とかく珈琲道になりがちなコーヒーの世界で、適度に距離をおくというか、独自のスタンスでコーヒーと向き合っているのが「ツバメコーヒー」の田中辰幸さんだ。ときに熱く、ときにクールに、ときにナナメに、ときにユーモアで語るコーヒーとその周辺。
お店を開くということのメリット。「自分の考えを、お店の主張に置き換えられる。お客さんはただの他人の自己主張を聞く聞かないというところを離れて、行ったり応援したりできるし、反対に、行かないことによって自分のポジションを明確にすることもできる」ツバメコーヒー店主、田中辰幸さん談。
田中さんとはじめて会って話をしたのは4年前。以来、1年に1度は顔を合わせて話をしてきた。
田中さんと話をすると「我に返る」ことができる。
単純に和んだり、あるいは意気投合したりと、そういうような友達とのやりとりとはまたちょっと違う感覚を得ることができる。自分がたやすく世間に流され、我を忘れていたことに気づかされる、と言ってもいい。そう、それがいちばん近いかもしれない。
2018年は、1度どころか3度も田中さんと会った。その際、彼の話を録音させてもらうことにした。車中で、新潟の喫茶店で、そして「ツバメコーヒー」で。都合、5時間以上10時間未満は録音したテープを起こしつつ、その中から、なるほどねと思わされ、しかも140字にちょうどおさまる箇所をひとつ、ツイートした。ほぼ100の「いいね」。フォロワーがすごく多いとはいえない私のツイートにしては気に留めてもらえたほうだと言えるだろう。
お店を開くということのメリット。「自分の考えを、お店の主張に置き換えられる。お客さんはただの他人の自己主張を聞く聞かないというところを離れて、行ったり応援したりできるし、反対に、行かないことによって自分のポジションを明確にすることもできる」ツバメコーヒー店主、田中辰幸さん談。 pic.twitter.com/P0ZzBzwi9f
— 木村衣有子 (@yukokimura1002) 2018年9月5日
店が、営む人を映していればいるほど、興味と愛着が湧いてしまうし、その店主の個人史を聞き出すことにも意義があるはずだと信じている私だ。
ただ、そういう場合、ひとり、あるいはごく少人数で切り盛りされている店がほとんどで、そして、店主がいなくなれば、そのままたたまれるという道をたどる。儚い。
その儚さについて、実際に店を営んでいる人はどう捉えているのだろうか。
田中さんの場合は、こうだった。
あるご主人が死んだからお店を閉じました。お店も人間と一緒で、それが生きてるってことじゃないか、生きてる命なんだと実感する。それはそれでいいじゃん、と思う感もある。死んだら終了! そういう代替不可能なものの美に、けっこう価値を置いちゃう僕は、まだまだ経営者というよりも個人事業主的な感覚だなあ。
そこまで言ってから田中さんは、ふふふっ、と笑った。どちらかといえば苦笑寄りではあった。ただ、そう言い切れることに私は田中さんの強さを見る。そしてその強さは、儚さを打ち消していくことで成り立っているチェーン店には不要なものでもあるのだなと思う。
チェーン店の強さは、安定的、永続的な、機械的な強さ。「お店」っていう意味では一緒なんですけど、でも僕はそこを一緒くたにしていかないことはすごく大事なことだと思いますけどね。それぞれは違うものとして付き合っていくということが、その店を支えたりもするし。
ツバメコーヒーは2018年11月に6周年を迎えたばかりである。温かいコーヒーを、と注文すると、カウンターの向こう側で、ペーパードリップ式で淹れてくれるというやりかたは、6年のあいだ、ずっと変わらない。「KONO(コーノ)」の円錐形でひとつ孔の、プラスチック製のドリッパーで。
僕の美意識として、全部をかっこよくするのはすごくかっこ悪いというのがあるんで、そういう意味でいうと、コーノの、ドレスダウン、という感じの垢抜けなさは魅力です。ちょっと使うとすぐくもってしまうし、すぐ割れるでしょ。こんないい加減なものはない。それが大事。一生使えるっていう発想、保ちゃいいだろっていう発想は、非文化的だから。
遠目には大きな砂時計をも思わせるかたちをした「oji(オージ)」のウォータードリッパーが、カウンターの横の窓際に据えらえている。コーヒーを水出しするための道具だ。
上部のガラス製のボウルの中に水を注ぎ、真ん中の部分には挽いたコーヒー豆を入れ、そこに一滴ずつ水を垂らし、下部のボトルの中にコーヒー液を溜めていく、というやりかたで、最初と最後の工程以外は手をかけることもなく、また電気などの動力も必要としない。その代わり、淹れるための時間を要する。3リットル淹れるのに、6時間から8時間。そのずれは水滴の落ちぐあいを手動で調整するためだという。
しかし、そこを田中さんは推す。
時間的な概念を価値化できるというのは、ものがエイジングしていく、工芸の価値観にも近い。自分ではなく、人間でもない、他者につくらせる。時間を含む他者にどうつくらせるかによって、価値をつくるというのは、発酵もそうですよね。発酵する主体と、触媒的なものとしてどれを選択するかということ。選べたらつくれるじゃないですか、つくり手として未熟な人間でも、シェフに勝てる唯一の場所。
カウンターに向かっていた体をくるりと180度反転させると、そこはソファ、椅子、机が並ぶ喫茶室となっていて、その向こうの壁は一面、本棚である。本棚の裏側は、美容室だ。もともとここは田中さんの母が営む美容室として建てられた場所なのだ。それについての少し長い話は、また後でさせてもらえればと思う。
2話につづく。