれないし、賭けだったともいえる。ともかく、その年の5月には、美容室の入口に、フジローヤルの半熱風式3kg釜が据えられることになる。焙煎の猛練習を経て、コーヒースタンドとしてオープンするのが、11月。ツバメコーヒーがいよいよはじまった。
5話につづく。
文:木村衣有子 写真:当山礼子